41 懐かしい言葉と灰青の執着
「ブルーベル公爵令息、一つ、頼まれてくれないかい」
チェリーパフとの約束の日、俺は待ち合わせ場所に向かう前に第三王子から預かった書類を持って、生徒会室に立ち寄った。
(かなりの時間をロスしてしまったな……)
なにか嫌な予感がして、急いで待ち合わせ場所に向かうと、とんでもない光景が目に飛び込んできた。
ブラウンの髪の女生徒を桜の木に押し付け迫る、バルト・ルメール公爵令息の姿だ。
彼女ではないかもしれない。
合意の上での逢瀬かもしれない──
そんな可能性など全く考える余裕はなく、俺はその瞬間、トップスピードで彼女の元へと向かっていた。
「俺がひとつずつ教えてやる。まずはこういう時、目は閉じるもんだ──」
その台詞が耳に届いた瞬間、頭が真っ白になり、気付けばバルトの制服の首元を掴んで、彼女から引きはがしていた。
(チェリーパフ……!)
バルト・ルメールの影から姿を現したのはやはり彼女だった。
彼女の淡い桜色の瞳が、いつもより濃く映る。
目が赤い──やはり、同意ではなかったのだ。
「もう……はっ、大、丈夫だ……から……はっ」
彼女を背中で庇い、バルトの視界から消す。
本当は息をすることも苦しかったのだが、彼女を安心させるように、そう、伝える。
「お前はシエル・ブルーベル──……そうか、お前もルル・パックス狙いなのか」
「だったらなんだと言うんだ」
ここで怯めば負ける。
“狙う”などという、下品な感情ではないと言いたかったが、彼女を守るため、ここは強気に出る。
「次男のお前の行き着く先は准貴族、一方俺は次期公爵だ。分かるだろう?
ルル・パックスの魅力を存分に引き出し、着飾らせ、飼うことが出来るのはお前じゃない──」
事情があり、現在ブルーベル公爵家の家督問題は混迷を極めており、話し合いは平行線のままだ。
なので、何も言い返すことが出来ない。
だが、人生を共にする伴侶を『飼う』などと言う奴に、彼女は渡せない。
「──男爵家をぶっ潰してお前を手に入れる」
そうバルトに言われた瞬間、彼女が俺の上着を握る手に力が入り、体を固くしたことがわかった。
その手から小刻みに伝わってくる振動で、彼女は俺が阻止したバルトとの行為を決して望んでいたわけではなかったのだとはっきり分かり、安堵する。
そして、バルトが体勢を立て直して俺と対峙し、睨みあったタイミングで、植込みの向こうから場違いな明るい声が割って入った。
「はい、そこまで」
「あ? 何故第三王子がこんなところにいるんだ?」
バルトと同意見であることは腹に据えかねるが、何故俺に生徒会室行きを頼んだ第三王子がここにいるのか。
「ここのベンチは私のお気に入りの場所なんだ。こそこそとやって来た子猫の気配を感じてね。
挨拶をしようと思ったところ、開口一番ひどい言葉を投げ掛けられたものだから、拗ねていたところさ……おまけに最大のピンチに、助けすら求めてもらえないとは……私はそんなに頼りないかい?」
要は最初から彼女のピンチを知っていながら傍観していたということか。
許せない気持ちで殴りかかりそうになるが、彼は王族。
結果としてバルトを連れて行ってくれたことだし、今は彼女が優先だ。
彼女はかなりのショックを受けたようで、俺の制服を離す気配がない。
それは全く構わないのだが、上着の背中を握られたままでは彼女の顔が見えない。
俺は制服の上着をそっと脱いだ。
彼女はそれにも気付かず、震える手で俺の上着を握りしめたまま、何かを堪えるように目を見開き、一点を凝視していた。
「大丈夫か?目が赤い……怖かっただろう、泣きたいのであれば、我慢せずとも──」
静かに声を掛けると、彼女の淡い桜色の瞳が俺を捉えた。
「う、うううぅっ。こ、怖かっだ……」
その瞬間、何かが決壊したかのようにみるみる瞳が潤むと、桜色を反射した大粒の水滴が、とめどなく溢れて来た。
流れる涙を隠すためなのか、俯き肩を震わせる彼女を抱き締めたくなる衝動に駆られる。
出来ることなら彼女をこの腕に閉じ込め、もう大丈夫だよと安心させてあげたい──
(……っ……)
残念ながらそれができる立場にない俺は、制服の上着を握りしめたまま俯き、泣き続ける彼女の頭にそっと触れ、無心で撫で続けることしか出来なかった。
「す、すみませんっ!なんとか綺麗にしてお返ししますっ!」
泣いて落ち着いたのか、彼女は暫くするとそう叫び、しわくちゃになった俺の上着を一生懸命手で撫で付けた。
制服の皺など、どうでもいい。
時間は消えモノ、有限なのだ。
俺は彼女の手から上着を取り上げると自身の肩にかけ、楽しみにしていた『お礼』を催促する。
彼女が手ぶらなのが気になって仕方がない。
「そんなことより、腹が減った……」
「あ、お弁当!」
彼女は何故か植え込みの中から弁当箱を取り出すと、ベンチの上に並べた。
満を持して俺の前に姿を現した弁当の中に、俺は前世の弁当“定番の一品”を見つけた。
「凄い、卵焼きが入っている!」
卵は存在するが、“卵焼き”という料理はこの世に存在しない。
懐かしさに目が潤みそうになる。
「えっと、私は甘い派なんですけど、一応塩味も作ってきました」
彼女がそう説明してくれるが、どちらも食べたい!俺は逸る気持ちで卵焼きにフォークを伸ばした。
「いただきますは?」
「え?」
彼女の言葉に、驚く。
『いただきます』
幼い頃に強制され、心の奥に封じられてしまった言葉。
「これは昔々、私の家だけでまかり通っていた、食前の挨拶なんです」
彼女はそう言ってごまかしたけれど、うん、わかるよ。
「……いただきます」
俺は両手を合わせてそう言うと、再び手を伸ばして卵焼きを口に運んだ。
(美味しい、そして懐かしい──)
彼女とだったら、箸を使って食事を摂ることだって夢ではないかもしれない。
流石にバルトはいないと思うが、校舎への道のりを途中まで一緒に歩く。
入学式、初めて会ったあの日は許されなかった道のりだ。
それだけ彼女が心を開いてくれたのだと、嬉しくなる。
「じゃ、チェリーパフ──ごちそうさま。美味しかった」
心の奥底に閉じ込めた、満たされることはないと思っていた感情が、記憶が、潤いを取り戻していく。
誰にも渡さない。
渡すことは出来ない。
俺はこの日、『ルル・パックス』への気持ちをはっきり自覚した。




