57 翠玉と灰青の密約、沈黙の代償
ルルはフェリシティが好きだ。
銀髪翠眼、その引き込まれそうな美しさも、その高潔な魂も。
三華の信条を胸に、何があろうともブレないその姿勢と、他者の幸せを心から願えるその崇高な精神、先輩としてルルを指導し、これからのルルが困らないように心を砕いてくれているところも。
きっと今だって、ルルのことを想い、心を痛めてくれている。
だから誰より幸せになって欲しい。
そして、シエルにならばフェリシティを任せられる。
だから、彼のことはこれ以上考えない。
ルルは、目立たず平穏無事に学園生活を送り、無事に卒業する。
そして、男爵家を継いで、両親を安心させて、幸せにするのだ。
だから、これから先も恋はしない。
勉学に励み、友人とはしゃいで……それで十分だ。
だから──
「それに、私は、私のために生きることを望んでいません。家族やフェリシティ様が幸せでいてくれたら、それでいいんです」
「──そう……貴女は私が三華サロンに託した想いを否定するというのね……」
*――*――*
「この度はご迷惑をおかけして申し訳ない」
あの日、フェリシティはシエルと貴族街にある老舗のティー・ハウスで待ち合わせていた。
その店の二階席は個室になっており、外から中の様子が確認できる仕様になっているからだ。
婚約者ではない未婚の男女が会合をする際にこのような場所を利用するのは、ごくごく普通のマナーである。
シエルはフェリシティが到着し席に着くと、開口一番そう口にした。
頭を下げなかったのは、外からの視線にどんな話をしているのか、悟らせないためだ。
「そうですわね、と言いたいところですが婚約は当主同士の利害が往々にして関係しますもの。
ですから今回後手に回ったことに関しては、貴方のせいではありませんわ。
この件に関しては私の意見も父に聞き入れてもらえませんでした。
嫡子でない、しかも学生の意見など当主からすれば、取るに足らないものなのでしょう。
──ですが、たとえ政略であろうとも親友の恋人の伴侶になるなど、わたくしの信念に反しますわ」
そう、今回の婚約話はフェリシティと現在留学中のシエルの従兄弟レオン・ハイドレンジア──メイベルの恋人である令息との間で交わされようとしているのだ。
「クランベリー伯爵令嬢はなんと?」
「──『はっはっは。レオンが公爵家の養子に? おまけに准貴族か。レオンとフィズさえよければ私は身を引いても構わないぞ。アイツはいい男だ。きっと、フィズを幸せにしてくれる』 ……だそうよ」
フェリシティはそのときのメイベルの様子を思い浮かべ苦笑した。彼女が本気で言っているのだと分かるから、笑うしかない。
「……は、はは……」
シエルはシエルで、意外にも目の前の高貴な令嬢の口から出た親友を模した口調に乾いた笑みを浮かべた。
フェリシティ本人はいたって真面目な様子であるため、笑うに笑えない。
まさか、この微妙な空気感での苦笑の応酬を、『微笑みあっている』などと解釈している令嬢たちがいるなどとは夢にも思わなかった。
「コホン、レオンが聞いたら泣くな」
シエルはひとつ咳払いをすると、自分のせいで要らぬ重責を負わせてしまった同い年の従兄弟の姿を想像した。
「協力はしていただきますけれど、今回のことだけに関しては、貴方に責任があるとは思っておりませんわ。
准貴族の地位があれば、ハイドレンジア伯爵令息もクランベリー伯爵の手元からメイベルを攫うことも容易いでしょうから」
不意にフェリシティが、長い睫毛を伏せて呟く。
「……やはりあのような者とでも、一度婚約破棄されたという事実は重くのしかかってきますのね。
父に、『この婚約の話を棒に振り、お前は今後どうするつもりなのだ』 と言われてしまいましたわ。
やはりあちらと違って女性の自立は厳しいですわね」
不意に漏らされたフェリシティの弱音とも試しとも感じる言葉に、思わずシエルが反応する。
「っ! やはり君は……いや、君たちは……」
シエルがそう言いかけた時、
パンッ
フェリシティは音を立てて扇を開くと、口元に当てた。
それ以上は詮索無用の合図である。
「──ブルーベル公爵令息は何故公爵家を捨てることに致しましたの? と、お聞きしても構わないかしら。それと今回の件に関する主な事情を。
本来ならばそんな立ち入ったことは聞くべきではないのでしょうが、今回ばかりはそうもいきません。家庭の事情など、情報収集だけでは知り得ませんもの」
あからさまに話を逸らされれば、それ以上の追及はマナー違反だ。
「──……俺は幼い頃から、貴族社会が肌に合わなくてね。幼い頃から卒業後は公爵家を出ていくと決めていたんだ。
もちろん両親も納得済みだ。その時は従兄弟の誰かを俺の代わりに養子にとることも予め決まっていた」
仕方なくシエルは、フェリシティの疑問に答える。
彼女であればたとえサロンの華たちにですら、他言するようなことはしないだろう。
それに、情報を出し惜しみしている場合ではない。
「しかし両親は完全に諦めていたわけではない。俺が学園入学後に妻に迎えたいと思える令嬢に出会いでもすれば、准貴族の地位を欲するだろうと未だに思っているんだ」
その為、家を出ると他言することを、シエルは今でも禁じられている。
「──俺の能力を認めてくれていたのは嬉しいが、生憎そのような令嬢は現れなかった……」
(公爵家に迎えたいと思える令嬢は、ですのね……)
「しかし、俺が予定どおり家を出るつもりだと告げたのと同時期に、レオンが留学先で首席卒業するという情報が父の耳に入ったらしいんだ」
「それでハイドレンジア伯爵令息に白羽の矢が立ったと?
ですがメイベルとて伯爵令嬢。三華のメンバーですし、准貴族の妻であれば身分的には問題はないはずですわ」
「…………それがその……クランベリー嬢は、かなり……いや、少し言動が独特でデリカシーがないだろう? そういう令嬢をうちの母親は好まないんだ……だからちょうど婚約者のいないウォード公爵令嬢に打診しようという話になったらしい」
公爵とはいえ准貴族。
本来なら公爵令嬢に打診するような話ではないが、フェリシティは過去に婚約が解消されており、瑕疵があったため、ちょうどよいと思われたらしい。
前世の物語では白紙や解消はきれいさっぱり履歴が消えるというのが定番であったが、フェリシティほどの高位貴族ともなればたとえ解消といえども人々の記憶には残る。
そこを利用された形だ。
フェリシティは物語から離脱するためとはいえ、メイベルは少々やり過ぎたのだと扇の下で舌打ちをした。
ふと、窓の外を眺めていたフェリシティが呟く。
「……困りましたわね」
「いや、レオンには手紙を送っている、あいつが戻り次第、なんとか母を説得してみせる。母さえなんとかすれば……」
「公爵夫人が納得しようとも、それでは私の嫁ぎ先がなくなるので、父が納得しないかもしれません──いえ、そうではなくて……」
フェリシティは扇を閉じると、さりげなく扇先を窓の方へむけ、道を挟んだ向こう側のかわいらしい造りのパティスリー・カフェを指し示した。
フェリシティの動きに合わせてシエルの視線が静かに誘導される。
(あれは完全に誤解している食べっぷりですわね)
きれいに磨き上げられたガラス窓の向こう、ルルの前におかれた白いホールケーキの上には、先程まで白い王冠の上で何かしらを象っていたであろう飴細工が、見る影もなくキラキラと光る破片となって散らばっていた。




