第1話 もう少しだけ、こうしてていい?
「これは道、間違えたかな……」
空を見上げながら、マサキは眉をひそめた。
切れ長な茶色の瞳で、黒い髪は後ろで束ねられ、精悍だが整った顔立ちをしている。
マントに革鎧、左腕に鉄の籠手。
左腰には反りのある片刃の長剣と片刃の短剣を差している。
依頼を終え、“沈黙の森”を抜けてグラントの町へ戻るつもりだった。
一日でも早く帰ろうと森へ入ったのが失敗だった。
獣道に入っていたらしい。
気づけば道は途切れ、周囲は見覚えのない森になっている。
空はどんより曇り、太陽の位置さえわからなかった。
「参ったな……」
そんな中、前方の茂みが揺れ、矢が飛んできた。
「!?」
マサキは反射的に身体を沈めた。
矢が服をかすめ、背後の木に突き刺さる。
(……狙いは甘い)
地面を転がりながら、左手で短剣の方を抜いて身構える。
茂みから猿のような小人が現れた……皮膚は汚れた土色で、目だけがギラギラと赤く光っている。耳先は尖り、背丈は人間の子どもほどだが、その姿には知性よりも獰猛さが漂っていた。
「こんな時に、小鬼かよ」
前方にゴブリンが二体。粗末な短剣を構え、喉を鳴らして笑った。
その後の茂みに弓矢を構えたもう一体、そして少し遅れて、マサキの背後から、ひと回り大きな個体が一体現れた。村の鍛冶屋から盗んだのだろう、大鎚を持っている。
「上位種ゴブリンもいるのか……厄介だな」
後ずさりしながら周囲を見渡す。周りを完全に囲まれている。
おまけに木が密集していて、大きく立ち回ることができない。
前方のゴブリンたちが一斉に駆けてくる。
同時に背後から殺気を感じ、マサキは反射的に回転しながら短剣を振り回した。
耳元を大鎚がかすめる。
エルダーゴブリンの腕にかすり傷をひとつ負わせた。
ゴブリン一体が雄叫びとともに真横から跳びかかる。
マサキは左手の籠手で攻撃を受け流すと、短剣を突き出した。
ズン!という手応え。
ゴブリンが絶命すると、大鎚が唸り、マサキの鼻先をかすめた。
「くっそ!危ねぇな!!」
悪態を吐きながら、距離を取る。
ゴブリンの死体を盾にしてゴブリン射手の矢を防ぐ。
(もう一体はどこだ!?)
その時、木陰に潜んで回り込んできたのだろう、もう一体のゴブリンが襲いかかる。
マサキは短剣が刺さったままのゴブリンの死体を、そのまま投げつけた。
エルダーゴブリンの方に向き直ると、咆哮とともに突撃してくる。
マサキも長剣に手をかけた。
「《稲妻》!!」
目の前で稲妻がエルダーゴブリンの胸を貫いた。
森の一角が、焼け焦げるような匂いに包まれる。
エルダーゴブリンは勢い余って、マサキの前で倒れ、動かなくなった。
続いて弓矢を構えたゴブリンの首に、鋭い風を切る音と共に、何かが刺さる鈍い音が響いた。
金色に光を放つ短剣が突き立っていた。
ゴブリンの射手はそのまま、崩れ落ちた。
短剣を投げたのは銀髪の女だ。年齢は二十歳前後だろうか。
そこへ仲間の死体に押しつぶされていたゴブリンが、ようやく這い出してきた。
女はもう一本短剣を腰から抜くと、何かを唱える。
「……《魔力付与》!」
手に持った短剣が輝きだした。
襲い掛かってきた二体目のゴブリンとすれ違いざまに、女がその腹部を切り裂いた。
情けない悲鳴を上げ、魔物はうつ伏せに倒れ込んだ。
「アンタ、大丈夫?」
こちらを見ようともしないまま、草色のケープを脱ぐと、埃を払い始めた。
「ああ……ありがとう。助かった」
その声に反応したのか、その女は振り返る。
森の木漏れ日に照らされた淡い銀色の髪は肩口まで流れ、ところどころに薄紫の光を溶かし込んだような色彩を宿している。
