第九十三話 ハルクたちの過去
スノーが小声でつぶやく。
「……やっぱり、ハルクさんってすごいね。あの人が話すだけで、空気が変わるもん」
「だろ?」
ウィングが口の端を上げる。
「オイラ、最初はあの人のこと“胡散臭ぇ奴だ”って思ってたんだぜ」
「え? ウィングさんが?」
スノーが驚いたように目を丸くする。
ウィングは頭を掻きながら苦笑した。
「当時のオイラは……正直、やさぐれてた。
獣人ってだけでどこでも煙たがられてよ。
“人助け? バカらしい、誰が得すんだよ”って、そんなことばっか考えてた」
彼は遠くを見るように目を細めた。
「そんな時、ハルクに声をかけられたんだ。
“協力したら報酬は弾んでやる”ってな。……今思えば、あれ、完全に釣りだったんだよ」
「釣り?」
ハウンが興味深そうに問い返す。
ウィングは肩をすくめて笑った。
「ああ。盗賊に襲われた村を助けたらしい連中がいて、オイラもその依頼に乗った。
“どうせ金になるなら”って軽い気持ちで。
でも――終わってみたら、村の連中が泣きながらオイラたちに礼を言うんだよ。 “ありがとう”って」
スノーが静かに耳を傾ける。
「その時ハルクさんが言ったんだ。
“報酬は、笑ってくれた人の数だと思え。金はあとからついてくる”ってな。そんなんじゃ腹は膨れねえって、後からじゃなくて今金ががほしいって言ってやったんだよ」
ウィングは苦笑しながら、拳を軽く握って見せた。
「そしたら“じゃあ奪い取ってみろ”って言いやがってな。掴みかかったら、軽く捻られた。
あんなふうに地面に叩きつけられたの、あの時が初めてだったな。
獣人になってからは、喧嘩で負けたことなんてなかったのにさ」
彼は自嘲気味に笑いながらも、どこか誇らしげだった。
「そのあと、ハルクさんが手を差し伸べて言ったんだ。
“立て。強さは誇るもんじゃない、分け与えるもんだ”ってな。
……その瞬間、やっと気づいたんだよ。“誰かのためになること”って、こんなに気持ちいいのかって」
ウィングは湯気の残る窓をちらりと見やり、
「……ま、オイラが“真面目に戦う”なんて言い出した時は、
ハルクさんも驚いてたけどな」と苦笑した。
「そのあとがすごかったんだ。あの人の指揮と腕前は桁が違う。
オイラもボンゾウも、最初はただついてくだけで精一杯だった。
けど……いつの間にか、“英雄のパーティ”って呼ばれるようになってたんだ」
ハウンが小さく息をのむ。
スノーは目を輝かせながら、「え、英雄?」と聞き返した。
ウィングは頷き、懐かしそうに笑う。
「そう――あの頃は、まさに快進撃だった。 五人でどんな依頼もこなした。」
「俺とボンゾウは獣人、残りの二人も獣人だったけど――あの人が中心にいつでもいた。」
ウィングは少し目を細める。
「“鋼爪のリガン”―豪胆な戦士だった。どんな巨躯の魔物にも正面から挑んで、笑って返り血を浴びるような奴だったな。もう一人は“風牙のミルナ”。弓使いで、風の魔術を操る女傑だった。戦場で風が唸れば、それはミルナの矢が通った合図だったよ」
「そうさ。ハルクさんのもとで五人は無敵だった。国中から依頼が舞い込んだ。でも……あの戦いで、全てが変わった」
「Aランクの依頼――“黒鎧竜”の討伐だ。
街のひとつやふたつ、簡単に滅ぼしかねない化け物だった。
全身が黒鉄のような鱗に覆われ、どんな矢や刃も弾き返す。
翼をひと振りすれば、石壁が粉々に砕けた」
彼は苦く笑った。
「兵士団があたふたしててな。前線が完全に崩壊してた。
“あの怪物に人間の軍隊は通じねぇ”って、誰もが口にしてた。
それを見て、ハルクさんが言ったんだ――“見捨てるな。俺たちが行く”って」
スノーが小さく息を呑む。
ハウンは真剣な表情で耳を傾けていた。
「戦場に入った瞬間、空気が違った。
リガンが正面から立ち塞がり、ミルナが風で援護。
ボンゾウとオイラが左右から牽制して、ハルクさんが全体の流れを読んでた。」
しかし――ウィングは拳を握りしめる。
「バルグレイアの咆哮は、嵐みてぇだった。一瞬で大地が割れ、瓦礫と兵士が宙に舞った。ミルナは風の障壁を展開して兵を守ったけど……それで自分が下敷きになった。ルガンは最後までハルクさんの前に立ち、“行け!”って叫んで突っ込んだ。
……二人とも、あの場所から戻らなかった」
ボンゾウが静かに息を吐き、沈んだ声で言葉を続けた。
「……リガンとミルナの奮闘があったからこそ、“黒鎧竜”は倒せた。あの二人が命を懸けて道を作り、ハルクさんがその最後の一撃を放った。竜の咆哮が止んだ瞬間、戦場が静まり返った。
空に残ったのは、焦げた風と、立っているオラたち三人だけだった。」
ウィングは拳を握ったまま、視線を落とした。
「全員、満身創痍だった。骨も折れ、血も尽きて……それでも、生き残ったのが悔しかった。 リガンの声も、ミルナの風も、あの静けさの中で消えたままだった。」
ハウンは静かに目を伏せ、スノーは唇を噛みしめた。
風が窓を揺らし、木々のざわめきがわずかに室内へ流れ込む。
