8 灰青の執着と桜下の蛮行
俺には幼い頃からこの世界ではない、そして「シエル・ブルーベル」でもない、別の人間の記憶があった。
「輪廻転生」という概念があること自体を知らなかったため、その記憶が「前世のもの」だと気付いたのは、記憶が蘇ってからしばらく経ってのことだった。
その世界には身分制度がなく、この世界と違い家族との距離も近かったように思えた。
他家のことはわからないが、我が家では親が子供の頭を撫でたりハグをしたりと触れ合うことは無い。
食事は毎日が高級レストランでコース料理を食べているかのようだったし、食事中の会話はマナー違反。
今日あった出来事などを親に話すのは食後、お茶を飲みながらサロンでと決まっていた。
それも家族の会話ではなく、当主への報告として。
日常生活の世話は使用人が行うが、前世の記憶のせいでそれを受け入れることができず、早い段階で俺はすべて自分で行うようになった。
両親も俺が『異質』であることに、早い段階で気付いたようだ。
俺が「いただきます」といったような この世界にない言葉を発すると、直ぐにマナーの家庭教師に指示が出され、矯正され、無いものとされた。
もちろんテレビやゲームはない、分厚い本はあるけど漫画は無くて、野球やサッカーなどのスポーツもない。
代わりにあるのが詩歌と演劇、楽器演奏、絵画などの娯楽。
女性は刺繍で、男性は狩りや剣術も定番だが、俺はどれにも興味が持てなくて、代わりに勉強にのめり込んだ。
お陰で学園の成績はいつも上位。
そのため両親と兄──家族に存在しない者として扱われることは無かったが、精神的な繋がりは全く感じられなかった。
そんな鬱屈した生活の中入学した学園で、俺は『桜の木』を見つけた。
他の場所には存在しない、この学園のこの場所にしか存在しない『桜の木』。
なぜか前世の桜と違い、淡いピンク色の花弁は何かを見守るかのように一年中咲き誇っていた。
そして何より不思議なのが、唯一無二のこの花を、誰も気に留めていないということだった。
これほどの存在感を放ちながら、不自然なほど誰の意識にも触れていない。
それはまるで、そこに“存在する”のに この世界に馴染めないでいる、自分自身を見ているかのようだった。
「この世界にもあったんだ──『桜』」
しかし俺は見つけた。
いや、彼女が見つけてくれた。
桜の木を見上げ、そう呟くふわふわしたブラウンの髪と桜色の瞳の彼女。
良くあるブラウンの髪色が不自然に思えるほど『桜色』を思わせる彼女。
(桜の精、か?)
その血の気のない肌の色から、初め人外かと思った。
しかし、身につけている学園の制服に気付き、俺と同じ“人”なのだと知る。
その途端、どうしようもなく彼女に俺の存在を知って欲しくなって、思わず声を掛けた。
「──君、新入生だよね」
「ひゃいっ!」
その可笑しな反応に、やはり彼女は人なのだと嬉しくなる。
もっと色々話したくて必死に言葉を紡ぐけれど、彼女は焦った様子で辺りを見渡すと、その表情から更に血の気を無くしていった。
何をそんなに怯えているのかと心配になりつつも、そんな彼女の人間らしい反応を嬉しく思っていると──
「おえぇぇぇぇぇ」
嘔吐かれてしまった。
彼女が人間であったことは喜ばしいが、顔を見て吐かれた──と、言っても何も出てやしなかったけど──ことは地味にショックだ。
煩わしく群がる令嬢たちの反応から、自分の容姿は悪くない方なのだと思っていたが、彼女の好みではなかったのだろうか。
しかも彼女は初対面の俺に怯えている様な気さえする。
俺はなるべく優しく彼女を桜下のベンチに誘導すると、ハンカチを濡らしてくると彼女に告げ、その場を離れようとした。
しかし彼女はそんな俺を引き留め、自分のハンカチを使って欲しいと押し付けて来たのだ。
「え!? じ、冗談じゃないっ! イエ、あ、そうだ、私のハンカチを使ってください!!」
その言葉に”今後関わるつもりはない”のだという彼女からの拒絶を感じた。
彼女は俺から濡れたハンカチを受け取ると、すぐに立ち去ってしまった。
医務室に行くことも、付き添いも断られ、名前を聞き忘れていたため呼び止めることもできず、彼女が遠ざかっていくのを、ただ、見守るしかなかった。
「──確かに『桜』と言っていたな……
名前は教えてくれなかったが……あの桜色の瞳とふわふわしたブラウンの髪──何かに似ているような……」
確か彼女に似たふわふわした可愛らしい菓子があったような……
「……あれはなんて名だっけ──?」
彼女にぴったりなお菓子の名を思い出せず、しばらくその場で考え込む。
「──あぁ、『チェリーパフ』だ」
そう、口にしてスッキリする。
シュー生地に淡いピンク色のクリームが詰まった可愛らしいスイーツだ。
彼女の姿は見えなくなったが、慌てない。
制服の内ポケットには、咄嗟に入れ替えた彼女のハンカチが確かにあるのだから。
しかしそれがいけなかったのだろう。
寮と校舎を繋ぐ小道で彼女を見かけ声を掛けようとした瞬間、なんと逃げられてしまったのだ。
──女性に逃げられたのは初めての経験だ。
俺と関わるのが嫌だということなのだろう。
ならば彼女の意に沿うよう、こちらも他の令嬢に接するように冷静に、冷淡に対応すればいいだけではないか──
そうは思うが自身の感情がいうことを聞かない。
(……)
自分の行為を棚に上げ、走り去る彼女の後ろ姿にだんだん腹が立ってくる。
自分を避ける者など、こちらだって願い下げだ。
そのような相手に時間を割くなどもったいない。
俺は無理矢理そう思い込むことにした。
しかし、彼女はこの世界には存在しないはずの『桜』を知る存在だ。
もしかしたら彼女に会えるかもしれないと、勝手に足が向いた放課後の桜下。
ベンチで寛ぐ俺の耳に、令嬢の穏やかではない言葉が飛び込んできた。
「何なの、その目は!? 生意気ね! 身の程を分からせてあげるわ!!」
これはただ事ではない。
その物騒な台詞に立ち上がると、俺はそちらに足を向けた。
そこには右腕を振り上げた令嬢と、目を閉じ身体をこわばらせた彼女がいたのだ。




