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石崎さんが出してくれたお茶を飲んで落ち着いてきたが、歓迎会の始まる時間が近付いて来たので一旦自分の部屋へ戻ることにする。五号室と七号室の高森さんに、まだ渡せていない引越しの挨拶品を持って行く予定だと話すと、石崎さんは駅前で歓迎会に持って行くシュークリームを買って来たのだと言った。
「あぁっ!!」大声を出してしまった。「私そんなこと考え付きませんでした!どうしよう!お土産持って行くとか考え付かなった…どうしよう。今からなんか買ってきます!」
歓迎会に行くのに気が進まないことと、水本のことを石崎さんに話すことに気を取られていたこともあるが、だいたい家に食事に呼ばれることなど経験したことがなかったから、お土産を持って行くなんて考え付かなかったのだ。着ていく服はちょっと気にしたくせに。
「大丈夫だよ!」石崎さんが慌てて言ってくれる。「うちは菜月もお邪魔するし、お弁当ももらったりしてたから、そのお礼もって感じでちょっと買っただけ。木本さん一緒に持って来たってことにしたらいいよ。そんなに気にするなら」
「いえ、そんなこと出来ないです。石崎さんがちゃんと買って来られたのにそんな」
「いいんだって」
「私こういう感じがほんと多いんです。小さい頃からあんまり人と接して来なかったし、親も変わってて全然社交的な人じゃなかったし、一人っ子だし、人より余計いろんなことに気付けなくて。気付いたとしても遅いこと多くて」
「大丈夫だって。気にするな。一緒に持って来たってことにしよ?ね?」
「…ほんとにいいんですか?…じゃあすみません、お金半分出させてください。半分ていうか余分に出します。ほんとすみません」
石崎さんも私のことをすぐに嫌になってしまわないだろうか?
「もう。そんなに謝らなくてもいいよ」石崎さんは優しく言ってくれた。「予定通り五十分に迎えに行くからね」
先に自分の部屋に戻り、小さい紙袋に双子の高森さんに渡すタオルの包みを入れていると、ピンポンとドアチャイムが鳴ったが時計を見ると六時四十七分。約束の五十分よりほんの少し早い。が、すぐにドアを開けると、そこには石崎さん親子ではなく水本がいた。
「え?」声に出してしまった。
「木本ちゃんさ、僕だからいいけど、ドアチャイム鳴ったらちゃんとモニターで一回確認して出ないと」
「…はい…」
「危ないこともあるかもしれないから。ね?」
「…はい…すみません」
「いや、謝らなくてもいいけど石崎さんまだ?」
「…」
なんで来たんだろう。断ったはずなのに。
「いや、そろそろ集合かなーと思って、なんとなく様子伺ってたけど七時になるぞーと思って」
そこへ水本の横から「何してるんですか?」と石崎さんの低い声が聞こえて来た。
「こんにちは!」と水本が元気よく言い、すぐに訂正する。「違った、こんばんはだ。こんばんは、美月ちゃん。菜月ちゃんも」
「こんばんはーー」と明るく挨拶をする菜月ちゃんの声。
ドアを大きく開けると、怪訝な顔で水本を見る石崎さんとにこにこ顔の菜月ちゃんだ。
「ちゃん付けで呼ぶの止めてくださいって言いましたよね?何でここにいるんですか?」石崎さんの声は低いままだし結構トゲがある。
「木本ちゃんが美月ちゃんと待ち合わせして大家さんちに行くって言ってたから、僕も一緒にと思って」
大きくため息を付いた石崎さんが水本を真っすぐ睨むようにして言った。「すみません水本さん、今も言いましたし、前にも言いましたが、名前呼び、マジで止めてください」
「あーー…」やんわりと笑顔を浮かべる水本。
「ほんとの本気で止めてください。今日の歓迎会の間とかも絶対、どさくさで呼んだりしないでください」
「えーー…。どさくさは良くないですか?」
「水本さん、人が嫌がっても普通の感じで押し通して行けば受け入れてもらえる思ってるんですか?今日のこの集合だって木本さんはちゃんと断ったんでしょ?なんで断られてるのに来るんですか?」
どうしよう…。これから歓迎会でみんなで一緒に食事をするのに、石崎さんのトゲがどんどんキツくなる。
「いやーー」
水本はまた語尾を少し伸ばして、ごまかすかのように笑顔を向けて今度は菜月ちゃんに言った。
「ダメかな菜月ちゃん。お母さんを美月ちゃんて呼んだら。美月ちゃんて呼んだ方が可愛いよね」
菜月ちゃんはにこにこ笑っていたがはっきりした口調で言った。「可愛いとは思いますけどお母さんが嫌がってたら止めないといけないです」
