ダンゴムシとジャガイモと天才魔術師
※暴力的・性的な暴行の描写があります
好奇心が働いた時にだけ生命力が宿ったような、あの狂気じみた瞳にカミラは魅入られてしまった。負けて、泣いて、嫉妬して、同じ景色を見て、恋をして。いつからかその目がちょっとだけこっちに向いてくれたら良いのに、と期待したのだ。
果たして、ユヒルの返してくれるそれがカミラの望んだものと同じかは分からない。
だが、少なくともユヒルなりに、カミラを見てくれた。彼の中で、カミラは特別ですてきな女の子になっただろう。
けれど、カミラじゃダメなのだ。
任意の人物の思考を止め、戦意を喪失させる大魔術。範囲は術者の力量と魔力量に左右される上に、使いこなせる者はユヒルを含めて片手ていどしかいないが、術者が認識さえできれば人数に制限はない。これにかかった者は、武器を手放し、膝をつく。それは思考停止による一時的な運動信号のバグのせいなのだが、まるで神に平伏すような光景を思わせた。
二十年以上続いた隣国の代理戦争を、ユヒルの開発した魔術はたった一年で終わらせた。世はユヒル・ヴェディエットを「神か悪魔か」と評した。
とびきり天才で、たまたま爵位も後ろ盾のないユヒルの隣に立つには、カミラ・レーテの価値は弱すぎた。弱小貴族では研究費を賄えないばかりか、研究に専念させてあげられない。むしろ足枷となる。
いっそ、カミラも平民ならよかった。
そうしたら、ユヒルと共に貴族社会に弾かれたって平気だった。カミラひとりなら、それで何の問題もなかったのに。
カミラ・レーテには、守るべきものがあるから平民にはなれない。
天才少女は、代えの効かないとびきりの天才ではないのだ。貴族であったから、素晴らしい環境と機会を得られて、カミラはユヒルと出会えた。恩を仇で返すような真似は、領民を最期までおもった両親の娘としてできない。
だから、あの指を離した。
きっと、ユヒルならもっとお金のある貴族に婿入りできる。でも、あの瞳は誰にも向けないでほしい。ずっと、ずっと、研究室でダンゴムシでいてほしいな。
◇
「うーん、貧相じゃ」
汚いジャガイモみたいな公爵だかのオヤジが下着の上からカミラの胸を握った。ブラウスはボタンが弾け飛び、少し破れている。
官吏はドレスの着用の代わりに、ブラウスとスカートでの出席を義務付けられたが、見劣りしないように装飾のついた良いものを同僚と選んだ。
可愛かったのに、ごめんね。
殴って殴って、やっと抵抗をやめたカミラのスカートの中にジャガイモ公爵が手を入れた。
ダンゴムシ、ダンゴムシ、まるまって地中深くに潜りたいわ。
心の大事な部分を守るように、カミラは目を閉じた。
ジャガイモ公爵の背後から、ドッカンと聞いたこともない爆発音がした。
「なんだっ?」
慌ててカミラの長く重たいスカートから出ようともがくそれが、何者かによって引き摺り出された。すぐそばで取っ組み合っているようだ。
一方でカミラも目は開いたものの、動く気が起きなくてしばし天井を鑑賞していた。しかし、下半身から不快なものが消えたので、やっと緩慢な動作で上半身を少しだけ起こしてみた。
ぼやける視界に、先ほど目に焼き付けたばかりの人がいた。
ユヒル!
晩餐会に出ているはずのユヒルが身をかがめてジャガイモ公爵を容赦なく殴りつけていた。
まだ頭にもやをかけたようにぼうっとしていたカミラ。ジャガイモ公爵の 「誰だ!」「やめっ」「ぐあ」など汚い悲鳴の合間に、バキだとかメキだとか物騒な音が入ってくる。
そのうち悲鳴に大量の水で溺れるような、くぐもった音が混じるようになったところで、これは止めに入らないとまずいと気づいた。
カミラは痛む身体を引きずって立ち上がる。
「ユヒルっ」
ひび割れたカミラの声は小さかった。けれど、ユヒルは聞き漏らさず、すぐに振り返って彼女を見た。
それだけで、丸まって凍らせて眠っていたカミラの心が動き出してしまう。
だが、ユヒルは無言でフイとカミラから視線をそらすと、獲物の胸ぐらを掴みなおした。血の塊を吐いた公爵が「あ、あくばめッ!うったえてひゃる」なんて怨霊のように喚く。
「ははっ、自分より弱い女を痛めつけて喜んでいたのはお前の方だろ」
ユヒルは怯むどころか冷酷に嗤ってまた拳を作った。
「ユヒル、ダメよ!」
カミラは飛びつくように彼の腕を抱きかかえた。下ろしたての綺麗な袖に血が飛び散っているが、怯えてる場合ではない。ユヒルの無慈悲な瞳が横目でカミラをとらえた。
「これを庇うのか?」
射抜くような冷たい視線に、涙が落ちた。
「あ、あなたが人殺しになったら、わたくし、どうしたらいいの……」
たった唯一の特別な人なのに。途方に暮れた気持ちがこぼれる。
ユヒルは彼女をしばし見つめたあと、急に公爵から手を離した。ドサッだとか重たい音とうめき声も聞こえた気はするが、カミラにはどうでもいい。
「おっと」
膝から力が抜けたカミラを支えたのは当然ユヒルだ。そのまま抱え上げようとして、しかし、彼はやめた。優しくカミラをゆっくりと再び地面に下ろした。カミラには訳が分からず、ユヒルがじっと見つめていた自身の格好に目をやって「あっ」と声が出た。はだけた無惨なブラウスからレースの下着と、胸の膨らみが丸見えだったのだ。シミひとつない綺麗な肌に、太い指の跡が赤く残っている。それを見てユヒルは床に転がるジャガイモ公爵の股間を蹴飛ばした。
「ダメったら!」
力がもう入らないカミラは一生懸命ユヒルの服に縋った。
「わ、わたくし、寒いのよ。ほったらかしておくなんて、酷いわ」
カミラの口からは居丈高な言葉が出てくるのに、まるで子どものように泣くものだから情けない。
ユヒルも諦めてカミラの元へ戻り、自分の上着を彼女の肩にかけた。
「参ったな。ぼくは君の涙に弱いんだ」
そうしてカミラを抱き上げる為に両手を使った。
カミラはその首にしがみついて安堵する。研究員でもあり魔術師として戦場に追従するユヒルの腕は彼女を落とす心配などない。
おあいにく、カミラの細やかな胸ではクッションのような谷間はできないが許してほしい。それより彼女は股間を蹴られて完全に意識のないジャガイモが本当に死んじゃったらどうしようと焦った。
カミラの心配をよそに、ユヒルの鼻先は彼女の肌をなぞって落ち着いたように息をついた。




