5 枯死した乙女と招待状
「チェルシー・ピピンよ。チェルシーって呼んでちょうだい」
そう名乗った彼女はルルと同じ男爵令嬢だ。
この学園では下位貴族の令嬢は同じクラスの生徒との挨拶に、爵位は必要ない。
それは『学園内では皆平等』とかいう危険極まりない理由ではなくて、このクラスの生徒全員が『男爵令嬢』だから。
そう! なんとこの学園は『男女別』、しかも『爵位順』でのクラス分けなのである。
(そんな環境では恋なんて始まりっこない!)
それを聞いた時、ルルは万歳三唱をしてしまった。
父と義母、そして使用人に「なんの儀式だ」と驚かれてしまったが、気にしない。
しかし、ここが物語の世界であるのならば、おおよそ考えられないクラス編成をルルが疑問に思っていると、チェルシーがその理由を教えてくれた。
「以前は、男女一緒で成績順のクラス分けだったのよ」
「え?」
「私の婚約者から聞いた話なのだけれど、なんと学園の制服を身につけた平民が男爵令嬢のフリをして紛れ込んだうえに、公爵令息と恋に落ちたらしいわ」
この学園は貴族学園だ。
ルルのような場合や、正式に養子として迎えられている場合は別だが、いかに頭がよかろうと平民は入学できない。
とりあえず王侯貴族の子女を多く預かる学園に、制服を手に入れただけの平民が簡単に入り込めてしまったという杜撰な警備体制と、見知らぬ生徒に誰も気付かないというクラス編成の見直しが行われた。
「でね、そのあと更に生徒同士の不義によって婚約が破棄されるという出来事も起こったそうなのよ」
貴族の婚約は家同士の契約であることが多い。
その契約が学園内で行われた不義によって破棄されるなどあり得ない。
その事態を重くみた学園側が、校舎を男女に分け、出会いの場を物理的に減らすという対策をとることにしたのだという。
これが、クラス編成が爵位順・男女別に変わった理由らしい。
「出会いがないから、婚約者がいない方は大変みたい」
高位貴族はともかく、大勢いる下位貴族の子女の中には学園入学時に婚約者が決まっていない者も多い。
一応食堂や図書館等の男女共用スペースはあるが、そこだけに出会いの可能性を賭けるには学園生活は短すぎる。
そのため、放課後に集まる男女合同の社交クラブやサロン活動が、近年とても活発になっているのだという。
不義は隠れて行うものだから、公的な集まりである活動や共有スペースならば問題ないという考えらしい。
(たとえ出会いが公共の場であっても、隠れてコソコソする方法はいくらでもあると思うけれど──)
まぁ、王族や高位貴族の子女を同じクラスにまとめておくことは、警備の面からいえば理に適っているのかもしれないが。
「もちろんクラブやサロンには、入るも入らないも自由よ。
──そうそう、サロンと言えば、そしてこの学園にはみんなが憧れるとても有名なサロンがあるの──」
チェルシーの話は続いているが、そこまで聞いてふと気付く。
『男爵令嬢と公爵令息との恋』、そして『婚約破棄』。どちらも物語には必要不可欠な要素だ。
それが学園に潜り込んだ平民であるのなら、一気にその物語性に拍車がかかってくる。
髪色や境遇からルルは自分がヒロインではないかと思っていたが、ひょっとして物語は既に終わっているのかもしれない。
その可能性に、期待が高まる。
はっきりしない以上安心するのはまだ早いけれど、どのみちこの乙女心も枯れ果てそうなクラス編成だ。
モブに紛れ、サロンにも所属せずに教室で大人しくしていれば、なんの問題もなく三年間を過ごせるのではないかと思えてきた。
将来のために勉学を優先すると決めているルルに出会いなど不要。
何の問題もない。
詰んだと思った人生に希望の光が差し、ルルは胃痛も吹き飛んでスキップでもできそうなほど軽やかな気分になっていた。
しかし、その高揚感は一人の男の存在によって、いとも簡単に消え失せた。
チェルシーと共に寮の方へ向かって歩いていると、前方に見覚えのある髪がやってきたのだ。
しかも人の流れに逆らい、ルルの方に向かって歩いて来ている。
すれ違う令嬢が頬を染め、振り返るのが見える。
彼の持つ色によって、先に気付くことができたのはラッキーだった。
これでルルの髪が桜色のままであったなら、彼からも気付かれていただろう。
「ハンカチ男だわ」
「ハンカチ男?」
山田太郎とかいう分かりやすい名前ならともかく、あんな状況で聞き慣れないカタカナの名前を名乗られても覚えられるはずがない。
そのため、ルルの脳内(口に出ていたが)でシエルは、ハンカチをすり替えた意味不明で危険な男=『ハンカチ男』となっていた。
と、その瞬間、彼の灰青の瞳と目が合った。
「げっ……!」
ルルは今、モブに紛れているはずなのになぜ気付く!?
