9 冷たい救いと秘密の宝物
「身の程を分からせてあげるわ!!」
ブリジットがそう叫び右手を振り上げるのを、まるで静止画を見ているような感覚でとらえたルルは、いずれやってくる衝撃に備えて目を閉じた。
「……っ」
──しかしそれは、待てど暮らせどやってこなかった。
おそらく数瞬の出来事なのだろうが、何の痛みも衝撃もないことに、ルルは何らかの異常事態を悟った。
いつまでもこうしているわけにはいかない。
ルルが意を決して目を開けると、そこには手を振り上げたまま頬を上気させているブリジット。
そして、その腕を掴み灰青の瞳に冷淡な色を纏ったシエルの姿があった。
「こんなところで暴力沙汰とは感心しないな──」
ルルのことをチラリとも見ないシエルの、感情の見えない低い声──入学式でルルを気遣い、優しく語りかけてくれたあの時との温度差にドキリとする。
「っ……」
ハンカチ男、と言いかけるが、口が乾燥して声が出ない。
失礼だとも思ったが、以前の彼と違いすぎる様子に声がかけられなかったのだ。
しかしこのタイミングで現れるなんて、やはり彼は物語の関係者なのだろうかとルルは思う。
シエルという第三者の登場で、違うことを考える余裕が生まれ、ルルの中で渦巻いていた感情が次第に落ち着いていくのが分かった。
「あ、貴方様は──っ、あ、あたくし、ブリジット・ドロワットと申します。今この方に睨まれて怖い思いを──」
ブリジットは彼のことを知っているようで、猫撫で声でそう告げると 「来てくださって良かったですわ~」 などと言いながら、フラフラとシエルに近寄ろうとした。
この状況でよくそんなでたらめが言えるものだと感心するが、その媚びも嘘も、シエルが煩わしそうに紡いだ言葉に一蹴される。
「……君は少し黙ってくれないか──」
「だまっ???」 と、戸惑うブリジットの声に思わず笑いそうになるが、続くルルへの声掛けに、その笑いもどこかへ飛んで行く。
「──君、気分が悪そうだ。医務室で休めるよう手配しようか」
ルルを労わってはいるが、その声音からは先日のような温かさは感じられない。
まるではじめて会ったかのようなその言葉に、ルルの中の何かが冷えていくのを感じた。
「ありがとう、ございます……でも大丈夫です。ここからなら寮も近いですから──」
ルルは何とかシエルにお礼を言って頭を下げると、目を合わせることもなく寮までの道を駆けだした。
なぜ、こんなにショックを受けているのか、自分でもわからない。
あの様子ではブリジットはもちろん、シエルも追って来ることはないだろう。
*--*--*
入学後初めての週末は 「心配だから必ず帰ってくるように」 と、あらかじめ父ダニエルが外泊届と馬車の手配をしてくれていた。
ルルは帽子を深く被り桜色に戻した髪を隠すと、誰かにみられる前に寮を出た。
実家に茶色い髪で帰るわけにはいかない。
きっと理由を聞かれるし、心配もされるだろう。
ルルは、平民時代によくオシャレな子たちが愛用していた染め粉を使っていた。
水に濡れれば簡単に落ちてしまうが、少しの汗や日常生活のアレコレでは落ちないという便利アイテムだ。
髪を洗うたびに染め直さなければならないのが面倒だが、こういう時に簡単に落とせるのは助かる。
帰宅後、一番に父親の執務室を訪ねたルルが見たものは、ダニエルが執務机の鍵付きの引き出しに何かを仕舞っているところだった。
実は父親がその引き出しに何かをしまうところを目撃するのは今回がはじめてではない。
何度か目にするうちに妙に気になって尋ねたところ、「秘密の宝物が入っているんだよ」 と寂しそうに教えてくれた。
何が入っているのか気にならないと言えば嘘になるが、それ以来ルルはそれを見て見ぬふりをしている。
「お父様、少しよろしいですか?」
慣れない「お父様」呼びもだいぶ様になって来たと思う。
「もちろん。丁度いいから休憩にしようか」
ダニエルは笑顔で椅子から立ち上がると、ソファーに掛けるようルルを促した。
ルルはブリジットに言われたことを伏せて、さりげなく父に現在のドロワット子爵家と母の関係を聞き出すことにした。
