夢の終わり
卒業パーティーは、それはそれは格好良いユヒルが見られた。貴族令嬢の嗜みをなぞらなくとも、カミラは正面からユヒルに目を合わせるなんてできなかった。
ユヒルは実家から取り寄せたドレスをカミラに送ってくれた。薄いブルーのシフォンがまるで花を包むような美しさで、誰にも見劣りしない意匠は本当にため息が漏れるほど。それに合わせたアクセサリーだって相当なものだ。
……貧乏貴族のカミラには到底、受け取れるものではない。しかし、ユヒルは「お礼だから」といって聞かないし。
とりあえず着てみなよ、と口車にのせられて身につけたら、とことんカミラにピッタリなサイズではないか。鏡で見ればとてもよく似合っていて、いっそう離しがたい。それでいて、ユヒルも嬉しそうにカミラを褒めてくれる。
カミラは真面目だが、年頃の貴族令嬢だ。さすがに突き返す理性は保てなかった。
なにより、パーティー当日のユヒルを見て、自分の判断が間違ってなかったと確信した。
いつもロングヘアを適当にくくるだけの無頓着なユヒルが。猫背で制服を適当に着崩すだらしないユヒルが。きちんと髪をなでつけテールにして、品のいい紳士服に身を包んで背筋を伸ばしたら、どこかの王子さまといわれてもカミラは信じるほど完璧だった。そんなふうに身なりを整えれば、元来の顔の良さも目立つ。
鏡の前でふたり横並びで最終チェックをしつつ、カミラは(心底ドレスを返さないでよかった!)と安堵した。
ダンスは練習どおり、二人で楽しく完璧にくるくる踊り回った。
食べたことのない珍味をかじり、しゅわしゅわ泡が泳ぐ酸っぱいジュースを分け合い、学友と思い出話に花を咲かせ、たくさん笑った。
カミラは、いつもと違うユヒルを男性だと意識してから自分たちの距離感が近すぎるとあらためて感じた。ユヒルは常に彼女の腰に手を回して、他の女の子とダンスを踊らないし、カミラにも踊らせない。大商人の息子らしく言葉巧みに柔らかく、迂遠に断るものだから、誰も悪い気はしないのだが……。
これじゃまるで婚約者だ。もちろん、カミラだって嫌ではない。
けれども、ユヒルの将来を思えば、これからは適切な男女の距離感や、女性への接し方も教えていかねばと、カミラは決心した。
◇
むかしむかしの青い思い出に浸りながら、カミラが書き終えた書類を封筒ごとカバンにしまった頃。やっとユヒルが現れた。
カミラの正面の椅子に断りなく座り、メニューを読む男を睨む気にもなれない。
「もう食べた?」
「食べ損ねたわ、誰かさんのせいで」
「君、一人じゃ食べきれないからでしょ」
ユヒルは注文をとりに来た店員に南国ジュースとパンケーキセットを頼んだ。どちらもカミラがちょっと気になっていたものだ。
メニューを置いて、走ってきたんだと疲れたように首を伸ばすユヒルの髪が中途半端に濡れている。一応、食事の前には清潔にしなさいというカミラの言いつけを守っているつもりらしい。
カミラはため息をついて、ハンカチを差し出した。
「風邪ひくわよ」
「心配性」
ユヒルが頭を軽く振ると、一瞬で乾いた。そのままカミラの飲みかけのコーヒーに手を伸ばす。
「ぬるい」
勝手に飲んで勝手なことを言う。
「家を出る前にしなさいよ」
「だって、急いでたから」
「いまさら髪を乾かしたくらいじゃ変わらないわ」
二人で言い合っていると、ユヒルが先ほど注文したものが運ばれてきた。南国ジュースとパンケーキをカミラの前に置かせた。カミラが視線だけで文句を伝えると、
「君が先に食べて」
とユヒル自身は頬杖をついてフライドポテトを齧った。やっぱり。不要な言葉は多いのに、必要な言葉はいつも少ない男なのだ。カミラはため息をついて、ふかふかのパンケーキを切り分けると、彼の唇へ差し出した。湯気ののぼるそれを、ユヒルも衒いなく食べる。それから意地の悪い笑みを少しみせた。
「行儀悪いんじゃないの」
「たかだかカフェーの食事に文句つける方がおかしいわ。それより、あたたかい方が美味しいでしょう?」
「ん、そうだね」
こくんと飲み込んでユヒルは唇を舐めた。カミラも朝からコーヒーばかりでお腹が空いていたようだ。
しばらく食べてから、カミラが切り出す。
「ユヒル。これからはあなた、もっとしっかりしなきゃダメよ」
「今度は、どれのこと?」
自覚はあるが直さない。ユヒルの厄介なところだ。ついにはカミラも呆れ返った目で睨んだ。
「まず請求書! 締め切りはもうすぐよ」
「ああ、忘れてた」
「毎月きまってるんだから、忘れようがないでしょう。わたくしがいなくなったらどうするつもり。普通は4度も催促して、自宅まで取り立てに来てくれないのよ」
カミラはふうとお腹いっぱいになってカトラリーを置いた。ユヒルが交代してそれを引き受ける。
「じゃあ、君がいてくれないと困るね」
「無理、今月には辞めるから」
「いきなりだね」
「結婚するつもりなの」
ポトっとユヒルの手から食べかけのベーコンが地面に落ちる。
「さすがに行儀悪いわよ」
「それも、いきなりだ」
カミラが代わりにペーパーで拾うのを止めさせて、彼は話の先を促した。
ピリッとした緊張感を、まるで感じていないような何気ない仕草でカミラは答える。
「そうでもないわ、もう24よ」
「へえ、奇遇だね。ぼくもだよ。でも、相手はぼくってわけじゃなさそうだ」
ユヒルもフォークを置いて背もたれに肘をかけた。まっすぐ注がれる視線から逃れたくて、カミラは道ゆく人々を見るともなしに見つめていた。
「……先月ね、お祖父様の具合が良くないと連絡があったの。遅すぎたくらいだわ」
しばらくの沈黙ののち、カミラはそう返した。
「何故、言ってくれないの」
「言ってどうなるの」
「ぼくのせいだろう」
「ええ、あなたのせいでわたくし、すっかり貴族としての務めを忘れていたみたい!」
皮肉を込めてユヒルに視線を戻す。彼は身を乗り出して、カミラに手を伸ばした。
「ぼくに、責任を取らせてくれないのかい」
ユヒルの指先がカミラに触れた。
男性にしては綺麗だけれど、比べればなんと無骨で大きいのだろう。握手を嫌がった子どもの頃のそれとはまるで違う。それは、カミラも。
たぶん、いまのユヒルは、カミラに頼られれば頼っただけ何の迷いもなく掬い上げてくれるだろう。
カミラだって、女だ。指先から伝わる熱に、縋りつきたくなる。
けれども、カミラは「弁えなさいな」と手を引いた。
「だってあなた、平民じゃない。わたくしは伯爵令嬢なのよ、住む世界がちがうわ」
わざと高慢な貴族らしくそう吐き捨てると、ユヒルはただ無言でカミラを睨んだ。




