第一章 二:引き金
山田リーコは火渡エクトの言葉を聞いて、その場から逃げ出そうとした。しかし、恐怖と緊張で足がもつれ、すぐに転けてしまった。
「あはは! ねえ、私が殺しても?」
「ダメだ。指令では俺が殺せと言われている。しかも痛めつけてからな」
「えぐい指令じゃん。それは私がやっても?」
「ダメだ。それも俺がやれと」
エクトは拳を強く握りしめた。恐怖に怯えるリーコの姿が、月詠ももと初めて会った時の彼女の姿と重なって見えた。
「悪いな……。これも次世代の龍の血脈になるためなんだ」
エクトは拳を振り上げた。リーコから、ももの声で「やめてよ。助けてよ」という幻聴が聞こえてくる。
エクトは何もできず、拳をそのまま下ろしてしまった。
「お兄ちゃん? ほら、お兄ちゃんにはできないよ」
「うるせえ」
リーコは相変わらず立ち上がることができずにいたが、頭は冴え、呼吸も整ってきていた。
「私を……殺すの……?」
「ああ、そうだ」
「私を殺したら、正義の味方がやって来て殺されるんじゃない?」
「正義の味方? 何の話だよ」
「知らないの? さっきから龍の血脈って自分たちで言ってるけど、龍の血脈から世界を守る奴ら」
「……!? お前、それはどういう……」
その瞬間、ももはリーコの右脚を蹴った。
リーコが苦痛の声をあげる。
「黙ってろよ! 何が龍の血脈から世界を守るだ!」
リーコは右脚を抑え、ただ痛みに悶絶することしかできていない。
「ほら弱い。お兄ちゃん、こんな弱いやつにビビる必要なんかないって」
「あ……ああ……。適当かましやがって」
エクトはリーコの腕を掴んで無理やり立たせた。リーコの華奢な体の柔らかさにたじろいだが、覚悟を決める。
再び拳を強く握り、リーコの頬目掛けて拳を放つ。殴られたリーコは畳に座り込み、頬を抑えながらエクトを睨みつけた。
「へえ、なかなか強い女だな」
エクトは再びリーコの腕をつかみ、立たせた。
「ねえお兄ちゃん、どうしても一発殴りたい」
「ダメだ」
「お願い! どうしても!」
もものお願いにエクトは一瞬黙り込んだ。
「ああ、一発だけならいい。その代わり絶対に誰にも話すなよ」
「うん。わかった」
ももはリーコの肩を押し、突き倒した。
「あ、ごめん。これはノーカンで」
「私に嫉妬してるの?」
「は? 何言ってんの?」
「厚化粧にその服装、自分に自信がないから着飾ってるの?」
「はあ……!? はあ!? んなわけないじゃん!」
ももはリーコに一発蹴りを入れた。
「これもノーカン!」
「はぁ……はぁ……。やっぱり嫉妬してるんだ」
「うるせえ! お前だってバカラのルージュつけてるじゃん。高校生なのに生意気にそんな高い香水つけて、くっせえ匂いで男に媚び売ってんじゃん」
「そういう意味でしか香水のこと知らないんだ。これは私が好きな香りだからつけてるの。誰のためでもなく、私のために」
「はあ!? そんなの私だって自分が好きだからこういう格好をしているの」
「じゃあ今着てるそのTシャツのバンド。メタリックの好きな曲は何?」
「……!」
「ほら答えられない。やっぱり嘘だったんだ」
「お前……!」
ももは再びリーコに蹴りを入れた。
リーコは畳を少し転がった。
「おい! その辺にしとけ」
エクトは暴走しそうになったももを掴み静止したが、聞く耳を持たなかった。「お兄ちゃん! まだ終わってない」と、ももはエクトの手を振り払いリーコに近づいた。
「今から恐怖を味合わせてあげる」
ももは近くにあった日本人形たちをリーコの目の前に並べた。リーコは痛みと疲れで動くことができず、ただその光景を見ているしかなかった。
「さあ私の可愛い子ちゃんたち、こいつを痛めつけて」
「おい、能力なんて使うな!」
「いいじゃん。どうせ誰も見てないんだから」
日本人形たちは左右にカタカタと小刻みに揺れ、邪悪な笑みを浮かべた。そして、日本人形たちはリーコに向かってゆっくりと前進を始めた。
「な……なによこれ……」
「どう? 可愛い? この子たちは幽霊じゃなくて私が動かしてるの。だから怖くないでしょ?」
リーコは何とか起き上がると座ったまま後退りを始めた。しかし、すぐに壁に追い詰められ、日本人形たちがジリジリと追い詰めてくる。
「ひ……!」
「そんなに怖がらなくたっていいのに。一緒に遊んで欲しいな」
一体の日本人形がリーコに飛びかかった。日本人形は大きく口を開き、鋭い牙でリーコに噛みついた。リーコは「離して!」と言いながら腕を振ったが、日本人形はこれっぽっちも離れなかった。
他の人形も同様にリーコに飛びかかり噛み付く。
リーコの体のあちこちから血が少しずつ流れ始める。
「はぁ……。赤い血。こんなに弱くてかわいそう」
ももはスマートフォンを取り出し、日本人形たちがリーコを襲っている様子をカメラに収めた。
「これくらいでもういいだろ。いよいよ殺す」
「えー。動画も撮ろうかと思ってたのに」
「やめろ。趣味の悪い」
「かっちーん。ももが殺す」
「やめろ!!」
エクトの怒号が部屋に響き渡る。
ももは思いがけぬエクトの怒りに固まった。
「ご……ごめん。そこまで怒らなくても……」
「いいか、これは遊びじゃないんだ。ただでさえ指令に背いてお前が痛ぶっている。もうこれ以上俺に迷惑をかけるな」
