52 三華の解散近し!淡桜を追い詰める瑠璃の提案
『三片の恋標』ルル編のエンディングである今年度の卒業式が迫ってきた。
ルル・パックス男爵令嬢とバルト・ルメール公爵令息が織りなす歪んだ愛と復讐の物語。
この話の悪役を務めるのは悪役令嬢──バルトの婚約者、公爵令嬢フェリシティ・ウォードである。
しかし、それもバルトがフライングで婚約破棄をしていたり、ブリジットと共に学園から姿を消したりしたことで、後はフェリシティとメイベル──そしてシエルの卒業を残すだけとなった。
あ、ついでにルカも卒業だ。
──その日は、三つの物語からなる『三片の恋標』という物語が完結する日であり、三華サロンが閉じられる日でもある。
「寂しくなるなぁ」
男爵家を継ぎ、両親を安心させることを目標に持つルルにとって、憂いが完全に無くなる来年からこそが本番なのだが、ついそんなことを考えてしまう。
そんなある日、ルルがクラスメイトと話していると、ひとつの噂が話題に上った。
それは、ブルーベル公爵家次男であるシエルとウォード公爵家長女であるフェリシティの婚約が、近日中に締結されるというものだった。
「ルルは何か聞いてる?」
「え? いえ、なにも……」
ルルはその話を聞いたとき、なぜか一番に「なぜ?」と思ってしまった。
「ルルが聞いてないってことは、ただの噂なのかなぁ」
クラスメイトが、無責任にも楽しそうに話している。
「特に今の三年生は二年生の時から、二年生は入学当初からこのクラス編成でしょ? 未だに婚約者がいない人、多いらしいのよ」
政略結婚が主とはいえ、それでも子を成し、永い時を共に過ごすのだ。
これまでは当主が示したいくつかの選択肢の中から、学園で人となりを見極めた上で選んだり、学園で好意を持てる者と出会い、家同士の契約に差し障りがなければ本人たちの意見が通ったりすることもあったため、学園入学後に婚約者を決めるケースがほとんどだったのだ。
「卒業間近で自由のきく今、バタバタと婚約を決めているから、最近三年生は婚約ラッシュなのよ」
「だいたい卒業してから数年で結婚しないと行き遅れ認定される今の社交界がおかしいのだと思うわ」
「学園がこの調子ならその常識もそのうち変わるのではない?」
一年以上前からこのクラス編成が分かっていた彼女たちは、入学前にお茶会などで顔合わせを行い婚約済みらしい。
だからこその余裕の発言だ。
「どのみちウォード公爵令嬢にもブルーベル公爵令息にも婚約者がいないのだから、わからないよ? 爵位も見合うし、何よりお似合いだしね!」
お似合い。
クラスメイトの言葉が何故かルルの心を抉った。
(なぜ?)
婚約をするということは、当たり前だが将来結婚するということだ。
前世での結婚には、まず前提に「好き」という気持ちがあった。
告白して、思いが通じたら恋人になって、デートを重ね、この人がいいと思えたら、プロポーズして、それから、結婚、入籍する。
パックス男爵が「気になる男性がいたら教えてほしい」と言ってくれていたため忘れていたが、この世界では婚約・結婚は家と家の契約で、当主の打算であることも多い。
とくに高位貴族であればあるほど、本人の気持ちなんて二の次なのだ。
二人とも嫡子であったとはいえ、ルルの両親がそうであったように。
だけどルルは二人の婚約話を聞いたとき、なぜか、「なぜ?」と思ってしまった。
(なんでだろう?)
