贖罪33
ついこの前まで赤の他人だった彼らは赤い糸で結ばれていた。
この糸は蛇のように動く生き物で、恋人たちを遠ざけることがあれば近づけることもあった。
「お腹空いてない?あまり食欲ないだろうから、スープがいいと思うけど、火は起こして、ないようだね」
キッチンの方を見て言う。
朝に火を起こして寝るまでそのまま、というのが一般的だった。
病気の彼女の様子を見に来て、本当にただ見ているだけじゃ良くないと思った。
「お腹空いてるの。体調が悪くてまだ火は起こしてないの。」
「よし、それじゃあまずは火を起こして、あとはじゃがいもとか入れていい?」
「うん、ありがとう。」
彼はキッチンへ行き出してあった火打石を手に取って火を起こした。
スープの具材は無くなったら補充することを繰り返すのが一般的だったが、鍋には具材が何も入っていなかったので、先ほど言ったようにジャガイモを入れようと彼は思う。
彼がキッチンでスープを用意してくれていると思うと彼女は嬉しく、なんだかベッドで寝ている気分ではなくなって、起きて彼の様子を見に行った。
彼はそれを見て心配そうにした。
「起きてきて大丈夫?」
「うん、大丈夫よ。なんだか元気出てきたみたい。あ、お皿取るわね。」
好きな人と料理の準備をするのは恋人のようで彼女は楽しかった。
先ほどまで自分は死ぬと思っていたのに、今では起き上がって皿を出そうとするくらい元気になった気がした。
病は気なり、という言葉がある通り人間は気分に大きく左右される。
だがいくら気分が良くなっても体は彼女の気分についてこられなかった。
彼女の背丈よりも高いところに収納してある皿を取るために彼女が少し背伸びをすると、クラっとして倒れそうになった。
それを見ていた彼はとっさに腕を伸ばして彼女が倒れるのを防いだ。
そしてそれは結果として彼女を抱き寄せることになった。
蛇のような赤い糸はクネクネと身をよじらせて糸を手繰り寄せ、二人の物質的距離と心理的距離を近づけた。
世界は消失し、自然が生み出したもの、人間が生み出したものは全て消失した。
残っているのはただ二人の男女、二つの星、ストローフィーとフォスだけだった。
お互いの顔は目と鼻の先にあった。
彼の腕は彼女を離すまいと岩のように強く、しかも絹のように柔らかく彼女を包み込んだ。
静かな部屋で銅像のように固まった二人の男女の心臓は部屋中に鳴り響かないのが不思議なくらい激しく鼓動した。
熱で呼吸の荒くなった彼女の呼吸はこの状況で更に早くなり、彼女の吐息を彼は顔で感じた。
彼は目の前にいる美しい女性の首筋が、熱のためか汗をかいていることまで見て取れた。
この状況をどうすればいいのか彼には分からなかったが、月に光を与えたのが太陽だったように、彼女に任せておけばよかった。
彼女は倒れ掛かったときにぶらりとさせたままの腕を持ち上げて、ゆっくりと彼の首に回していった。
彼がその腕の熱さに驚いたのも束の間、彼女はその腕を蛇のように巻き付けて行った。
巻き付け終わった二人の距離は一層縮まり、額と額、鼻と鼻がくっつき、残すばかりは唇と唇であった。
先ほどの彼らのようにぶつかった視線が弾け飛ぶ先はもうない。
目に入るのは相手の瞳のみ。彼らの会話はそれを通して行われた。
最後の空間を埋めるべく唇と唇はその距離を縮めて今にもそれらが重なろうかという時、いたずら好きな赤い糸が今度は二人を離そうと考えたようだ。
扉をノックする音がして、世界は再び元の形を取り戻した。




