第五章 五:R.I.P
これは常識であるが、龍の血脈は翠銀刀で斬られると長いあいだ気絶をする。その後自然に目を覚ますのを待つのはそれなり時間がかかる。
待つ時間を省きたい時は、非人道的ではあるが、待たずとも起こしたい時に起こす方法はある。
それは、気絶している時にもう一度、翠銀刀で斬りつけるだけである。単純な仕組みで、翠銀刀に斬られた時のひどい痛みに目を覚ますといのがこの方法だ。
一月蒼士は再び、男の腕を斬りつけた。
青い血液がボロボロになった灰色のソファと、蒼士に飛び散る。
男は耐え難い痛みに、呻き声を上げながら目を覚ました。
目の前には一月蒼士。手には相変わらず翠銀刀。悪夢だと思いたいが、無慈悲な痛みが現実であることを知らせてくる。
「あなたが翠銀刀で斬られて気を失ってから一分経ち、また斬りつけられてその痛みで目を覚ましたのがいまです。」
「お前……! ふざけるなよ! 絶対何も言わねえからなあ!」
「ふざけてなんかいませんよ。あなたが山田リーコについて話たくなるまで続きますから。さあどうですか?」
男は口を閉ざしたままだった。
ソファから動く素振りもない。
「見上げた根性ですね。僕と友達になりますか?」
「はぁ? 何言ってるんだよお前」
「良い車に乗ってるのに、普通じゃ手に入らない芳香剤を使ってるのに、その話を始めてしたのが誘拐相手じゃ悲しいじゃないですか」
「……っ!」
「ああ、図星でしたか。短い間ですが、僕と友達になれば最後に良い思い出になるかと思って」
蒼士はそう言うと、再び男の腕を翠銀刀で斬りつけた。
そして、一分経ったところでまた斬りつけて目を覚まさせる。
「おはようございます」
「くそっ……! 舐めてんのか」
「時刻は十八時きっかり。世間一般ではそろそろ夜ご飯を食べる家庭も多いのでは?」
「だからどうした……?」
「どうですか? ここは一旦、外に出て僕と一緒に夜ご飯でも?」
「は……? お前、頭おかしいんじゃねえの?」
「嫌だなぁ。さっきは同胞って言ってたのに」
「何が同胞だよ……。はっ、お前は龍の血脈じゃねえ!」
「試してみますか?」
蒼士は自分の腕をほんの少し、翠銀刀で切りつけた。
傷口からは、赤い血が滲む。
「お前……! やっぱり嘘じゃねえか! ただの霧雨だろうが!!」
「いいえ。僕は血の赤い龍の血脈です。血の青さも翠銀刀の恐怖も克服した、次世代の龍の血脈です」
男はソファから勢いよく立ち上がり、蒼士の胸ぐらに掴みかかった。蒼士は無表情で男の顔を見ているだけで抵抗はしなかった。
「そんなわけがあるか! 俺たちがいったいどれだけ苦労して生きてきていると思ってるんだ!」
「当然知っています。血が青いということがバレれば霧雨に狙われますからね。苦労はもちろん知っています」
蒼士は男の腕を掴むと胸ぐらから剥がし、再びソファに向かって突き飛ばした。男の腕は赤みを帯びてしまっていた。
「ふざけんなよ!」
男はソファに座りながら右足で地団駄を踏んだ。床の剥き出しのコンクリートはひび割れ、少しばかりの砂埃が舞った。
「まあそんなに怒らなくても。あなたは優秀だ。その顔は霧雨にバレていない。そういえば名前を聞いていませんでしたね」
「誰が教えるかよ。名前も能力も、お前は永遠に知らないままだ」
「そうですか……。せっかく友達になれると思ったのに残念です」
「嘘ばかりだな、お前」
「あなたに友達はいないかもしれませんが、一族はまだいるんでしょう。そのために自分の名前も能力も明かさない。尊敬に値します」
「何が尊敬だ。さっきからおちょくりやがって」
「いえ、本当です。僕はどこまでいこうと龍の血脈側ですから。できればあなたとはこんな形で出会いたくなかった」
蒼士の右目から涙が頬を伝った。
「なに泣いてんだよ……。それも演技かよ」
「違いますよ。これは僕の本心です」
「そんな涙を見せても、俺は何も言わない」
蒼士はまた、男を翠銀刀で斬りつけて気絶させ、覚醒させた。
男はもう、目覚めてもぐったりとしているだけだった。
「はやく殺せ……」
「まだです。まだ僕が龍の血脈であるということを信じてないのでしょう? だから次は能力をお見せしようと思って」
蒼士はそう言うと男の目の前から一瞬にして消え、蒼士のいたところには砂埃一つ経っていなかった。そしてそれからすぐに、男は後ろから肩を叩かれた。
「どうですか? これが僕の能力です」
「瞬間移動か」
「さすが、その通り。これが一月家の能力です」
「どこまで移動できるのか知らねえけど、便利な能力だな」
