九話 友人との距離感
若菜の様子がおかしかった。
最初にそう思ったのは、麗奈が死んでから二日後だった。
教室の空気はまだ重い。誰も大きな声を出さず、笑い声も減った。ふとした瞬間に、みんな四階の方を見てしまう。
そんな空気の中でも、若菜だけは頻繁にスマホを見ていた。
「ねぇさくら、これ見た?」
昼休み。若菜はスマホ画面をこちらへ向けてくる。
学校の匿名掲示板だった。
『昨日また四階で見た』
『白い女マジでいる』
『次は誰?』
不安を煽るような書き込みが並んでいる。
「また増えてるよ。“見た”って人」
若菜は不安そうに呟く。
「みんな怖がってるね……」
「……そうなんだ」
さくらは曖昧に笑う。
「でも、あんまりそういう話しない方がいいよ」
「だって怖くない?」
若菜は画面を見つめたまま続ける。
「また誰か死んだらどうするの……」
その時だった。
教室の前へ、高橋由奈が現れる。
教師と話しながら、小さく頭を下げていた。
教育実習は中止になったらしい。
顔色も悪い。
由奈は教室へ入ると、生徒たちへ向かって静かに頭を下げた。
「短い間だったけど、ありがとう」
どこか無理に笑っているように見えた。
「……本当は、ちゃんと最後までやりたかったんだけどね」
教室の空気が静まる。
誰も何を言えばいいか分からない。
その時、由奈の視線がさくらへ向いた。
「佐野さん、ちょっといいかな」
さくらは少し驚きながら席を立つ。
廊下へ出ると、由奈は少し言いづらそうに視線を落とした。
「ごめんね、変なこと聞くかもしれないんだけど……」
「……はい?」
「昨日、清人さんと電話してたよね?」
さくらは小さく頷く。
「うん」
由奈は困ったように笑った。
「聞くつもりじゃなかったんだけど、“昔の事故に似てる”って聞こえちゃって」
その瞬間、さくらの表情がわずかに止まる。
由奈は続けた。
「清人さん、あんまり話したがらなくて……」
少し迷うように口を閉じる。
そして、小さな声で聞いた。
「……あの、もしかして」
「やましいこととか……じゃ、ないよね?」
不安そうな声だった。
疑いたいわけじゃない。
むしろ、信じたいから確認している。
そんな声音だった。
さくらは小さく笑う。
「大丈夫だよ」
「……そっか」
由奈は少しだけ安心したように息を吐く。
「変なこと聞いてごめんね」
「別に気にしてないよ」
そう言って笑った時だった。
ふと視線を感じる。
廊下の奥。
若菜がこちらを見ていた。
何かを考えるみたいに、じっと。
目が合った瞬間、若菜は慌てたように笑った。
「……若菜?」
「ご、ごめん。呼びに来ようと思って」
どこかぎこちない。
さくらは小さく違和感を覚えながらも、「先戻ってて」とだけ返した。
◇
放課後。
さくらは帰り支度をしながら、ふと若菜を見る。
若菜は一人でスマホを見つめていた。
何かを打ち込み、少し考えて、また消す。
その繰り返し。
以前の若菜なら、こんなふうにスマホばかり触ることはなかった。
「……先帰るね」
さくらが声を掛ける。
若菜は顔を上げ、少しだけ慌てたように笑った。
「あ、ごめん」
「別に謝んなくていいって」
「……うん」
少し沈黙が落ちる。
その空気が妙に重くて、さくらはなんとなく目を逸らした。
「じゃあまた明日」
そう言って教室を出る。
だが廊下を歩きながら、さくらは小さく息を吐いた。
最近の若菜は少し変だ。
いや。
変というより——近すぎる。
昔から真面目な子だった。
人の顔色をよく見て、頼まれたことは断れないタイプ。
でも最近は違う。
まるで、“自分のために動くこと”が目的になっているみたいだった。
さくらはスマホを取り出す。
画面には、若菜とのトーク履歴。
未読メッセージが何件も並んでいる。
『大丈夫?』
『ちゃんと寝れてる?』
『何かあったら言ってね』
『私はずっとさくらの味方だから』
その文字を見た瞬間、さくらはなぜか少しだけ息苦しくなった。
◇
教室には、若菜だけが残っていた。
静かな空間。
雨の音だけが窓の外から聞こえてくる。
若菜はスマホを胸元で握りしめた。
どうして。
どうして最近、さくらは少し距離を取るのだろう。
ちゃんと頑張った。
噂も流した。
みんな怖がってくれた。
さくらのためになると思った。
なのに。
——何か間違えた?
若菜は小さく首を振る。
違う。
まだ足りないだけだ。
もっと役に立たなきゃ。
もっと必要って思ってもらわなきゃ。
その時。
スマホが小さく震えた。
若菜はゆっくり画面を見る。
『次』
その一文字だけが表示されていた。
若菜は、それを見つめたまま静かに笑った。




