特別でとびきりな
4.
ユヒルがすぐに駆け付けられたのには訳があった。
あらかじめ打ち合わせしていた暗い部屋にカミラを閉じ込めたあと、馬糞男は酒を飲みにノコノコ一人会場へ戻った。それを見たカミラの上司が不審がって彼の肩を掴んだ。
「おい、君!」
「はあ? アンタ誰だ? 邪魔すんなよ!」
「何を言ってるんだ、さっき挨拶したばかりだろう。それよりレーテ君は何処だ?」
「レ、レーテなんて知るかよ! 放せっ」
「あ、おい暴れるな! 衛兵、衛兵ー!」
問い詰められて暴れる馬糞男の背後で、逃げようとした仲介役も巡回中の騎士に捕えられた。
「俺は侯爵家だぞ、こんなことしてお前たちどうなっても知らんぞ!」
「あたしゃ脅されたんだよ!助けとくれよ!」
喚いて暴れる二人を騎士らが縛り上げ、別室に隔離された。
もちろん王宮で起こった出来事なのですぐに報告が上がり、にこやかにゲストをもてなす国王の耳にも入った。
普通、こんな事件が起きればゲストには知らせないよう振る舞い配慮されるのが一般的なホストの仕事である。
しかし、今代の国王は優秀な男だった。魔術学院の門戸を身分に問わず開かせ、後ろ盾がなくとも登用し、気の長い研究にも投資する先見の明がある。ホストと名乗るからにはいかに国王といえどゲストの素性と情報は把握している聡明な君主である。だからカミラ・レーテが辺境伯領の重要な伯爵家の一人娘であることや、ユヒルにとってかなり親しい間柄の人物であったとすぐに思い出した。
それに加え、妻に鍛えられた高すぎる危機回避能力(報復の恐ろしさ)のおかげでユヒル・ヴェディエットという男の性格を慎重に分析した。ホストとしての自分の体面と、この誤判断で天才魔術師に引き起こされる一番最悪な可能性を天秤にかけた結果、ユヒルを呼び出したのだと言う。
そうしてユヒルは素早くカミラの危機を救ったし、のちのちに国王へ感謝を伝えた彼女に「恩は売っておくに限る」と笑って語った。
閑話休題。
時は、馬糞ジャガイモ事件の直後まで戻る。
夜明け前に解放されたユヒルと共に馬車に乗ったカミラは、郊外にある彼の自宅に連れられた。彼女がいつも研究費見積書の督促に訪れる狭くて陰気なアパートとはまるで違う。貴族のタウンハウスのように立派な一軒家だった。
まっさきに怪我の手当をしてくれたユヒルだが、カミラの顔の怪我を見て「鼻をそげばよかった」と低く唸った。赤い手形をなぞれば「指を切り落とすんだった」はてにスカートの中の跡で「やっぱり殺してくる」と立ち上がったので、カミラは止めるのに苦労した。
身体を清めたあとは二人で大きなソファーに並んで座った。毛足の短い絨毯に、マントルピースの上には時計が一つだけの殺風景な佇まい。
しばし無言で暖炉の火を見つめていたユヒルが口を開いた。その口調はまるで熟考を重ねた末に決められた揺るがない決定を淡々と伝えるような響きがあった。
「一代限りだけどぼくも爵位を手に入れた。あってないようなどうでもいいものだけど、どうせ君が受け継ぐんだし、これで結婚には差し障りがないよね」
カミラが何も言わないので、ユヒルは気だるそうに首を傾けた。
「ぼくにとって君は特別な人だし、君にとってのぼくもそうだと思ってるんだけど、ねえ、何が気に入らないの」
違うわと口に出したカミラの唇は震えていた。
「わたくしだって他の人と変わらない。あなたの才能に惚れ込んで、嫉妬して、理想を押し付けてる人間なのよ」
「ぼくの気持ちを勝手に斟酌して、一人で悲劇ぶるのはやめなよ」
冷たく吐き捨てられてめまいがした。
「ぼくの才能しか見てないなら、どうして君はあの研究に口を挟んだの?」
息を呑んだカミラの手首をユヒルが掴んだ。
「分かっていたでしょう、あれは……一歩踏み込めば大勢をいっぺんに殺せるものだって」
ユヒルの碧い目が、炎の茜にも負けない熱でカミラをひたととらえる。
