十一話 広がる噂
悲鳴が響いていた。
「誰か救急車!!」
「先生呼べ!!」
雨の校庭は騒然としている。
四階の窓際で立ち尽くしていた若菜を、駆け上がってきた教師たちが取り押さえた。
「木下!! 何があった!?」
「離し……っ、離してください……!」
若菜は虚ろな目で呟き続けている。
「白い女が……」
「さくらを守らなきゃ……」
「違う、私は……」
意味の繋がらない言葉。
教師たちは顔を見合わせる。
その様子を、廊下の奥からさくらと拓実が見ていた。
「……え?」
拓実が呆然と声を漏らす。
さくらも、何が起きているのか理解できないみたいに固まっていた。
「若菜……?」
若菜は教師に腕を掴まれたまま、それでも何かを探すように周囲を見回していた。
そして。
さくらを見つける。
一瞬だけ、安心したみたいに笑った。
「さくら……」
その笑顔が妙に気味悪くて、拓実は思わず息を呑んだ。
「木下さん、何やってんだよ……」
◇
パトカーの赤色灯が、雨の校舎を照らしていた。
若菜は警察に囲まれながら、ゆっくり歩いていく。
「私、間違ってない……」
ぶつぶつと呟き続けていた。
「白い女が……」
「だって、さくらが……」
「守らなきゃ……」
警察官が顔をしかめる。
「かなり錯乱してるな……」
「取り調べできる状態か?」
若菜は突然、小さく笑った。
「あは……」
「みんな、信じるんですよ」
濡れた髪の隙間から、虚ろな目が覗く。
「白い女も……怪異も……」
若菜は笑う。
壊れたみたいに。
「だって、人って怖い話好きだから」
◇
霊安室の前は静かだった。
白い壁。
冷たい空気。
榎本清人は、ただ椅子へ座っていた。
由奈が死んだ。
頭では理解している。
なのに、実感だけがなかった。
昨日まで普通に笑っていた。
電話もした。
くだらない話だってした。
なのに。
「……なんでだよ」
掠れた声が漏れる。
その時だった。
「榎本」
低い声。
顔を上げると、中野正司が立っていた。
中野は少しだけ迷うように黙り込む。
「……聞いた」
清人は何も答えない。
「彼女さんのこと、残念だったな」
その言葉に、清人は小さく笑った。
笑ったつもりだった。
けれど、うまく顔が動かなかった。
「……またっすか」
「……」
「また俺の周りで、人が死ぬ」
中野は静かに煙草を握る。
火はつけない。
病院だから当然だった。
「お前のせいじゃねぇよ」
「みんなそう言うんですよ」
清人は俯いたまま続ける。
「でも結局、噂だけは残る」
中野は何も言えなかった。
十年前もそうだったからだ。
◇
噂というものは、いつも真実から遠ざかっていく。
一つの不安は、尾鰭をつけて広がる。
一つの悪意は、誰かの想像によって膨らんでいく。
そして。
自分の耳へ届く頃には、それはもう“真実”とは別の何かになっている。
誰も真実なんて見ていない。
皆、自分が信じたい“噂”を信じているだけだ。
——十年前も、そうだった。
◇
翌朝。
噂は、もう学校中へ広がっていた。
『教育実習生、死んだらしい』
『昨日また四階で人落ちたって』
『白い女マジじゃね?』
だが。
噂はそれだけじゃ終わらない。
『でもあの人の彼氏ってさ』
『昔、小学生突き落としたって噂あるらしい』
『え、マジ?』
『じゃあ今回も怪しくね?』
誰かが言う。
誰かが広げる。
尾鰭がつく。
形が変わる。
『逮捕された木下さん、濡れ衣なんじゃね?』
『本当は別に犯人いるとか?』
『だって白い女の噂あったし』
教室の隅で、それを聞いていたさくらは、小さく笑った。
誰にも気づかれないくらい、小さく。
——ほらね。
人は勝手に怪異を作る。




