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ちょうどおにぎりを食べ終えたときに、石崎さんからラインの返信が来た。
「お疲れ様
今日も水本来たんだね
図鑑のこと教えてくれてありがと
あの図鑑菜月のお気に入りなんだよ」
そしてウサギが「気にしないで」と言っているスタンプを送ってくれたので、私もカエルが頭を下げている謝りスタンプを返しておいた。
良かった。普通な感じの返事来た。でもあんまり細かいことやどうでもいいことは送らないように、ちゃんとある程度は距離を保つように気をつけよう。
「あれ?同じコーポの人じゃない?」
昼休憩を終えて職場に戻り、売り場の整理をしていると声を掛けられた。
夕べ手品のことをずっと考えて眠れなかったし、昼食を食べたことで少し眠たさを感じながらぼんやり整理をしていたので、急に顔を覗き込むようにして話しかけられて驚いた。
高森美々だった。高森姉だ。
私は同じコーポの人が短時間で二人も来店したことにも驚いている。
「なんか眠たそうだね」
高森姉はキラキラと眩しい笑顔でそう言った。
苦笑いをする私だ。「…はい。なんかお昼食べた後なので…」
ふふふ、と笑う高森姉の笑顔は本当に綺麗だ。
今日の高森姉はクリーム色に黄緑色の花模様が散った厚手のブラウスにゆったりとした薄桃色のカーディガン、それに濃いめのジーンズを履いていた。普通の服なのにとてもおしゃれに見える。
挨拶と夕べの歓迎会のお礼の後に、とりあえず当たり障りなく「お買い物ですか?」と聞いてみた。午前中に水本も来たことを話そうかと思ったが止めた。
「ううん」高森美々は首を緩く振った。「お買い物じゃないよ」
ショッピングモールに来て、お買い物じゃないのか。じゃあウィンドウショッピングとか?学生参考書の棚に何の用事だろう。
「うそうそ。本当はお買い物。奥さんに頼まれたお茶の専門書を探しに来た。ずっと見て回ってたら、なんか木本さんぽい人いるなあって思って来たとこ」
なんで一回買い物じゃないって嘘ついたんだろう。
お茶の専門書がある場所へ案内すると、そのそばの棚でゴルフの本を見ていた三十歳くらいの男の客が、高森姉の美しさに見とれた。
私はどうしても聞きたくなって、高森弟の手品について聞いてみることにした。いつもならまだ良く知らない相手に自分から何か聞こうなんて思うこともないのに。
姉ならきっとある程度のことは知っているはずだ。
「夕べの弟さんの手品すごかったです。びっくりしました。あんな…魔法みたいな手品初めて見ました」
「手品?」
高森姉はなぜか、意外なことを聞いたような感じで聞き返してきた。
「はい。手品すごかったです」
「すごかった?」
「はい、とても」
「魔法みたいな?」
怒ってはいないけれど、喜んでもいないような淡々とした口調で聞き返す高森姉だ。私の言い方がうまい誉め言葉になっていなかったのだろうか。もうちょっとうまく何か付け足そうと思っているところに、高森姉は少しムッとした感じで言った。
「あれぐらい私も出来るから」
「え⁉そうなんですか⁉」少し大きめの声を出してしまい、自分で慌ててしまう。「それはすご…」
「嘘だけど」
私の言葉に被せるようにして高森姉は言った。しかも笑ってもいない。真顔だ。なぜそんな嘘をつくんだろう。私は返す言葉を失ってしまった。
高森姉の美しい真顔に、冗談か、本当に嘘をつきたくて言ったのかも判断できない私は、空いてしまった妙な間に焦って来て、何も喋らない方がいいのだろうかと思いながらもつい続けて聞いてしまった。
「最後箱の中に全部出て来たものが消えましたよね?あれってどんな風になってるんですか?」
