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 みなで片付けを手伝い、奥さんが焼いたクッキーをお土産にもらって会はお開きになった。

 石崎さんにお礼を言おうと思ったら、石崎さん親子は真っ先に大家さん宅を出て、帰って行ってしまっていた。帰りも一緒かと思っていたので少し寂しい。コーポ内のことだし、九時を過ぎているから菜月ちゃんが早く休まないといけないためかもしれない。それとも水本を警戒したのだろうか。

 自分の四号室に入ろうと鍵を開けた時に、水本も後ろからやって来て三号室の前に立った。

「おやすみ、木本ちゃん。楽しかったね!」

私もお辞儀をして挨拶をする。「はい。ありがとうございました。おやすみなさい」

「おやすみーーー」

もう一度明るくおやすみを言ってくれて、水本は自分の部屋の中へ入っていった。


 楽しかった。

 あんなに行きたくない気持ちが強かったのに、楽しくて嬉しかった。そしてとても美味しかった。

 そしてずっと、何をしていても一連の手品を思い出してしまう。歯磨きをしても、風呂に入っても、髪を乾かしても布団に入っても考えてしまい、なかなか寝付けなかった。ずっと、あの時の鳩やインコやウサギが私の頭の中をぐるぐると走り回る。高森弟のあの手品の腕。しかもあれが本職ではなくて実は高校の先生なんて信じられない。

 手品もすごかったけれどオレンジ姉妹も強烈だった。高森姉弟は全然似ていなくて全く双子には見えなかったけれど、二組の双子を一度に間近で見るなんて初めてだった。高森姉もとても美人だったが、石崎さんが言っていたように大家さんの奥さんもウソみたいに綺麗だったし、料理もどれもとても美味しかった。

 石崎さんは水本を嫌がっているが、石崎さんを見るときの水本はとてもうれしそうだったし、菜月ちゃんにも優しかった。石崎さんのことを普通に恋愛対象として好きなだけじゃないだろうか。歳は水本の方がだいぶ年下かもしれないけど、二人並んでもそこまで違和感はないように私は思う。年上が好きな男の子は割といるし、出会って二週間だとしても純粋に石崎さんに好意を持っているように私には見える。若くて見た目も結構良い水本に好意を寄せられているのに、石崎さんは少しも嬉しくはないのだろうか。私は少し、というよりだいぶ羨ましい気持ちもする。

 水本はどんな手品が出来るんだろう…。


 そしてやっぱりどうしても、高森弟の魔法にしか見えなかった手品を繰り返しぐるぐると思い出し、もしかしたら、あの出て来て消えた動物たちは、空室になっている六号室で飼っているんじゃないかと思った。あんなにたくさんの鳥や猫をそんなわけはないだろうが、寝付けないまま耳を澄ましてみる。ここは大通りから少し入った私道の奥にあるので、車も通らず夜はとても静かだが、特に何の音も誰の声も聞こえない。石崎さん親子はとっくに眠ってしまったんだろうな…。

 ずっと手品のことを考えていたので、結局私は夢にまで見てしまった。高森弟の手品をみんなで見ているうちに、私一人だけいつの間にか自分の部屋に戻っていて、うちのまだ荷ほどきをしていないいくつかの段ボールから次々にウサギが飛び出してくる夢だ。部屋中ウサギだらけ。ウサギは走り回り、段ボールをかじり、部屋のあちこちにポロポロうんこをして、最後には窓からぴょんぴょん飛んで出て行ってしまった。


 手品の夢を見たせいで、起きてすぐからまた、私の頭の中では夕べの手品の様子が繰り返された。今日ずっと仕事中も考えてしまいそうだ。習いたいとまで言っていた菜月ちゃんも手品の夢を見たんじゃないだろうかと勝手に考える。

 それから昨日買って来ておいたサンドイッチを食べながら、オレンジ姉妹のことも考える。見た目だけじゃなく、食べ方もインパクトあったなあ。

 自分でも少し嫌になるくらい手品とオレンジ姉妹のことを繰り返し思い出しながら身支度をして、部屋を出て駐輪場に回ったときに、私の自転車の後ろタイヤの脇に猫がいるのが見えた。昨日の黒猫だ。今日は結構距離が近い。かがんで黄色い目でこちらをじっと見ているのが可愛い。

 距離が近い猫に気を良くして、「おはよう」と言ってさらに少し近付いてみると、猫は逃げずに腰を下ろしたまま、少し肩をすぼめたような姿勢でこちらを見ているので嬉しくなる。

