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贖罪  作者: 北村 達也
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贖罪66

 会いたい人がいれば会いに行ける。


 偉人にだって会える。


 古代ギリシャの哲学者アリストテレスに教えを請うのも楽しいだろうし、連戦連勝だったナポレオンにロシア遠征以降は、からっきしだったのは何故か聞いてみるのも楽しいだろう。


 言葉の心配などいらない。


 ヒトの言葉を話せば誰とでも、どこの国の人とも会話ができる。


 近しい人でいえば、祖父母に会ったことがないなら、会いに行ってたくさん可愛がってもらおう。


 あなたのことを色々聞いてくるだろうから、色々と教えてあげよう。


 それが終わったら両親の子供の頃の話を聞いてみよう。


 大人になる前はみんな子供だから、いたずらもしてきたことだろう。


 もしかしたら笑い転げるような面白い話が聞けるかもしれない。


 でもその前にフォスにはやることがある。


 約束の場所へ行くのだ。


 そこには待っている人がいるから。


 フォスの目の前には花畑が現れた。


 そして、そこで待つのはピオニーだった。


「ママ!」


「フォス!」


 フォスは走って行き抱きついた。


 彼女はピオニーが死んだ時の大きさの女の子に戻っていた。


 彼女は思い切り泣いた。


 大人になると泣いてはいけないという思い込みから、大人は泣くのを我慢する。


 辛くても苦しくても涙を堪える。


 そうやって自分を押し殺していると、外に流れ出なかった涙は心に溜まり、段々と息をするのも苦しくなり、やがて涙で満たされて息が出来なくなり、心に支障を来たしはじめる。


 泣きたいときは泣けばいい。


 子供も大人もない。


 涙するから人なのだ。


 自然に任せれば、どんなにか楽に生きていけることだろう。


 人が心に闇を抱えて生きているのは、ひとえに自分を抑えるから、つまり自然に逆らっているからに他ならない。


 死とは苦しみからの解放だけではない。


 それは抑制からの解放でもある。


「あらあら、泣き虫さんね、フォス。」


 フォスの髪を優しく撫でつけた。


「会いたかったわ、ママ。」


「私もよ。」


「お花畑で待っていてくれたのね。」


「ええ、待っていたわよ。あれからどのくらい経ったのか分からないけれど、早いとも遅いとも感じなかったわ。」


「パパは、来ているのかしら?」


「来ているとも。」


 フォスが後ろを見るとジョセフが笑顔で立っていた。


「パパ!」


 今度はジョセフに抱き着いた。


「ははは、フォス!」


「パパもママも一緒にいるなんて夢みたい!」


「これからは会いたくなればいつでも会えるわ。一人でいたいときは一人になれるし、人込みに行きたければ行けるし、全ては自由よ、フォス。」


「うん、でも今は三人でいたい!ねえ、お散歩に行こうよ。私が真ん中に入って手を繋いで公園に行こう!」


「よし行こう、なあ。ピオニー。」


「ええ、行きましょう。」

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