「箱?」きょとんとする高森姉。
「手品で最後動物が消えた黒い箱です。全部出て来たものが消えたのが、本当はどんな風になっているのかと思って」
「本当はどんな風に?」
「いえ、動物が最後どこに行ったのかっていうか…そもそもどこからあんなにたくさんの動物を用意したのかっていうか…」
美し過ぎる高森姉に凝視されて、うまく喋れない。
高森姉はきょとん、とした顔で答えた。「いや、私は知らないけど」
姉弟でも手品の種は知らないのか。でも私が聞きたいのはそこじゃない。
「出て来て、最後箱に消えた動物なんですけど、あんなにたくさん普段どこで飼っているのかなとか思って…」
普段なら私は誰に対してもこんなに質問しない。突き詰めて人と話すのが怖いのだ。でも聞いてしまった。あの手品が本当に魔法のようだったから。こんなに今度はにっこりと笑って高森姉は答えた。「いや、あれは手品だから。私は種は知らないよ。教えないでしょ普通種って。姉弟でも教えないよ、あの子。プロでもないくせにそこらへんのプライドあるから。でもまあ種あかしなんて簡単にしちゃうと、手品なんて面白くなくなっちゃうもんね」
「…そうですよね」
「そうそう」とうなずく高森姉。「でもどうしても気になったら、私じゃなくてうちの弟に直接聞けばいいんじゃない?…まあたぶん教えてくれないと思うけど。だって手品なんだから」
案内してくれてありがとう、と言って本を吟味しはじめた高森姉に、「ありがとうございます、ごゆっくりどうぞ」と普通の客に対してかける挨拶をして自分の売り場に戻った。
今の高森姉との会話を石崎さんに教えたくなってきたが、余計なことまで喋る人だと思われたら嫌だから、やめておこう。石崎さんは高森姉とはどれくらい交流があるのだろう。夕べの歓迎会ではそれほど話をしているようではなかったけれど。
そしてその三十分後くらいのことだ。一旦店の外にある従業員用のお手洗いに行き、また自分の担当売り場に戻るために文具コーナーを通ると、そこでボールペンを探している高森弟がいた。
驚いた。三人目!そして手品の張本人!と心の中で叫んでいた。コーポの住人が一日に三人も来るなんて。しかも質問したかった本人が来るなんて。高森姉と一緒に来たんだろうか。
高森弟は今日も黒いシャツを着ていた。土曜日だから勤め先の高校も休みなのだろう。
高森弟も私に気付いて声を掛けてきた。「あれ?コーポの人ですよね?」
どうしよう、と私は思う。本人に手品の種について聞いていいのだろうか。
それでも手品の話をすぐには切り出せないし、もしかして高森姉と待ち合わせをしているのかもしれないと思い、挨拶をしたあと言ってみた。
「さっきお姉さん…美々さん来られてましたけど、もうこの本屋は出られたみたいです」
「へーー。そうなんだ。姉ちゃんも来てたのか」
一緒には来てないのか。まあ大人の姉と弟だからそんなに一緒に行動しないのか。でも『姉ちゃん』と呼んでいるんだな。あんな綺麗な人を。
このショッピングモールはコーポから五キロくらい離れているけれど、いろいろな店舗があるから、コーポの人たちもみなここを利用しているのだろう。
「ごめん、このボールペン用の替え芯なんだけど」と高森弟は聞いてくる。
文具の担当に聞くのが早いのだが、文具担当もイケメン好きの高田さんと同じくらい塩対応の人なので、私が問い合わせたくなくて替え芯を一緒に探すが、棚になかったので下のストックから見つけ出し渡してあげた。
