51 三華の試練と不思議なお茶会
華の主であるフェリシティの脅しにも似た誘導によって、シエルはとうとう窓際のティーテーブルにまで来てしまった。
乾かすから、という侍女に濡れた上着を預けると、ふと視界の隅に桜色が映り込み、その存在に気付く。
その窓からは、ちょうど『桜の木』と『ベンチ』が一望でき、先ほどフェリシティが言っていた『入学式から何度も』の意味を知る。
(全部見られていたというわけか……)
恥ずかしくはあるが、この立地であれば見られていたとしても文句はいえない。
(……次からは気を付けよう)
そう思ったシエルに、フェリシティの声が掛かる。
「さぁ、新しいお茶が入ったわ。ルルが戻ってくるまでもう少しかかるだろうから、先にいただきましょう」
「そうだな、じゃあ、お先にいただきます」
「え。」
二人の言葉に、シエルが反応する。
「どうかいたしましたか?」
マノンがそう尋ねると、シエルは「いや……」と言葉を濁す。
(もしかして彼女たちも……)
この世界で貴族が食事を開始するとき、決まった言葉はない。
食事はあって当然だ。
食事を“頂く”などという謙遜するような気持ちはない。
そのため料理を作ったシェフを褒めることはあっても、食に対して感謝をすることはないのだ。
プレートの漢字。
そして、古い故郷での食前の挨拶。
三華の女性たちには心地よい、同じ前世の気配を感じる。
しかし、ルルには感じた渇望するほどの懐かしさを、不思議と彼女らには感じなかった。
「ところでハンカチと言えば……」
突然切り出されたフェリシティの『ハンカチ』という単語にギクリとする。
「──学園にこのような逸話があるのをご存じかしら……」
わざとらしく間を置いて話し出すフェリシティに、シエルは 「さあ?」 と涼しい笑みを浮かべるが、心の中では頭を抱えていた。
(間違いなく、見られている……)
あちらの世界では苦情案件でも、こちらの世界では隙を見せたシエルが悪い。
同じ年齢、同じ公爵家の第二子であるというのに、シエルはフェリシティに一挙手一投足を試されているような気持になる。
シエルはこの後ルルが戻ってくるまでの間、これまで参加したどのお茶会よりも落ち着く空間で、これまで参加したどのお茶会よりも落ち着かないという、不思議な時間を過ごした。
*--*--*
今回、ルルが何故無事だったのか。
時はバルトと最初に出会った直後にまでさかのぼる。
「──どうか私に皆様の……三華の皆様の力を貸してください!!」
自身が三片の恋標第三話の主人公だと知ったルルは、小説でのルル・パックス男爵令嬢の話を聞き、三人に力を貸してもらえるよう懇願した。
「──マノン、例の物をルルに」
その懇願を当然だと受け入れた三人は、“ある物”をルルに渡した。
それはブリジットに、ルルが図書室で水を掛けられてしまった事件を受けたフェリシティが特別注文し、シュクレ商会が入手した、最近他国で出回りだしたばかりの水でも落ちない染粉だった。
「雨の日もあるし、また似たようなことが無いとは言えないわ。今からこれで髪を染め直してからお戻りなさい。
ご両親はもう貴女が学園で髪を染めていることはご存じなのでしょう?」
──お陰で今日、噴水に浸けられても髪色がバレることが無かったのだ。
しかもその時、
「よく物語なんかで何度も水に顔をつけられて『苦しいっ!』っていう場面があるだろ? あれってその間息を止めていたら平気だったりするんだろうか──」
という話をメイベルとし、冗談半分、本気半分で、激しく体を揺すられながら長く息を止める訓練なんかをしていたのだ。
それが今回役に立った形だ。
最初は混乱していたが、このままでは死んでしまう……! と思った瞬間、ルルはそのことを思い出した。
あのような目に遭わされたルルが平気そうな顔でピンピンしているのもおかしいし、ゼェハァ言いながら死にそうなふりをする演技も至難の業──
