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片付けが終わり椅子に腰掛けて待っていると、一度部屋から消えた奥さんが戻ってきたが、何かよくわからない重そうな照明器具のような機材を運んできた。そして部屋の隅で機材のセッティングを始める。若々しい奥さんではあるけれど、こんな重そうなものを軽々と、手早く運び込む様子に驚いていると、その後から高森弟が入ってきたが、元から来ていた黒いシャツの上に銀のスパンコールの付いた黒いジャケットを羽織り、シックな黒紫のネクタイを付けて大きな黒い箱を抱えていた。
「「ぴゅううううううう~~!!!」」
野太い指笛が鳴ってビクっとしたが、吹いたのはオレンジ姉妹だ。
奥さんが機材のセッティングをしている間に、高森弟は黒い箱を床に置くと、いろいろな道具を取り出し、窓際に移動してあったコンパクトサイズのテーブルの上に出していき、チェストをあさっていた大家さんも、そこから出した道具を同じくテーブルに並べていく。そして機材のセッティングが終わった奥さんによって、パチン、と美しく、部屋の電気が消された。
暗くなった部屋に鳴り響いてきたのは『オリーブの首飾り』だった。手品といったらかかる定番の曲。音が鳴り始めると、高森弟にふわっと、ほの青いスポットライトが当たった。
「「ぴゅうううううう~~!!」」
もちろんオレンジ姉妹の指笛で、もちろんまたビクっとした。
照明が赤、青、黄、緑とパラパラと変わり、それがだんだん早くなり、また暗転してからパッと黄色いスポットが高森弟に当たって手品は始まったが、それはもう夢の世界の出来事だった。夢のような、ではない。夢としか思えないような手品だった。
まず最初はありきたりの、棒が花束に代わるとか、何もなかったはずの握ったこぶしの中からずるずると果てしなく万国旗が出てくるとか、ひらひらのバンダナからコップにジュースを注いで見せるとか、菜月ちゃんに選ばせたトランプの札を五回連続当てて見せるとか、そういった古典的な手品からはじまったが、その手際は、それまで見ていた高森弟の地味な見た目からは考えられないキレキレ感、切れ目なく繊細な動きで、だんだんとそれは速度を増し、あまりに手早く目の前で展開され、くるくると出し物は変わり、それはもうプロの概念を超えて人の手で行われているとは思えない程だった。
途中で何度も菜月ちゃんが「魔法みたい」とつぶやいた。本当にその通りだ。趣味でやっている程度だろうと勝手に考えていたが大間違いだった。
照明のスポットがパッ、パッ、と変わるごとに、高森弟の手が、花びらを、ハンカチを、トランプを、コップを、触るだけでそれらは勝手に動き、勝手に主張し、宙までも舞い、服のあらゆるポケットからは鳩や、赤や黄色や青いインコがバッサバサと、数えきれないほど次々に飛び出し、クルクルと変わる照明の中で、キラキラ光る花吹雪も降り注ぎ、そのまま片付けきっていなかったクラッカーのゴミや千切れた紙テープも混ざって、色とりどりのいろいろなものが部屋の中を舞う。部屋全体も少し広がって見える程、食事の時とは違う空間にいるみたいだった。またすぐに飛び回る鳥たちと変わる照明に目を奪われていると、バン!と音がして部屋が真っ暗になり、一瞬で部屋の中は静かになった。すぐに高森弟にまたスポットが当たった時には、その肩の片方には灰色の鳩が一羽、もう片方には黄色とオレンジのインコが一羽ずつ二羽乗って、高森弟と一緒に私たちの方をじっと見ていた。その鳩がつんつんとスパンコールの付いた黒いジャケットの肩を突くと、その裏側から白や黒や茶色のぶちやいろいろな色の子猫が二十匹くらい次々に飛び出し、そしていつの間にか被っていたシルクハットからは灰色のウサギが十羽くらい出てきて、部屋の中を駆け回りはじめ、照明もそれを追い、私たちはみんな床から足を持ち上げ、それでもとめどなくまた天井から紙吹雪は舞い、少しテーブルの端で休んでいた鳩やインコもまた飛び回り出し、くるくるくるくる、くるくるくるくる…、『オリーブの首飾り』がリピートされる中照明も回り、色とりどりのいろいろなものが部屋の中を舞った。
見ていて怖くなるほどだった。いや、本当に少し怖かった。
こんな中途半端な田舎とも街中とも言えないところにある、こんなコンパクトなコーポに住んでいる手品師の技とは思えない。テレビやショーに十分出演できる技量…、いやそれ以上だ。こんな小さな街にいて手品師としての仕事なんてあるんだろうか。もしかして全国巡業して回っている有名な人?