 もう一度「おはよう」と言うと、今度は小さく短く「にゃ」と鳴いてくれた。

 挨拶してくれた!とても嬉しい。可愛いな。やっぱり大家さん宅で飼っているんだろうか。何て名前だろう。

 調子に乗ってもう一度「おはよう」と言ってみた。が、今度は答えてくれずに頭を前に落として自分の胸のあたりの毛づくろいを始めた。無視はされたが毛づくろいも可愛い。

 けれど私が二歩近付くと、パッと踵を返すようにして、向こうの菜園の方へ駆けていき草の陰に隠れてしまった。

 そう言えば菜月ちゃんが、水本は猫と遊ぶのがうまいと言っていた。どんなふうに猫と遊ぶのだろう。人にも猫にも気安い人なんだろうか。


 職場の書店に着き、なるだけ手品のことを頭から追い出して仕事をしようとするが、ちょっと油断するとまたすぐに夕べの様子が浮かび上がる。

 書店の仕事は本に囲まれて、体力も使わずレジでブックカバーを付けて売るだけと考えている人がいるらしく、私も面接の時に、楽そうだと思って求人に応募してくる人がいるけれど体力使いますよと釘をさされた。実は書店のアルバイトは初めてではなく、実家のある田舎のスーパーの中にある本屋で働いていたが、本当に小さな本屋だったので、今いる大きな書店の仕事とは比べ物にならない。本の売れ行きがあまり良くないと言われているが、それでも大型書店は雑誌も本も入荷する数が多く、結構な量の段ボールをさばかなければいけないのだ。楽だと思って入ってすぐ辞める人も割といるらしい。


 朝の新刊の検品と各ジャンルへの新刊の振り分け、そして自分の担当の学生参考書の新刊の棚入れ作業をいつも通り終えたが、今朝は開店挨拶の当番になっていたので、店舗のシャッターを開けに行く。当番はショッピングモール全体の開店のチャイムと同時に店のシャッターを開け、店のすぐ前に立ち開店と同時に入店してくる客への挨拶をする。客一人一人に「おはようございます」、「いらっしゃいませ」と、割と声を張って言わなければいけないので、客の方は当番のことなんて見てはいないのだが苦手な気がしてしまう。

 土曜日なので、いつもより開店から入店する客が多い。当番を終えてレジの裏にある事務所から、自分の担当の学生参考書の棚に行く途中で実用書の棚の通りを通ったら、菜月ちゃんが見ていたハンディタイプの『道端で見かける草花雑草図鑑』が平台に平済みしてあるのを見つけた。

 手に取って見てみると、実物大の写真や、雑草のほんの小さな花を何十倍、何百倍に拡大した写真に、読みやすい説明が付いていてとても見やすい。

「あれ?木本ちゃん?今日は違う売り場にいるんだね」

「ふえ?」

いきなり水本に声を掛けられて変な声を出してしまった。びっくりした。

 ハハハと水本は笑ってから言った。「ふえって何?」

「…いえ。急に声かけられたんでびっくりして。…昨日も来てたから…」

ハハハハ、とまた水本は笑った。「そうそう。昨日も来たよ。そいで今日も来た」

「…あ、ごめんなさい」

水本がにこにこ顔で言う。「今日朝の挨拶してたね」

言いながら水本は店の入り口の方を指差した。

「え?通りました?前。私全然気付きませんでした」

「いや、前は通ってないよ。あっちの絵本のコーナーの入り口の方から入って来た。入るとき、『あれ?木本ちゃん!』て思って、ちら見したよ」

「…あ~…」うまい相槌が打てない。

「うそうそ」水本は笑いながら言った。「本当はばっちり見てたけどね。木本ちゃん人見知りなのに挨拶当番させられてる、苦手そう~って思って」

「…」嫌だな。

「で?今日は参考書のところの係じゃないの?」

「いえ、そっちですけど」と自分の担当している棚の方を指差しながら言った。「なんか菜月ちゃんが見てた本があったから」

「菜月ちゃんが?」

まずい、と思ったが遅かった。言わないでいいことを言ってしまった。

「へーー。どれ?どの本?」

「…これですけど」

本を指差しながら、心の中で石崎さんに懺悔した。石崎さんごめんなさい。余計な情報を水本に与えてしまいました。

「へーー。綺麗な本だね。大人用かと思ったけど、子どもでもちゃんと見れる感じだ。石崎さん、やっぱすごいな。さすがなお母さんだよね!」

それには頷き、自分の仕事があるので、と言って去ろうとしたが、水本は私の後を着いて来た。

 まだ菜月ちゃんのドリルを探しているんだろうか。懲りないな。休憩のときに菜月ちゃんの図鑑の事を教えたことを石崎さんにラインで謝ろう。そして、今日も水本が来たことを告げ口しよう。

 少し冷たい感じでつい言ってしまった。「まだ菜月ちゃんのドリル探してるんですか?」

「違うよ。昨日木本ちゃんに教えてもらった通り、石崎さんに黙ってそんなことはしないよ。もうちょっと仲良くなってからじゃないと、そういうことしたら木本ちゃんの言う通り嫌われるもんねぇ」

 そして今日は高校生用のテキストを買いに来たという。仕事に使うと言って、自分が塾で講師をしていることを教えてくれた。塾の講師をしているのを知っていたかと聞くので、ちらっと聞きましたと答えた私に、「ちらっとかーー」と変な相槌を打つ。もしかして石崎さんから聞いているかという意味で聞いたのだろうか。

「水本さん、自分で昨日言ってましたよ。ここに来たとき」

「え?そうだった?」

 それから今日は昼から出勤なのだと教えてくれて、高校生用の商品の棚に移動してテキストを選び始めたので、私はそっと小学生の商品の棚に移動して自分の仕事を続けた。





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