考えた末、ルルは一番簡単だが無防備な姿をさらしてしまうというリスク満点の選択──『気絶したふり』を選んだ。
案の定、地面に放り投げられた上に、ブリジットのスカートで髪を擦られまくるという責め苦を味わう羽目になった。
*――*――*
「本当にあの時来てくれて助かりました。あ、お礼にクッキー食べます?」
そんな事情をシエルに話すわけにはいかないため、ルルは鞄からクッキーを出すとシエルに小さな包みを渡した。
すると、やはりあの場所にはルカとの待ち合わせで行ったらしいと知ったシエルの眉間にシワが寄った。
「殿下のために作ったクッキーじゃ……」
シエルはそう言って断ろうとしたが、ルルは笑顔で答えた。
「持っていった分はボロボロになってしまったけど、殿下の分はまだたくさんあるので大丈夫です。これはいつもお世話になっている方へお礼として作ったんです」
「お世話なら私たちもしているぞ」
そこで、ルルのクッキーを気に入ったらしいメイベルが割って入る。
「もちろんです。皆さんの分もちゃんとありますよ!」
そう言うとルルは大量のクッキーを皿に盛った。
(殿下に、大量生産のお礼──)
その様子を見て、シエルはなんだか気分がよくなるのを感じた。
「あんなことがあったばかりだ。
同じクラスだし、殿下の分は俺が渡しておこうか? 殿下も文句は言わないだろう」
思ってもない提案に、ルルはフェリシティの顔をチラリと見る。
フェリシティは「クッキーだけでは失礼だから、別途お礼をしたためて同封するといいわ」というと、侍女に指示した。
ルルは「お願いします」と、書き終えた手紙とクッキーの包みをシエルに渡した。
「確かに渡しておくよ」
「そうだわ。ついでにルルは、しばらく男爵家に帰します。そう、殿下に伝えて頂いてもいいかしら」
「え、また帰るんですか?」
ルルが尋ねる。
「あのような目に合っておきながら授業に出るつもりなのか? 随分逞しくなったな」
「休養が必要な理由は前と同じだけれど、今回は身体と精神にかかっている負担が違うわ。
今は緊張と興奮でなんともないでしょうけれど、明日になったら何か不調が出るかもしれないの。無理は禁物よ。
それに今日のことは男爵家にも連絡が行くでしょう。
元気な姿を見せて、ご両親を安心させて差し上げるといいわ」
メイベルとマノンにそう言われ、ルルは「わかりました」と返事をする。
「……見舞いの品を送ってもいいだろうか」
「いえ。絶対にやめてください!」
シエルの申し出にルルが食いぎみに断りをいれる。
若干傷ついたシエルであったが、続くルルの 「それでなくてもお父様がいっぱいいっぱいなのに、公爵家からお届け物なんか届いたら(しかも男性!)、卒倒してしまいます!」 という言葉に、ほっと胸を撫で下ろしたのだった。
今回の件に関してのバルトとブリジットの言い分は、こうだ。
接近禁止命令を無視して危害を加えても、ルルの校則違反が明らかになり退学となってしまえば話は変わってくる。
ルルが退学となり、パックス男爵から捨てられ、平民に戻れば、『男爵令嬢』であるルルの存在自体が無いものとなるため、その罪自体が消える──
そう思い、あのような暴挙に出たらしい。
二人が退学になるのだと聞くと、ルルはそれ以上のことは、いらぬ情報であると、耳に入れることを拒否した。
あの二人のことを思い出すと、シエルが来てくれるまでの、あの恐怖の時間も思い出してしまうからだ。
学園を退学になったブリジットは子爵家から除籍されることとなった。
ルルを陥れようとしたことが、自分に跳ね返ってきた形だ。
一方バルトは次期公爵という未来を失った上で、今すぐ領地に蟄居することとなった。
自分を嵌めたブリジットをバルトが赦すわけもなく、平民となったブリジットは使用人としてバルトに引き取られ、彼と共に一生ルメール公爵領に閉じ込められることとなった。
今後の自分の人生には不要だと判断したルルの耳には、一生入ることのない情報である。