ボンゾウが、ゆっくりと続けた。
「それからだ。オラたちはどんな街に行っても称賛の声を浴びた。
けど……ハルクさんは、いつまでも笑わなかった。」
ウィングは苦く笑った。
「そりゃそうだよな。……二人を失って、笑えるわけがねぇ」
ボンゾウはうなずき、記憶をたどるように目を伏せた。
「戦果報告のあと、王都で祝宴が開かれた。民も兵士も、皆が“英雄を讃えよう”って集まってた。
でも、ハルクさんは杯を手にしたまま、一口も飲まなかった。
そして言ったんだ。“もう終わりにしよう”ってな。」
ウィングが顔を上げる。
「……あれ、オイラは忘れねぇよ。」
ボンゾウが静かに微笑んだ。
「ああ。あの時、お前は泣いて止めたな。」
スノーが驚いたように目を見開く。
「えっ……ウィングさんが?」
「泣いてた、って言っても、あれは本気だった」
ボンゾウが言葉を重ねる。
「“ふざけんなよ!”って怒鳴りながら、ハルクさんの胸ぐら掴んでさ。
“まだ終われねぇ! 二人が命懸けで残したもんを、捨てるのか!”って。」
ウィングは少し顔を背け、頭を掻いた。
「やめろよ、あの時の話は……見っともねぇだろ」
「見っともなくなんかねぇさ」
ボンゾウが穏やかに笑う。
ウィングはしばらく沈黙した後、小さく笑った。
「……あの人、あの時だけは“ありがとう”って言ったんだよ。
短くて、ぶっきらぼうで、でも間違いなく本心だった。
それ聞いた時、やっとわかったんだ――あの人も、誰より悔しかったんだって。」
「そうだったんですね。どうして私達にその話をしてくれたんですか?」とハウンは細め、真っすぐにウィングを見つめた。
彼の語る過去には、ただの武勇伝とは違う重みがあった。
ウィングは一瞬、言葉を選ぶように黙り込み――
やがて、少し照れくさそうに笑った。
「……君たちを見てると、昔のオイラたちを思い出すんだよ。」
「昔の……?」とスノーが問い返す。
「ああ。普段は冗談ばっかで、喧嘩もして、気楽そうに見えるけど…… いざって時は、命懸けで誰かを助けようとする。そういうとこが、オイラたちとそっくりなんだ。」とウィングが静かに言葉をつなげる。
「良い仲間に恵まれてますから。どんな相手でも…どんなに痛くても果敢に挑んだり、自分に何が出来るかをどこまでも一生懸命に考えて支えてくれる人たちなんです。」とハウンは穏やかに微笑みながらどこか誇らしげであった。
ボンゾウはしばらく目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
そして、ゆっくりと口を開く。
「……オラたちと同じ思いは、させたくねぇんだ」
その声は低く、けれど確かな強さを帯びていた。
スノーとハウン、サヤが思わず姿勢を正す。
「仲間を失う痛みはな……慣れるもんじゃねぇ。
あの日から、オラはずっと考えてきた。 “命を懸けて戦う”ってのは、聞こえはいいが……残された者にとっちゃ、地獄みてぇなもんだって」
ウィングが静かにうなずく。
その瞳には、悔しさと哀しみが映る。
ボンゾウは続ける。
「だからな――お前たちには、勝ってほしい。ただ戦うんじゃなく、“生きて”勝ってほしいんだ。もう誰も失わねぇために。この国を、世界を、少しでもマシな場所に変えるために。」
スノーが勢いよく胸を張って言った。
「今度はハルクさんたちにも、お礼にうちの宿に来てもらうんだから! 特製のご飯とお風呂で、ぜ〜ったい癒してあげるんだからね!」
その言葉に、重くなりかけた空気がふっと和らぐ。
ウィングが思わず吹き出した。
「ははっ、そりゃいいな。でもハルクさんはああみえて飯にはうるさい男だからな!」
ウィングは笑いながら手を振った。
「味が薄いだの、熱すぎるだの、魚の骨が多いだの……文句言いながら結局全部食うんだよ、あの人。」
ボンゾウも思い出したように頬を緩める。
「風呂もな、“ぬるいと締まらねぇ”とか言って、勝手に追い炊きしてた。
けど結局、上がるときには“いい湯だった”って満足げに言うんだ。」
「ふふっ、なんだか想像したら面白いですね。」
ハウンが柔らかく笑うと、
スノーは満面の笑みで両手を腰に当てた。
「じゃあ決まり! ハルクさんの好きそうな渋めの風呂と、ウィングさんとボンゾウさん用の大盛りごはん、特製で用意しとくから!」
スノーが胸を張って宣言したその瞬間――
ふと、場の空気がひそかに優しく揺れる。
ウィングは肩を揺らして笑い、
ボンゾウも頬を緩め、
ハウンはほのかに目を細めて微笑む。
サヤも、どこか戸惑いながらもその空気に身を委ねていた。
そのとき――
ハウンが小さくつぶやいた。
「……こんな時間が、いつまでも続けばいいのに」
その声は、湯上がりの余韻のように柔らかくて、
どこか胸の奥にじんわり染みてくるものがあった。
スノーたちが和やかに笑い合っているとき――
ガチャリ
部屋の扉が静かに開いた。
そこに立っていたハルクは、
休息の時間が終わったことを告げるような、
落ち着きの中に鋭さを宿した表情をしていた。
続く





