十三話 秘密
学校の空気は、まだ壊れたままだった。
木下若菜が逮捕されてから数日。
それでも噂は消えない。
『白い女はまだいる』
『木下さん、誰かに操られてたらしい』
『教育実習生の彼氏、やっぱ怪しくね?』
誰かが話し、誰かが広げる。
真実なんて関係ない。
面白い方へ。
怖い方へ。
噂は勝手に形を変えていく。
西本拓実は、その空気が嫌だった。
教室へ入るたび視線を感じる。
若菜の名前。
由奈の事故。
清人の噂。
全部が混ざり合って、学校全体が妙な熱に浮かされていた。
「……はぁ」
拓実は小さく息を吐く。
その時だった。
「拓実くん」
後ろから声がする。
振り返ると、さくらが立っていた。
「あ……佐野」
「ちょっと話せる?」
静かな声だった。
拓実は少し迷ったあと、小さく頷く。
◇
人気のない階段踊り場。
窓の外では、灰色の空が広がっていた。
さくらはしばらく黙っていたが、やがて小さく口を開く。
「……私、もう分かんなくなっちゃった」
「え?」
「若菜もああなって」
さくらは俯く。
「由奈先生も死んじゃって」
弱々しい声だった。
拓実は言葉に詰まる。
こんな顔、初めて見た気がした。
「……でも」
さくらは静かに続ける。
「清人くん、まだ何か隠してると思うんだよね」
拓実の表情がわずかに止まる。
「隠してるって……」
「だって変じゃない?」
さくらは窓の外を見つめたまま呟く。
「十年前も事故があって、今回もこうなって」
「……」
「なのに、清人くん何も話さないから」
拓実は黙り込む。
確かに。
清人は何か知っている気がした。
でも。
「だからって……」
「私、怖いの」
さくらが小さく言う。
「また誰か死ぬんじゃないかって」
拓実は何も返せない。
さくらはゆっくり振り返る。
「だから、本当のこと聞きたいの」
その目を見た瞬間。
拓実は胸の奥がざわつくのを感じた。
◇
その日の帰り道だった。
拓実はスマホを見つめながら歩いていた。
画面には、匿名掲示板。
指が止まる。
『榎本ってやっぱ怪しい』
短い文章を打ち込む。
送信。
すぐに返信が増えていく。
『やっぱそう思う?』
『十年前も怪しいらしいし』
『木下さん庇ってるだけじゃね?』
拓実はスマホを閉じる。
胸の奥が気持ち悪かった。
「……何やってんだよ俺」
自分でも分かっていた。
こんなの最低だ。
なのに。
さくらの顔が頭から離れなかった。
◇
夕暮れだった。
空は曇っている。
薄暗い住宅街を、清人とさくらが並んで歩いていた。
拓実は電柱の影へ身を隠す。
手が震えていた。
本当にやるのか。
頭の中で、何度も声が響く。
やめろ。
こんなの間違ってる。
でも。
これで全部終わるなら。
清人が本当のことを話してくれるなら。
拓実は唇を噛む。
その時。
さくらが、ほんの少しだけ振り返った。
曇った空の下。
暗くなり始めた住宅街で、目が合う。
——大丈夫。
そう言われた気がした。
次の瞬間。
拓実は走り出していた。
ガッ。
鈍い音。
清人の体が前へ崩れる。
「っ……!?」
振り返ろうとした清人の口元を、拓実は慌てて押さえた。
「悪い……悪いっ……!」
呼吸が乱れる。
手が震える。
こんなの、自分じゃない。
なのに体だけが勝手に動いていた。
清人の意識がゆっくり沈んでいく。
その様子を、さくらは静かに見下ろしていた。
「……拓実くん」
優しい声だった。
「ありがとう」
その言葉だけで、拓実の胸が苦しくなる。
◇
古びた廃屋だった。
山奥に放置された木造の建物。
窓ガラスは割れ、湿った木の臭いが漂っている。
拓実は肩で息をしながら、清人を床へ下ろした。
「……はぁ……っ」
手が震える。
汗が止まらない。
本当に、ここまで来てしまった。
「拓実くん」
後ろから、さくらの声。
「縄、そこ」
拓実はゆっくり振り返る。
薄暗い廃屋の中。
さくらだけが、不気味なくらい落ち着いて見えた。