ももは黙ったまま俯いた。すると、日本人形たちも動きを止め、その場でゴトゴトと畳に転がり始めた。リーコは逃げようとしたが、壁にもたれかかっているだけで精一杯だった。
「はぁ……。はぁ……。逃げなきゃ……」
「無駄だ。もう諦めて俺たちのために死んでくれ」
エクトは近くに置いてあった鞄から拳銃を取り出した。
「え? そんなので殺すの?」
「ああ。これも指示だ」
「そっか。人間はこれで死んじゃうか」
エクトが銃口をリーコに向ける。
突きつけられた現実に、リーコは震えが止まらない。
「私の可愛い子ちゃんたちよりよっぽど怖がってんじゃん。つまんないの」
もはやリーコに周りの声や音は聞こえなかった。
これまでの人生が頭の中を駆け巡る。
何でこんなことに。何で殺されなきゃいけないの。こんな人生は違う。こいつらは誰だ。何でこんなやつらに殺されないといけないの。
「じゃあな」
エクトは引き金を引いた。
一発の鋭い弾丸がリーコに向かっていく。
いや、鋭くはなかった。銃口から発射される瞬間、飛び散る火花、弾丸の回転、全てが鈍くリーコの目に映った。
エクトとももはピクリとも動かずに止まっている。その空間の中でリーコだけが動くことができた。
動かない体を少しだけ動かし、体を横にずらした。その瞬間、リーコの真横で大きな音と壁の破片が飛び散った。
「えー。外してるじゃん」
「おかしいな……。拳銃の扱いに慣れていないからか?」
拳銃の中に弾は一発しか入っていなかった。
エクトは鞄から予備の弾丸を取り出し、カチャカチャと慣れない手つきでリロードを行っている。リーコだけが理解していた。この男が外したのではなく、自分が避けたのだと。
エクトはリロードを完了すると、再びリーコに銃口を向けて弾丸を放った。今度は、弾丸はリーコに直撃した。しかし、弾丸はリーコの横に弾かれていた。
「は……? 今のは当たっただろ?」
リーコもそれは感じていた。確かに弾丸は頭に直撃したはずだ。それなのに、自分は死んでいない。それどころか痛くもない。
「な……なにこれ……」
日本人形に噛み付かれた腕から流れているリーコの血液は、いつの間にか青くなっていた。
「お前……どういうことだよそれ……!」
「ねえ、私に何かしたの!? なによこれ!」
リーコは驚き、その場で立ち上がった。
いつの間にか、ももに蹴られた痛みも疲労も無くなっていた。
「はあ!? あんた龍の血脈ってこと!? でもさっきは違ったよね!?」
「私も知らない! 私は人間よ!」
リーコは青い血液を落とそうと、必死に腕を擦っていた。
「どうすんのこれ? 私たちの同胞だったってことじゃん」
「意味が分からない……。とにかく、殺さないと」
エクトは拳銃を捨て、リーコに向かってとてつもない速さで殴りかかった。しかし、リーコにはエクトの動きが止まって見えた。
そして、リーコは自分の体をずらしてエクトを避けた。
エクトはそのまま壁に衝突した。
「何でずれてんだよ。さっきの弾丸もそうやって避けたのか? それがお前の能力か?」
「能力? 何のこと?」
「とぼけるな。お前も龍の血脈ならわかるだろ」
エクトと会話をしているリーコに、次はももが横から殴りかかってきた。やはりリーコには、ももの動きもスローモーションに見えた。
リーコはももにされた苦行を思い出し、渾身の力を込めて彼女のお腹に拳をお見舞いした。動きが元に戻る。ももは吹っ飛び、障子と一緒に廊下に倒れ込んだ。
「もも!」
エクトは叫び、ももに駆け寄った。リーコは未だ自分になにが起きているのか理解できないでいる。
自分から流れている血が青い。いつか見た青い血液のこどものニュース。SNSで話題の陰謀論、龍の血脈。種の置き換え。一月製薬。私は龍の血脈になったのか?
「これが本当のテストということか? 何としてでもお前を殺す……!」
エクトは人差し指をリーコに向けた。そしてすぐに、指先から火の玉が放たれた。が、やはりリーコは少しずれて火の玉を避けた。火の玉は、土壁に衝突すると消え去った。
「やっぱりこれではダメだな」
エクトの手のひらから特大の火の玉が放たれる。火の玉はスローモーション。しかし、後ろには壁。リーコには逃げ場がなかった。
その時、壁の銃痕がリーコの目に入る。リーコは拳を握ると、壁に向かって思い切りパンチをうった。壁の一部は粉々に砕け散り、穴は隣の部屋まで貫通した。
そしてリーコは、穴から隣の部屋に逃げ込んだ。火の玉は壁に当たり爆散すると、周りに火をつけた。
穴から少しだけ漏れた火がリーコの左腕に当たる。火はリーコに着ている服の左腕にかかる部分と、リーコの肌を少し灼いた。
リーコは痛みを我慢しながら、壁の穴から火の広がり始めた隣の部屋の様子を伺っていた。オレンジ色の火が轟々と広がり続けている。
リーコが頭の中で必死に状況を整理していると、リーコのいる部屋の襖が開いた。エクトがリーコの後を追ってやって来たのだった。
「この家もそう長くは持たない。決着をつけよう」
「さっきから何の話をしているのか知らないけど、勝手に話を進めないで」
「知らないまま死んでくれ」
「ふざけんな。死んでたまるか」
リーコとエクトは睨み合った。
リーコの少しだけ灼けた左腕は、相変わらず疼いている。