小三の子の正論に驚いて一瞬動作が止まる私と水本だ。
「ごめん」と水本が素直に菜月ちゃんに言った。「そうだよね。ごめん」
それから石崎さんにも謝ると、石崎さんは「はい」とだけ答えたのだが、その後に水本が続けた。
「石崎さん、木本ちゃんがモニター確認せずにドア開けたんですよ。石崎さんからも言ってあげてください。僕だったから良かったけど、危ないこともあるって」
なぜそれを今、石崎さんに言い付ける。石崎さんが黙ったまま少し私を睨むので、私は何か言われる前に、「気を付けます!」と力強く謝った。
「水本さん」石崎さんが改まって水本を呼んだ。「先に行っててもらって大丈夫ですよ。私たちもすぐ後から行くんで」
「えーー。すぐ行くなら一緒に行きましょうよ」
そこで石崎さんが聞こえるか聞こえないかくらいの音で「チッ」と小さく舌打ちした。
結局四人で大家さん宅の前に立ったが、前にいた水本はチャイムも鳴らさず、ノックすることもなく、あたかも自分の部屋のような感じで大家さんの部屋のドアを開け、先に入っていった。
中からは誰の声も聞こえない。まだ誰も来ていないんだろうか。
躊躇していると石崎さんがそっと私の背中を押して中に入らせてくれた。奥の部屋からピョコっと顔を出した水本が手招きをする。そしてまた奥の部屋へ消えた。
靴を脱いで奥まで進んで、水本が消えたドアを開けると、いきなりクラッカーを鳴らされた。一個や二個ではない。二十個くらい立て続けに鳴らされ、怯む間もなく続けざまに結構な量のカラーテープが飛んできた。
唖然としていると、大家さんが手を大振りに振って私たちの紹介をしてくれた。「今度越して来た木本春花ちゃんです!そしてちょっと前に越して来た石崎美月さんと菜月ちゃんです!」
立ちすくんでいたら、先に石崎さんと菜月ちゃんがぺこっとお辞儀をするのが見えて、私は慌てて真似をした。
部屋には楕円形の大きめのテーブルがあった。私の使っている部屋の奥の間の倍の広さがあるそこは、たぶん二号室までぶち抜いて一部屋にしているのだろう。
テーブルを囲むように立っていたのは、左から順番に大家さん。今日は紺色のパーカーを着ている。その横にショートヘアの上品でとても美しい初老の女性。この人が奥さんだ。とても大家さんと同じ歳とは思えない。別に若作りしているわけでもないのに、石崎さんが言っていた通り、神々しさのある美しさ。私の抱いていたイメージと全然違った。ショートの髪は大家さんほどではないが白髪が多いのに老けた感じは全くしない。クリーム色に緑と黄色の小花が散ったデザインのブラウスがよく映えて、凛としている。このくらいの年配の人でこんなに綺麗な人は初めて見たくらいの美しさ。テレビや映画の中の年配の女優さんでもなかなかいないような気がする。今私に向けてくれている微笑みも眩しい。
その隣は、おそらく石崎さんと同じくらい年齢の、少しやせ気味の黒いシャツを着た男の人。この人が双子の高森さんの弟の方だろう。水本よりももっとあっさりした、若干暗い感じのする塩顔系だ。そしてその隣二人は強烈な双子だった。
実際私がこの部屋に入って目を奪われたのはこの双子だ。女子プロセスラーかと思うようなやたらガタイの良い、オレンジ色に染めた髪をツインテールにした双子。二人の身長は180センチを軽く超えていると思う。まるでアメリカンコミックから抜け出て来たようなキャラ。お揃いのオレンジ色のジャージの上下を着て、顔つきもごついところがあるのだけれど、どこか可愛らしい感じもする全くの瓜二つの顔。二人の違いが全くわからない。全く同じ顔、全く同じ髪形、全く同じ服装。部屋に入ったとたん二人に釘付けになったが、二人もこちらを凝視していて、その目力に目を反らして他の人の様子も見ながら、それでも常に二人をチラチラと意識する私だ。
この双子はここの住人ではない。いったい誰で、なぜここにいるんだろう。
そして、その双子の隣が大家さんの奥さんに劣らない神々しさのある美人。高森さんの双子の姉にしては若過ぎる。私より2、3歳年上にしか見えない。外見の美しさから考えて、大家さんの奥さんの身内かもしれない。長い髪を後ろでまとめ、白いレースのブラウスを着て清楚な感じ。ほぼスッピンそうなのに透明感のある美しさ。何だか自分の仕事帰りの、疲れ切って汗をかき、下地クリームも取れかかった顔がとても恥ずかしくなってきた。
そしてその隣には先に部屋に入った水本がいた。