「除籍はされていないよ。親戚に家督を譲るにあたり直系の除籍など必要ないからね。
そもそも前子爵──ルルのお祖父様はちゃんと君たちの生活の援助もしていたんだ。
現在のドロワット子爵に家督を譲るために、彼女のことを行方不明ということにしたから頻繁に会いには行けなかったようだが──そもそも除籍していれば援助なんてしないだろう?」
ルルは祖父母とは幼い頃にしか会った記憶がないため、援助してくれていたことは知らなかった。
「そう言えば現ドロワット子爵の第二子がルルと同じ年だったような……」
「はい。令嬢が子爵クラスにいるのですが、今日突然親戚だと言って話しかけられて驚いてしまいました」
父親と話しているというのに話し方が硬い気もするが、日頃から気を付けてないといざというときに素が出そうで怖いし、ここはルルの頑張りを見てもらう場でもある。
「親戚? まぁ、遠い親戚ではあるだろうが──」
父が苦笑いを浮かべる。
やっぱりそうだよね、と思う。
「曾々祖父が同じで三従姉妹だと言われました。
私的にはほぼ他人なのですが、貴族の間ではどんなに遠くとも親戚関係を大切にする──などという“常識”があったりするのですか?」
「ははっ。そんなことを言っていたら親戚付き合いが物凄く大変なことになるね。
現子爵は家督を譲り受ける時、既に家庭を持っていてね。前子爵──ルルのお祖父様とお祖母様の養子になったわけではないんだよ。
お祖父様とお祖母様はルルの近しい親戚と言えるけど、現子爵とその家族はほぼ他人と言って差し支えないよ。
もしあちらがなにか失礼なことを言ってきたら私の名を出しなさい。正式に抗議をするから」
ルルの様子から何か嫌な思いをしたのだと察したらしい。
ダニエルはルルの頭を撫でてそう言うと、ついでだからと貴族家について話してくれた。
前世の物語では『長男以外の兄弟姉妹は、長男に代替わりした時点で他家に婿入りか嫁入りをしていない限り平民となる。
親が複数の爵位を持っていれば、それを譲ってもらい貴族のままでいられることもある』という設定が主流であったがこの世界では違う。
高位になればなるほど当主が担う執務は多く煩雑だ。その上秘匿性の高い情報を扱うことも多い。
その為赤の他人を雇い入れるより親族で固める方が安心できると、当主補佐の役目を担うため兄弟のうち優秀な二、三人は家に残ることができるのだ。
その場合平民ではなく、准貴族の扱いとなるらしい。
ドロワット子爵家はここ何代かの当主は子を一人しか授からなかったらしく、ブリジットの父や祖父が側近として代々ドロワット子爵家に仕えていたらしいのだ。
因みに予備の爵位を複数持っているのであれば──ということもないわけではないが、いくら高位の貴族であろうとも子供すべてにそのような対応を取ればすぐに手持ちの爵位が無くなってしまうため、余程優秀で国が認めたものでない限り、そのような対応は出来ないようになっているらしい。
父の話ではっきりした。
やはり、ブリジット(の言い分)はオカシイのだ。
先日はシエルのおかげで解放されたが、あの様子では またやって来るだろう。
『地味で目立たない平穏な学生生活』を送るためには、ブリジットにこれ以上関わっている場合ではない。
「ところでルル、入学してまだ一週間でこのようなことを言うのもなんだが、学園で気になる令息ができたら私にでも妻にでもいいから教えて欲しい。婚約の打診をするからね。
ルルが好きになった人であれば、君が他家へ嫁入りすることになっても構わないよ」
きっとルルの母とはお互いに嫡子であることを理由に添い遂げることができなかったため、ルルには家のことは気にしなくていいよと伝えたかったのだろう。
急にそんなことを言われ、ルルはなんと返事をしていいのか分からなかった。
なにが、そして誰が物語に繋がっているのか分からない。
そのためルルは学園で恋をする訳にはいかなかった。
しかしそれは確信のない情報から予測してのことであるため、父親に伝えるわけにはいかないのだ。
ルルはまた、胃がキリキリするのを感じた。