後ろ髪の一部は丁寧に編み込まれ、耳の後ろでまとめられていた。
その横から覗く耳は短いが尖っており、彼女が森の妖精エルフ族とマサキたち人族の混血であることを静かに物語っている。
澄み切った蒼い瞳は宝石のような透明感を持ち、森の湖面に映る空をそのまま閉じ込めたかのようだった。
濃紫を基調とした装束を身に纏っている。
身体の線に沿う仕立てながら決して派手ではなく、上質な布地に金色の装飾が控えめに施されている。肩から腕にかけては軽装の騎士装束を思わせた。
「何?ジロジロ見て」
「いや、すまん。半妖精が珍しくてな」
「ふーん」
そういう目で見られるのは慣れているのだろうか。
マサキの返事には興味なさげに、女はケープを羽織り直す。
胸元の暗赤石の……いや黒い石の嵌ったブローチが印象的だった。
不意に眉間に皺を寄せ、女が舌打ちした。
腰のベルトポーチを開く。
ゴソゴソとポーチを漁っていたが、徐々に表情に余裕がなくなってくる。
「そんな……魔石が……ない……!」
女は荒い息をつきながら膝をついた。
茂みに隠してあったのだろう、バックパックを引きずり出すと、中を漁り始める。
必死に荷物をまさぐる彼女の手は、虚しく空を切るだけだった。
「ない……イヤ……どうしよう……」
彼女の顔が、みるみるうちに青ざめていく。
そして胸を押さえながら、苦しそうにうずくまると、そのままうつ伏せに倒れた。
「おい、大丈夫か?顔色が悪い」
マサキが慌てて駆け寄り、抱き起こす。
「おい、しっかりしろ!おい!」
抱き起こした瞬間だった。
「リ……プレニシ・マギカズ・フォルス……ト……ゲルギア!」
女が何か唱えたかと思うと、両腕で抱きつかれる。急激に力が抜けるような疲労感覚に襲われる。
「なんだ!?」
血の気が引くような感覚。
身体の奥から何かを引き抜かれている。
突き放そう思ったが、苦しげにしがみつく彼女の姿を見て、振りほどく手が止まった。
それに魔物の使う《吸精》とも少し違う感じがする。
ケープの隙間から覗く黒い石が、かすかに赤みを帯びる。
マサキが首を傾げた時には、その色はさらに濃くなっていた。
「え?」
黒い石は徐々に暗赤色となった。
「う……」
女が目を覚ました。
「おい、わかるか?」
「……ありがとう……助かったわ」
少し照れくさそうに呟いた。
「俺も助かった。冒険者のマサキだ。戦闘で負傷でもしたのか?その……」
「冒険者のセイリアよ……負傷はしてないわ」
「具合悪そうだが」
「そのことで……少しお願いがあるんだけど」
「なんだ?」
セイリアはマサキの目を見つめてくる。
「もう少しだけ、こうしてていい?」
「は?」
肩に回されたセイリアのしなやかで美しい両腕を見ながら、マサキは固まった。
最後までお読みいただきありがとうございます。林忍です。
いよいよ『ゲルギア』本編のスタートです。
プロローグではセイリアに起きた出来事を、そして第1話では、そんな彼女とマサキの出会いを描きました。
いきなり距離感がおかしな二人ですが(笑)、ここから始まる二人の冒険と、彼女の胸に宿った《ゲルギア》が二人の運命にどう関わっていくのか。
どうぞ二人の旅にお付き合いください。
毎週金曜日、朝8時に更新予定です。
それでは、次回もよろしくお願いいたします。
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次回予告
命をつなぐために重ねた手
女の帰る場所へ、旅人は歩く
第2話 ようこそ、旅人さん
2026年8月21日(金)午前8時 更新予定
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