授与式の夜
3.
爵位も血筋も持ち得なかった少年は、運と実力だけで玉座の前に立ち、王から大綬章の佩用を許された。
誰も成し得なかった神代の大魔法を魔術へと変換してみせた功績は、陳腐な階級制度を簡単に崩したのだ。完璧な理論、圧倒的な再現性の高さはもちろんのこと、その辺の天才にも理解できるよう膨大な資料と隙のない筋道が論文化されているのだから、平民ごときが王と握手を交わしていたって誰も文句をつけられない。
カミラは壇上の英雄を見上げ、群衆の中で有象無象の官吏と並んで拍手を送る。
肩甲骨まである長い金髪を今日は綺麗に縛り、正装に身を包んだ彼はめずらしく背筋を伸ばして、まるで知らない男の人みたいだ。かつての同級生であり、ライバルだった少年はずいぶんと遠く離れてしまった。感慨深いような、どこか非現実的な思いにひとり囚われてしまう。
いえ、ライバルだと思っていたのはわたくしだけね。
あんな天才と肩を並べていたと本気で思っていた学生時代の幼気な自分がカミラはいっそ愛おしい。ずっとユヒルの隣で研究に打ち込んでいたかった。天才の横で自分の凡人ぶりをみせつけられたって、それで嫉妬に狂って廃人になったって、夢の世界に生きられたならそれでよかったのだ。
だが、愉しい時間はいつか終わりが来る。乳母が手を叩いて「さあ、ここからは良い子の魔法をかけましょう」と諭してくれるなら、どれだけ良かっただろう。
けれども、カミラは自身が決して不幸などではないと解っていた。
授与式が終わり、壇上の人々が晩餐会へと移るとき、ふとユヒルがこちらを見つめているのに気が付いた。いつもの眠たげな目に、深い熱を感じてカミラは胸が高鳴った。だが、すぐに苦笑をこぼす。あれは間違いなく怒っているわね。
じっとこちらを見つめていたユヒルは促されるまま饗宴の間へと案内されて行った。
その背中にカミラは頭を下げた。
ひとときでも隣に並んでくれた少年に。超えられない高い壁であり続けてくれた英雄に。カミラに過ぎた夢を見せてくれた友であり、きっと最後の恋心を奪ってくれた男、ユヒル・ヴェディエットへ、すべての感謝を込めて。
カミラは溢れる涙を指で拭うこともなく、立ち尽くした。
あのカフェーで触れた指先を、きっと同じ重さで向き合った熱を、カミラは生涯、決して忘れないだろう。
◇
亡き両親の想いを汲んで、孫娘のやりたいようにさせてくれた優しい祖父母を思えば、ここらが潮時だった。
祖父と親戚筋にあたる辺境伯とが財産管理を徹底してくれたおかげで、伯爵領は復興した。
元々辺境伯領から分割された小さな土地である。さほど人も多くなく、のどかで、穏やかな平原が続く田舎だ。それでも異変があれば軍事要塞と化す辺境伯領にとって、なくてはならない場所だった。
ただ、こういった土地は領地からの収益は少ないので、基本的に別で収入を得なければならない。慣例に倣えば男子は騎士か副伯として辺境伯で働くのだが、カミラじゃそうはいかない。
カミラが女伯として領地運営をする代わりに、しっかり稼いでくれる夫が要る。
研究に没頭してばかりのダンゴムシではダメなのだ。
そこでカミラは職場の上司の勧めもあり、見合いを受けることにした。祖父母のいる領地までは遠い。金持ちは都会に集まる。都にいるうちに探せるものは探しておかないと。
授与式のあと上司に付き添われて、仲介役の女性が連れてきた若い男と顔合わせをした。
「こちら、レーテ伯の忘れ形見で大変、優秀なカミラ嬢です。今年で24になります」
カミラは膝を折った。
「まあ、なんとお美しいお嬢さまなの。年齢もぴったりだわ。こちらーーー」
「彼女はたいへん研究熱心で……」
「彼も事業を」
貴族のご挨拶とは茶番を演じるものだ。要は手順を守って「あなたに敵意はございません」と示すためのもの。
だからカミラは貴族令嬢らしく顔を上げず、目を合わせず、何も発さず、ただじっと待っていた。有象無象の天才魔術師として、優秀な官吏として、堂々と胸を張って歩く女は、結婚には不向きだから。
まあ、これは正式なものではないが、社交としては一度めのお知り合いという大事なステップだ。
「参りましょう、カミラ嬢」
いきなり名前を呼ばれてカミラは眉を顰める。(これは無しだわ)いちおう、上司の顔を立てて今日のところは我慢しなければならない。憂鬱なきもちで差し出してきた相手の腕に手を添えた。
華やかな室内を滑るようにすぎて、装飾のカーテンをいくつかめくり、どんどん暗い場所に連れて行かれている。
「あの」
やっとカミラはおかしいと気がついた。
だが、時はすでに遅く、相手の男性はカミラの手を払って人気のない室内へ乱暴に放り込んだ。
「いたっ」
尻もちをついたカミラが顔を顰めて相手を睨むと、見覚えのある顔だった。
「あなた……」
「やっと思い出したかよ、このクソ女」
カミラが馬糞革靴を履かせたあの時の男子学生だ。
しかし、今は身なりもいい加減で、容姿もかなり落ちぶれて見える。あの頃は平凡でも黙っていれば子息らしいすっきりとした趣きがあったはずだが……酒で横にも前にも膨れた大きな鼻、不摂生でむくんだ瞼と弛んだ顎、不平しか吐かないような下がり切った口元。内面の淀みが滲み出てしまったような醜悪な姿をしている。
「ヴェディエットにくっついてばかりの金魚のフンめ! そんなに金が欲しけりゃじじいの後妻にでもなりやがれ!」
最後に「うんこ!」と吐き捨てて、彼は外に出て扉を閉めた。
「ちょっと!」
あっけに取られていたカミラも我に返り、立ち上がってドアノブを回すが開かない。鍵がかかっている。
「開いて!」
魔術をのせて叩いても弾かれてしまう。無駄に用意周到な男だ。イライラと打開策を練るカミラの肩に、じっとりと厚みのある手が触れた。