良かった。同じコーポの人に職場で塩対応されているのを見られずにすんだし、高森弟に感謝された。そしてもちろん夕べの手品のことを聞きたい。水本に聞いても、姉に聞いても、本人に聞いてみたらと言われたのだ。その本人が目の前にいる。聞いてもいいのだろうか。手品の大事な種のことを。夕べもほとんど話をしなかったのに。水本も高森姉も種は明かさないだろうと言っていたし、あまり根掘り葉掘り聞いたら気を悪くするかもしれない。でもどうしてもあの動物たちの行方が気になる。
意を決して私が「夕べの手品…」と言いかけたら、高森弟も同時に「手品の…」と言いかけて被ってしまい、お互い少し慌てる。なんでしょう、と聞いてみると、手品の本はどの辺りに置いてるかと聞いてきた。
「手品の本⁉」
静かな書店の中で大きめの声で聞き返してしまった。今のが店長や他の社員さんに聞かれていて、後で注意されなきゃいいけど。
でも手品の本いる⁉あんな魔法みたいな手品出来る人が?今更本を買って何を学ぼうと言うのだろう。
「手品の本ですか?」ともう一度聞いてしまった。
「恥ずかしいんだけどね」と本当に恥ずかしそうに照れて答える高森弟。
何が恥ずかしいのか全くわからない。
「高森さんの夕べの手品すごかったです。もうあんなすごいの初めて見ました。テレビでやってるのとかよりめちゃくちゃすごかったです。びっくりしました」
「え~~、そんなことないよ」普通にまた照れる高森弟。「木本さん褒めるのうまいねえ。ありがと」
当たり前に謙遜している感じで答えられて、肩透かしだ。
「でもねえ」と少し困った顔をして見せて高森弟がこそっと言う。「独学だからねえ…いまいちちゃんとした…」
「独学⁉」
また結構大きめの声で聞き返してしまい、慌てて口を押えた。
また少し恥ずかしそうに高森弟は言った。「いまいちちゃんとした基本がなってないから、こう段取りがぎくしゃくするって言うか、手の感覚とか器用さの問題かもしれないんだけど」
何言ってるんだこの人。
ぶんぶんと首と手を大きく振って見せる私だ。「そんなこと全然!ないです!ぎくしゃくなんて全然してなかったです。魔法みたいでした」
「いや褒め過ぎでしょ」高森弟は苦笑してみせる。「そういう風に言ってくれても、実際僕自身がそう感じ出るわけだから」
「…すいません、なんか…」
ごく普通の感じで話しているけれど、もしかしたら私はからかわれているのだろうか。ついその顔をまじまじと見つめてしまった。
独学であんな手品ができるわけがない。それじゃあ本当の魔法使いだ。真顔でからかわれてるのではないかと思ったら少しムカついてきたので、私は遠慮しないで聞くことにした。
「あの手品でたくさん出て来た鳥とか猫とかっていつもはどうしてるんですか?」
「いつも?」きょとんとする高森弟。
「あの数を飼うのってあのコーポだと無理じゃないですか。どうやってお世話してるのかなと思って」
「ハハハハ」と高森弟は面白そうに笑った。「あれはでも手品だから。手品の時には出て来るけど」
何言ってんだこの人、とまた思ったし、高森が真顔過ぎてちょっと怖くなってきた。
「木本さんて人見知りそうなのに、そういうのはちゃんと聞いてくるのは面白いね」
手品師に対して絶対聞いちゃいけないこと聞いてしまったのだろうか。
「…すみません、でも…」
「いや、全然全然。でも僕はプロじゃないからいいけど、本当のプロの手品師に種を聞いちゃダメだよ。大事な種はみんなそうそう教えないから。僕だってプロじゃないけど、種は大事な秘密だから」
プロじゃないからを三回言った!
「…すみません」
怖いからとりあえず謝る私だ。
「見る方も面白くないでしょ?種がわかっちゃったら」
もう、「はい」しか言えなかったが、あんな魔法みたいな手口の手品を、水本も高森姉も、そして高森弟本人も、あくまで普通の手品だと言っているのが怖い。
手品で登場した鳥や動物の行方が分からず、恐ろしくモヤついた気持ちが残った。