気のせいか、最近落ち着いていた胃がキリキリするのを感じながら、ルルは噂の真偽を確かめるために、三華サロンへ向かった。
ルルがサロンの扉を開けると、そこにいたのはマノンだけで、いつもの定位置で微笑んでいるフェリシティの姿も、お茶菓子を摘まむメイベルの姿もなかった。
「いらっしゃい、ルル。なんだか寂しいわよね。卒業が近くなると社交界デビューも近くなるから、三年生はあまり登校しなくなるのよ」
がらんとしたサロンを見渡し、マノンが眉を下げた。
そういえば、先日生徒会役員の引き継ぎ式が行われ、新しい役員の紹介があった。
三年生は皆、着々と次のステップに進む準備をしている。
いつの間にか大人になっている平民と違い、貴族子女は卒業後に控えている社交界デビューというイベントの後に大人の仲間入りとなるのだから当たり前か。
「あの、フェリシティ様に婚約話があるって本当ですか?」
ルルは思いきってマノンに尋ねた。
マノンは少し困ったような、申し訳なさそうな顔をして、ルルの質問に答えた。
「そうなのよ。だけどお相手の家がまだ公言していない情報があって、詳しく教えてあげることが出来ないの。わたくしも実家の商会経由で入手したものだから……ごめんなさいね」
マノンはそう言うが、「フェリシティが婚約する」ことは、確かな情報らしかった。
三年生が学園に来なくなり、図書館のあの席も、桜下のベンチも、ルルひとりだけの特等席になった。
「あーあ」
訳も分からずに気持ちが沈み、大きなため息が出た時、後ろから声を掛けられた。
「やぁ、パックス男爵令嬢。そんなに大きなため息をついてどうしたんだい? この小さな花弁たちが吹き飛んでしまいそうだ」
ルカ・アシュフォード第三王子だった。
「──確かにウォード公爵令嬢がブルーベル公爵家と婚約を結ぶという話は出ていると、私も聞き及んでいるよ」
さすが王族である。ルルがマノンにした質問をルカにぶつけたところ、そのような返答が返ってきた。
ルルはその言葉をきいて、胃の痛みが少し増したような気がした。
──シエルは頼りがいのある優しい男性だ。
ルルを護り、助けてくれたように、フェリシティを生涯護り続けてくれるに違いない。
シエルは公爵家の次男で公爵家に残る身。
そしてルルは男爵家を継ぐことを至上の命題としている。
一方フェリシティは公爵家の優秀な次子ではあるが、幼い頃からバルトに嫁ぐことが決まっていたため、公爵家には次男と三男であるフェリシティの弟たちが残ることに決まっているらしいのだ。
だから、嫡子であるルルと違い、フェリシティは何の憂いもなく、他家に嫁ぐことができる。
そもそも、公爵令息と男爵令嬢なんて、あり得ない……
(──っ! ……って、私は何を考えているの?)
ルルはそこまで考えて、強引に思考を停止した。
だって、だってこんなの、まるで……
(まるで、私がハンカチ男を好き、みたいじゃない──)
ルルがそれに気付いたとたん、ポタポタとルルの目から雫が落ちた。
なんだこれ。
ルルは制服に出来たシミをこすり、それを消そうとするけれど、後から後から落ちてくるその雫は一向に降り止まず、シミは広がっていくばかり──
ルルの様子を静かに見ていたルカは、掛けていたベンチから立ち上がるとルルの前に跪き、そっと“ハンカチ”を差し出して言った。
「私なら決して君を泣かせたりしないよ。
ルル・パックス男爵令嬢。
君の心の中に誰がいようと構わない。
──どうか私と婚約してくれないか?」
(え?)
あまりにも突然で、考えもしなかったルカの言葉に驚き過ぎて、ルルの雫は一瞬で止まってしまった。
ルカの真摯な眼差しからは、いつもの軽さは感じられない。
ふと、風が運んできた、ルカのハンカチから薫るアンバーとバラの香りがルルを現実へと引き戻した。
ルルは制服の袖で乱暴に雫を拭うと、ルカを睨み付けた。
「慰めてくれたのはありがたいですけど、そういう冗談は言ってはいけないと思います」
「……冗談を口にしたつもりは、ないんだけどな」
「だっ、だとしても、私は男爵家を継ぐことを目標にしています! 殿下とは結婚できません!」
ルルの言葉にルカはハンカチを内ポケットに戻すと、フッと微笑みベンチから立ち上がった。
「君には今、婚約者がいないだろう? そして、これまで君を護ってくれていた三華サロンも今年度で解散だ。
しかし、君を狙う最大の敵、バルトは除籍されたわけではない。彼はもう失うものはないというところまできている。
もし、ルメール公爵家から婚約を打診されれば、パックス男爵家は断れないだろう」
ルカはそう言ってルルの頬に掌を当てると、自身の親指で拭き残されたルルの涙を拭った。
「君と男爵家を護れるのは、僕との婚約だけだよ」
ルルはバルトの末路を知らない。
学園から去ったことで、バルトとのことは終わったものだと考えていたが、これは現実。
彼は学園の外でピンピンしているのだ。
考えもしなかったその可能性に、突如ルルを恐怖が襲う。
ルルは思わず俯き、自分の身体を抱き締めた。
「私は男爵家に婿養子に入っても構わないよ」
考えておいて──
次にルルが顔を上げたとき、その場にルカの姿はなかった。
ルカの残り香だけが、先程のやり取りが現実のものであったのだと、ルルに突きつけていた。