その瞳と髪は穏やかな灰青。眉目秀麗で背が高く、おまけに生徒会役員という肩書付き。
ただでさえモテ要素が満載な男性なのだ。
そんな彼に公衆の面前で声を掛けられたら絶対に目立ってしまう!
たとえ失礼になろうとも、何がフラグになるかは分からない。
平民上がりの男爵令嬢など、貴族令嬢の手に掛かればあっという間に骨の髄まで食い尽くされるに違いないのだ。
物語が終わっていようといまいと『地味で目立たない平穏な学生生活を送り、無事に卒業する』という目標は変わらない。
家族を守るのならば、彼に関わってはいけない。
『君子危うきに近寄らず』というヤツだ。
「……チェルシー、所用を思い出したから、ここで失礼するね」
ルルはチェルシーにそう告げると踵を返し、声を掛けられる前に脱兎のごとく逃げ出した。
しかし、ルルの受難はこれだけではなかった。
「わたくし、二年のマノン・シュクレと申します。こちらのクラスのルル・パックスさんに取り次いでいただけます?」
翌日の放課後、ルルのクラスに藤色の髪と蜂蜜色の瞳の二年生──マノン・シュクレ子爵令嬢がやって来た。
年頃の令嬢にしては珍しくふくよかな体型だが、それが彼女のたおやかな所作をより際立たせている。
「サロンを代表して参りましたの。お茶会の招待状ですわ」
これは何かのフラグに違いない。
受け取ってはいけない──そう頭では分かっているけれど、彼女の柔らかい雰囲気に流され、また、クラスメイトたちの圧に押され、気が付けばルルは両手を出していた。
「──当日、楽しみにしておりますわね」
本人はそれだけ言ってふわりと微笑むと、ルルの返事も聞かず、優雅に去って行った。
唖然とするルルの手元には、一通の招待状──
「凄いわ!ルルっ!『三華サロン』からの招待状なんて!」
『三華サロン』
先日チェルシーに放課後の活動についての話を聞いたときに、真っ先に話題に上った『みんなが憧れるとても有名なサロン』の名だ。
チェルシーを筆頭にクラスメイトたちは興奮冷めやらぬといった感じでルルを──いや、ルルの手元を凝視している。
それほど人気のサロンの招待状が、どうしてルルの元に来ることになったのかは分からない。
赦されるのなら、なかったことにしたい。
指先に伝わるのはしっとり、それでいてふんわりした質感。
そのオフホワイトの封筒は素人目に見ても、その差出人が上品で落ち着いた人であることを物語っていた。
(あ、これ絶対|高い《高位貴族が関わっている》ヤツだ)
ルルは高位貴族のお姉様に呼び出されるようなことは、なにもしていない。
──ルルは覚悟を固めると、大きく深呼吸をした。
そして、震える手で封筒を裏返すと、意を決して封蝋を見た──
「……って、え? あれ? ……え?」
ルルは思わず声を上げ、ぱちぱちと目をしばたかせた。
だってそこにあったのは、物語でよく見る深紅の封蝋ではなく、封字──前世で見慣れた「〆」の文字だったのだから……