「ですが、この能力にも欠点がある。空間と空間を遮るような障害物を超えた移動が非常に困難だということ。この部屋の中では縦横無尽ですが、隣の部屋にはまだ行けません」
「へぇ……。じゃあ俺が能力で逃げたらどうする?」
蒼士は再び、瞬間移動で男の前に移動した。
「ハッタリは僕に通じません。これだけ翠銀刀に斬られればどんな龍の血脈だって能力を使う体力は残ってませんから」
「まあ絶対に使わねえけどな」
「ところで知っていますか? 霧雨が実験を行って龍の血脈の能力を自分たちに移植していることを」
「……。ああ、知っている」
「もし僕が霧雨だったら、あなたの能力はバレてしまいますね」
「能力がバレたところで一族は追えない」
「確かにそうですが……。霧雨の底力はあまり舐めない方がいい。奴らは地の果てまで追ってきます」
「てめえもその一員じゃねえのかよ……」
「そうですよ? でも僕は龍の血脈ですから、龍の血脈にとって有利になるようにしか動きません」
「じゃあなぜ俺を殺そうとしている」
「龍の血脈の歴史を存続させ、塗り替えるためです。歴史の中には英雄の悲惨な死や、名誉の死が物語のようにゴロゴロと転がっているじゃないですか」
「俺がそいつらと同じ歴史の犠牲者になれと?」
「まあそういうことです。でもあなたの名前を知りませんから、僕には語り継ぎようもありませんけど」
「理屈が通らねえな。俺が山田リーコのことを知っているかどうかということと、俺が死ぬ必要があるかどうかは一切関係ないぞ?」
「いやいや、話を色々と混ぜないでください。あなたは山田リーコに雇われた殺し屋で僕を殺そうとしていた。だから返り討ちにあって殺されても文句は言えません。むしろ歴史の犠牲者としてカウントされるだけで十分だと思います」
蒼士はさらに続けた。
「僕がやるしかないんです。僕が唯一無二の存在だから。例えば、日本史の神武天皇や中国史の始皇帝のような、偉大な人物になるしかないんです」
男はもう蒼士が龍の血脈であるのか、霧雨の人間であるのかはどうでもよかった。
しかし、もし蒼士が龍の血脈であるのなら、次世代の龍の血脈とは言っていたが龍の血脈を中から破壊する恐ろしい存在になるかもしれない。
どのみち殺されるのであれば、霧雨の人間であってくれと思う他はなかった。
「何が目的だ……」
「だから山田リーコについてあなたから教えてもらうことです」
「そっちじゃねえ……。もしお前が龍の血脈だとして、なぜ霧雨にいる」
「それは言えません。山田リーコに関係なくあなたに会えていたら、もしかしたらその価値観を共有できたかもしれませんが……」
「つくづく意味の分からねえ野郎だ」
男の座っているソファにはすでにたくさんの青い血が飛び散っている。
男はやはり、ぐったりと項垂れていた。
「山田リーコの血は何色ですか?」
「知らねーよ……。赤いんじゃないの」
蒼士は男に翠銀刀を突きつけた。
しかし、男はただ首をあげて、蒼士を睨むだけだった。
無言がしばらく続く。
どうやらこの男は、本当にリーコのことをあまり知らなさそうだ。
「なぜ山田リーコがあなたに依頼を?」
「たまたま知り合いだっただけだ。龍の血脈がどうとか関係ねえ」
「へえ。山田総合病院への借りはどうしたんですか?」
「なんのことだか……」
「山田総合病院は秘密裏に龍の血脈の患者の受け入れを行っている」
「……っ! 別にそれと彼女は直接関係ねえよ」
「では、なぜあなたに依頼を?」
「さあな……」
蒼士は翠銀刀を、男の胸元にグッと近づけた。
男はもう、これっぽちも動くことはできない。
「まあいつからかは知りませんけど。どうせ父親が娘の良からぬわがままを叶えるために、あなたを頼ってから知り合いになっただけのことでしょう」
男は山田リーコの核心に関係がなかった。蒼士は心底がっかりすると共に、惜しい男を手にかけなければならない儚さに悲しみを覚えた。
「さようなら」
翠銀刀が男の胸を貫く。
男はすぐに絶命した。
蒼士の右目からは再び涙がこぼれ、頬を伝って地面に落ちた。涙は剥き出しのコンクリートに呑まれ、すぐに干上がった。
蒼士は翠銀刀についた青い血をハンカチで拭うと、ポケットにしまった。それから男の服のポケットからスマホを抜き出し、自分の服のポケットに入れた。
そして「どうか安らかに」とだけ呟き、男に背を向けて歩き出した。
廃墟には蒼士の足音だけが虚しく響いている。だがそれもやがて消え去り、男がただ寂しくソファにもたれかかっているだけというのが仕舞いだった。
この龍の血脈の男の死は、霧雨には報告されない。身元不明の青い血液の男の死体が廃墟で見つかったというニュースが世間を騒がせるのは、それから数日後のことである。




