70 『春陽の縁』と断片の真実
ある晴れた日の、老舗のカフェ・サロン。
皆が揃った時点で紅茶とケーキが運ばれてくる。
「あら、ルル。今日はホールでは頂かないのね」
フェリシティが意外そうにルルを見る。
ルルはシエルから、飴細工の青い残骸が光るスノー・クラウンにフォークを突き立てるルルを、フェリシティと共に目撃したと聞いていた。
おそらくフェリシティはその時のことを思い出しているのだろう。
しかし、ルルはマノンにケーキをホールで注文したことを知られ、マナーがなっていないと物凄く叱られたのだ。
シエルとの婚約で精神状態も落ち着いたルルは、もう二度とそんなことはしないとマノンに誓ったが、後にも先にもあんな恐ろしいマノンをみたのははじめてだった。
そんなマノンも今日はとても機嫌がいい。
どうやら想い人が留学を終え、帰国することが決まったらしいのだ。
本日の紅茶は『春陽の縁』。
そんな嬉しい日に似合いの、どこかあの桜に似た香りがほんのり漂う、和やかなお茶だ。
「そもそも何故ルルは、あんなくだらない噂なんかを信じて、第三王子からの求婚を受けようと思ったんだ」
ふと、メイベルが思い出したかのようにそう言った。
学生が無責任に口にする噂など信じるに値しない。情報は選べと指導しただろう、と。
そこでルルは、あの噂を聞いた当初、メイベルとマノンが話していた会話を聞いてしまったのだと白状した。
「ごめんなさい……立ち聞きをするつもりはなかったんです」
「立ち聞き?どんな話だ?」
まるで覚えがないようなメイベルの様子に、ルルは記憶を手繰り寄せ、ぽつぽつと話して聞かせた。
「確か──」
──シエル・ブルーベル公爵令息とフェリシティ様の婚約……
……准貴族としてブルーベル公爵家を支える。
フィズとの婚約……彼との婚約を進めるために奔走している最中……
この会話で、シエルとフェリシティが婚約し、卒業後はブルーベル公爵家の准貴族となるのだと、ルルは早とちりをしてしまったのだ──。
「覚えているか?」
メイベルがマノンを見た。
「それは確か──」
*--*--*
「あら、メイベル様。今日は学園に起こしでしたのね」
三年生が自由登校になってから閑散としたサロンにマノンが足を運ぶと、そこには珍しくメイベルがいた。
「あぁ。久しぶりにマノンの淹れた紅茶が飲みたくなったんだ」
「で、その後の進捗はどうなっておりますの? 学園ではシエル・ブルーベル公爵令息とフェリシティ様が婚約するのではないかという憶測が飛び交っておりますわ」
マノンが紅茶を淹れながらメイベルに尋ねる。
「そりゃそうだろうな。まさか(シエル・ブルーベル公爵令息が)准貴族の座を捨てて、家を出るつもりだなんて誰も想像してないだろうからね。
お陰でこっちは大変だよ」
「ですがそろそろルルにだけには状況を説明しておかないと、完全にブルーベル公爵令息とフェリシティ様が婚約するのだと勘違いしている様子ですわ」
「シエル・ブルーベル公爵令息が平民になる代わりに優秀な伯爵令息である従兄弟──レオン・ハイドレンジアが養子に入り、そいつが准貴族としてブルーベル公爵家を支える。
フィズとの婚約話が出ているのがこの男でさらにそいつは私の恋人なんだ。今、その二人の婚約を阻止し、私と彼との婚約を進めるために奔走している最中だ、とでも伝えるか?
──だがこれはブルーベル公爵家の事情であると同時にウォード公爵家、ハイドレンジア伯爵家、グランベリー伯爵家、四家の事情でもある。公言されていない以上、我々が勝手にその話をするわけにはいかない。ルルに話して聞かせて良い者がいるとすれば、シエル・ブルーベル公爵令息本人だけだ」
「あのお茶会で、大分フェリシティ様がかなり意地悪──いえ、彼を試すようなことをされていらっしゃいましたが……」
「特にルルはまだ一年生、そして権力に弱い下位貴族──男爵家の娘だ。我々が卒業しようとも三華の絆が消えてなくなるわけではない。しかし、これまで身近で守っていた存在が離れた瞬間、その隙を狙ってくる輩は必ず出てくる。フィズはそれを心配しているんだ。
前世と違い、家や領地がある以上、この世界での婚姻はただ『好きだ』というだけでは成立しないからな。
フィズは自分のことを二の次にしてでも、私たち三人が自ら選んだ護り手、彼らがその役目を全うするに相応しい人物なのか、試そうとしている──三華の信条を成そうとしているんだよ。
まぁ、マノンのお相手はフィズというよりウォード公爵にしごかれているようだがな……ふふふっ。
……フィズもそろそろ自分の幸せを考えてくれるといいんだが──」
「そうですわね……」
*--*--*
ということらしい。
ルルはその中から会話の断片を拾ってしまったようだ。
フェリシティ様がシエルに仕掛けた意地悪も気になるが、ルルはあの一連の問題をスッキリ解決することを選んだ。
「あと、ですね──」
ルルはルカからバルトが公爵家の権力を使ってパックス男爵家に無理矢理婚約話を持ってくる可能性があり、その際公爵と同等かそれ以上の地位の婚約者を持っておく必要があると言われたこと。
そして聞こえていなかったとはいえ、シエルがルルの友人からの祝いの言葉を否定しなかったことを正直に話した。
「今更だが……バルト・ルメールの件は気にしなくていい。王族に怪我を負わせたうえに、ルル自身に危害を加えているところを多くの人間に目撃されている。ルルだけじゃない。どんな貴族令嬢に断られたって文句は言えない状態だからな。ルルがバルトに会うことは生涯ないさ」
(え、じゃぁ、殿下が言っていたのって……?)
メイベルの説明にルルはそう思ったが、バルトのことはあまり考えたくない。
もう会うことが無いのであれば、それでいいかと思うことにした。
ただ、そうは思えない者もいた。
「そう……そうだったのね……」
ルルとメイベルの話を黙って聞いていたフェリシティの扇を握る手元から、パキリと鈍い音がした。




