39 琥珀の暴走と灰青の守護者
ルルはバルトを凝視したまま固まっていた。
本能では逃げられないと思っていても、この恐怖に目を逸らしたり閉じたりすれば『本当に終わる』のだと、ルルの前世の経験と胃痛が訴えている。
(は、ハンカチ男──!!!)
入学式で目の前から消えてほしいと思った相手を、その数ヵ月後、同じ場所で乞うことになるとは思わなかった。
「俺がひとつずつ教えてやる。──まずはこういう時、目は閉じるもんだ」
(だから閉じないんですよ~!!!!)
「うぉっ!」
その時だった。
ルルに覆い被さっていたバルトが、突然消えた。
「え。」
現状を把握する間もなく、ルルの眼前は再び何かに覆われた。
「もう……はっ、大、丈夫だ……から……はっ」
それは全力で走ってきたのだろう。
それは、全身で息をするシエルの、バルトなんかとは比較にならないくらい大きく感じる背中だった。
「お前はシエル・ブルーベル──……そうか、お前もルル・パックス狙いなのか」
「だったらなんだと言うんだ」
二人が何か話しているが、安堵と緊張の狭間にいるルルの耳には届かなかった。
「次男のお前の行き着く先は准貴族、一方俺は次期公爵だ。
分かるだろう?
ルル・パックスの魅力を存分に引き出し、着飾らせ、飼うことが出来るのはお前じゃない。俺だ。
さあ、理解が出来たら、その背中に隠したものを寄越せ。でないと──」
バルトがシエルの背中の影で怯えるルルを覗き込むと、口元だけに笑みを浮かべてルルに言った。
「──本当に男爵家をぶっ潰してお前を手に入れる」
ルルは咄嗟に震える両手でシエルの上着を握り、体を固くした。
バルトが体勢を戻して再びシエルと対峙する。
両者が一触即発の様相を呈したとき、植込みの向こうから場違いな明るい声が割って入ってきた。
「はい、そこまで。不当に一貴族を没落させようとの発言、流石に見過ごせないな」
「あ? 何故第三王子がこんなところにいるんだ?」
王族相手にも不遜な態度を崩さないバルトに、ルルはこの三人が同じクラスであることに気付く。
「ここのベンチは私のお気に入りの場所なんだ。
こそこそとやって来た子猫の気配を感じてね。
挨拶をしようと思ったところ、開口一番ひどい言葉を投げ掛けられたものだから、拗ねていたところさ」
確かに植込みからベンチに向かおうとしたときにルカの姿を見つけて、「げ。」と言ってしまった気がする。
まさか、気付かれていたとは……
「おまけに最大のピンチに、助けすら求めてもらえないとは……そんなに私は頼りないかい?」
存在を忘れていました……って、正直に話したらなんと言われるだろうか。
「……いや、答えなくていいよ。なんとなく聞かない方がいい気がする」
ルカは眉間に皺を寄せてルルにそう言うと、バルトに向き直った。
「さて、バルト・ルメール公爵令息。次期公爵である君がそんな危険な思想の持ち主だったとは思わなかったよ。少し話が聞きたいな。付き合ってもらおうか?」
「ちっ!仕方がねぇな。──ルル・パックス。今日の続きは次に会った時の楽しみにとっておく」
不穏な言葉を残し、バルトはルカと共に去っていく。
前世と今世を合わせても匹敵するものがないほどの最大級のピンチが去り、ルルは大きく息を吐いた。
「大丈夫か? 目が赤い……怖かっただろう、泣きたいのであれば、我慢せずとも──」
いつの間にか振り向いていたシエルが、気遣わしげにルルに言う。
「…………」
いつからか視界に入ると落ち着くようになった灰青の瞳と視線が重なる。
違う、これは、目を閉じたら全てが終わると思ったから……瞬きを我慢したから赤いのであって……
……
だけど、
だけど。
「う、うううぅっ。こ、怖かっだ……」
(あんな人が相手役なんて、いやだぁぁぁぁ……)
シエルの制服の上着の裾を握りしめたままルルが俯き、こらえきれない涙を零す。
シエルは泣き続けるルルの頭を、その涙が止まるまで撫で続けた。
──ルルの手が強く握るシエルの上着と、向かい合わせでルルの頭を撫でるシエル。
それは、ルルが握りしめて離さない自身の上着をそっと脱いでいたシエルと、自分の手の中でシワクチャになったシエルの上着に、ルルが気付くまで、続いた。