「ねえ、カミラ。君なら分かっているはずだ。戦争は止めるより始めた方が儲かる。人も金も欲望も、集まれば集まるほど研究の財源は増える。君の大好きなぼくの才能ももっと活かせるかもね? ……でも、君はそうはさせなかった」
「そ、れは」
「カミラ」
ユヒルの鋭い視線が、容赦ない言葉が、カミラに小手先の言い訳をことごとく消してしまった。まるで裸で放り出されたような寒々しさに心が震えて建前を作れなくなった。
カミラは痛みを堪えるように深く息を吸い込んだ。
「うちの領地は厳しいわ、貧乏貴族だもの。あなたに研究をさせてあげられないかもしれない。ううん、それどころかあなたを縛る枷になるわ。わたくし、あなたから自由を取り上げたくない。ユヒルだけは、ずっと、夢の世界にいてほしいの」
「そんなクソみたいな夢、押し付けるなよ」
はあ、とユヒルはため息をついて俯いた。掴んでいたカミラの手を両手で包んで撫でる。
「もう分かってるよね。ぼくは君が思うほど優しさも冷たさも、それほど持ち合わせていない。普通の人間だよ」
優しい仕草と諭すような声とは逆に、彼の言葉は厳しかった。
「好きな女の子のためなら魔術を投げ出せるバカで、でも、投げ出した未練もきっとぐずぐず残すような、どうしようもない、ありきたりで、くだらない男だ」
「ユヒルは、くだらなくない……」
そんなことないとカミラは否定する。
「くだらないさ。ぼくが魔術を勉強したのは生きるためで、続けたのは君の隣にいるためなんだもの」
自嘲気味に笑う大好きな男性をカミラは抱きしめたかった。
「平凡なぼくは嫌いになったかい」
カミラは首を振った。嫌いになれるわけがない。
だってカミラが好きになったのは、とびきり天才のユヒル・ヴェディエットでも、授与式で背筋を伸ばす顔の良い魔術師でもない。
カミラの手が傷つかないように握っていてくれた優しい、そしてそれを言えないような不器用で、まっすぐな男の子だったから。
「好き。ユヒルが好きなの」
子どものように盛大に泣くカミラは淑女のかけらもないけれど。
「やっと言ったな、強情ばりめ」
けれどもユヒルは心底安堵したように破顔した。
少し落ち着いてまた「でも」なんて言い出すカミラに、
「領地運営ならもう兄のところで学び終えているし、君のお祖父様から求婚の許可ももらっている」
さらっとユヒルは逃げ道をなくして、笑みを浮かべた。
「あとは何が心配? 言ってごらんよ、全部潰してあげるから」
怒ってる。これは、往生際の悪いカミラをたいへん怒っている笑顔だった。
しかし、ユヒルは一体、いつから準備していたのだろう。どうして。
「そこまでしてくれるの」
カミラには、何もないのに。するとユヒルは面白そうに目をすがめた。
「初めて会った時、君が言ったんじゃないか。『わたしを見て』って」
わたくしは、カミラよ。あなたが爵位を持たないなら、わたくしだって一人の人間として勝負を挑ませていただきます
初めてユヒルに負けて、本気でくやしくて宣戦布告した幼きころのカミラだ。思い出して顔から火が出るかと思った。
でも、記憶改竄も甚だしいのではないか。
「い、言ってない!」
「そうかもね」
勢いこんで否定するカミラにユヒルはあっさり引き下がる。
「どっちでもいいよ。でも、それからちょっとずつ好きになっちゃったんだから。君は、その責任を負うべきだと思わない?」
カミラは呆気に取られた。なんて暴論で結びつけるのかこの男は。
でも、そうか。これは、自分自身が招いた結果なのか。だったら……。
めざとく攻め入るすきを見つけたユヒルの手が「ね、だからさ」とカミラの両手を握った。
「結婚しようよ、カミラ」
いいね、と優しく追い詰めた悪魔のささやきにカミラも降参した。
「はい」
「やった」
だって、ずるくて賢い人が、カミラがうんとひとこと言っただけで、こんなに可愛く笑うのだから。
ぐるぐる回り道をしたわりに、呆気ない一言で二人の長い勝負はユヒルの勝利に終わった。
でも、本当に?
昔から、カミラが本当に何を望んでいるのかなんて、ユヒルにはお見通しなのかもしれない。