動物たちが走り回る合間にも、高森弟の魔法の手はいろいろな道具に入っているものを入れ替えさせ、尖っているものをぐにょぐにょに柔らかくしたり、真っ直ぐなものをクネクネにしたり、小指の先くらいの球を何メートルもあるロープに変えたり、そのロープが勝手に蛇のようにしゅるしゅると動き回ったり、周りの何もないところを空気を掴むようにパッ、パッ、とつかんでいつの間にテーブルに置かれたガラスの金魚鉢の上に手をかざすと、何もなかったはずの手からは赤い金魚が出て来て金魚鉢の中を泳いだ。
止めどない。
目が回る。
隅に寄せられたテーブルの下も、私達が腰かけている椅子の脚の間も、子猫とウサギが走り回る。その合間にも音楽をかき消すくらいの大きさでオレンジ姉妹が合いの手のように指笛を入れ拍手をして、他の人たちも声を上げたり拍手をしたりしていたけれど、私は圧倒されてただ見ているだけだった。ちらっと石崎さんを見たら石崎さん親子も拍手をしながら二人とも口をぽかんと開けて見入っていた。
すご過ぎる。この動物たちはこの後どうするんだろう。いやその前にどこから用意して来たんだろう。
ポン!と高森弟がどこからか取り出したのかもわからない、いつの間にか持っていた杖でテーブルの下に置いていた黒い箱を強く叩いた。みんなが静まり、照明が黒い箱に真っすぐに当たる。すると、走り回っていた猫やうさぎたちもぴたりと動きを止め、飛び回ったり飾り棚や食卓の脇に止まっていたハトやインコも一斉にその箱めがけて飛び込みはじめた。蛇のようにくねくねとうごいていたロープも、紙テープもだ。その中に全部の動物や散らばっていた道具も、ひょん、ひょん、と吸い込まれるように入っていく。とうてい箱に収まりきらない量のものが、ひょんひょん、ひょんひょん…
全てが片付くと高森弟は杖を振りかざして段ボールの端を叩いた。
音楽が止まった。そして蓋も閉まった。パタン。
もう何の音もしない。まるでその箱には何も入っていないかのように。
照明が暗転してすぐに普通の照明に戻った時には、床の段ボールは消え高森弟の姿もなかった。
パチパチパチパチ…鳴りやまない拍手だ。私も拍手した。オレンジ姉妹はまた指笛を吹き鳴らし、興奮して脚もドスドスと踏み鳴らしてしまったので、大家さんに「もう夜遅いからね」とやんわり注意されていた。拍手しながらも私はただぼんやりと、今見た光景が信じられなくて、黒い箱のあったテーブルの下を見つめる。板が外せるようになっていたのかもしれない。でもそんな跡もない。みんなの足元には取り残された銀色のキラキラした花吹雪が少しだけ散らばっていた。
「高森さんて…」やっと石崎さんに声を掛けた。「手品師なんですね。すごかった…」
「うん。びっくりした。…でもね、私も信じられないんだけど、高森さんは手品は趣味でやってて、高校の物理の先生をしてるって聞いたんだけど」
「趣味で!」つい大きな声を出してしまった。
「ね~すごいよね。プロっていうか、テレビに出れるのにって思った」
「魔法みたいだった!!」菜月ちゃんが言った。
うんうんと、石崎さんと私がうなずく。
私たちの言葉が聞こえたのかオレンジ姉妹も声を合わせた。「「魔法だよな~~!」」
「お母さん!」菜月ちゃんが興奮した声を出す。「私も手品習いたい!!」
「「うちらも習いたい~~~!」」
オレンジ姉妹が二人そろって腰をかがめ、菜月ちゃんに優しくハイタッチした。
歓迎会の間は特に石崎さんに話しかけることもなかった水本が、菜月ちゃんに話しかけた。
「あんなの出来たらすごいよね?菜月ちゃん」
石崎さんの顔色がほんの少し変わったのがわかった。
「ほんとすごかった!」力強く答える菜月ちゃん。「また見たい!」
「ね~!」
小首を傾げて菜月ちゃんに同調する水本を白い目で見る石崎さんだ。本当に一瞬白目をむいたので、私は笑いそうになった。それでも菜月ちゃんは屈託なく水本に話す。
「あんな魔法みたいなの初めて見た。テレビに出てる人よりすごかった!」
「実は」と水本が言う。「僕もちょっとできる」
「え⁉」菜月ちゃんが目をキラキラさせて聞き返す。「すごい!お母さん、水本さんも手品ちょっと出来るんだって。すごい!どんなのが出来るの?今度見せてくれる?」
「菜月」水本の発言に食い付いた菜月ちゃんを石崎さんが静かにたしなめた。「もう遅いからお片付け手伝って帰ろ」
石崎さんは少しかがみ、菜月ちゃんの耳元に口を近付け、菜月ちゃんにしか聞こえないように何かを囁いた。それを見つめる水本をチラ見する私。
水本も手品出来るなんて。ちょっとだけと言っていたけれど、どんな手品が出来るんだろう。私も見てみたい。




