38 望まぬ再会と琥珀の脅威
いよいよシエルとの約束の日、当日である。
ルルは部屋に備え付けられた簡易キッチンで、朝から張り切って──……いや、いつも通り、落ち着いた気持ちで二人分のお弁当を作っていた。
寮に入っているのは王都に屋敷やタウンハウスを持たない下位の貴族令嬢のみ。
それなのに個室で簡易キッチンまで付いているのは、やはり小説の世界だからなのか? ──そんなことを考えながら、お弁当を包む。
(──何か大切なことを忘れているような気がする……)
昨日からそう思うのに、考えても考えても、一向に思い出せないこの気持ち悪さ。
そんな、頭にかかった靄がパッと晴れたのは、二人分のお弁当を手に桜の木に向かっていた時だった。
「そうだ。桜の木は鬼門だった……」
桜の木に近付けばバルトと出会う可能性が高い。
そのため、ルルは桜の木を避けていたことを思い出したのだ。
しかしシエルとの待ち合わせは桜下のベンチ……
(そうだ。ハンカチ男と合流したら場所を移動すればいいんだ)
ルルが足音を忍ばせながら桜の木に辿り着くと、まだシエルは来ていないようだった。
最近避けていた桜の花を見上げる。
運命を避けるためとはいえ、大好きな桜を見ることが出来ないのは寂しかった。
どう転ぶか分からない本日のランチタイムに、久しぶりに胃に鈍い痛みを感じながら、ルルは植え込み裏のベンチに向かった。
「げ。」
その時だった。
「──ルル・パックス?……あぁ、やはりそうだ。そのピンク色の瞳。高貴たる俺の伴侶に相応しい──」
後ろから声をかけられルルが振り向くと、そこには甘く、蕩けたような表情でモスグリーンの髪と琥珀の瞳の雄々しい男が立っていた。
三片の恋標でのルルの相手役の男……
(バルト・ルメール……)
「近くで見るとより一層愛らしいな。婚約期間など必要ない。今すぐ拐って俺の妻にしたいくらいだ」
バルトは何の断りもなくルルの手を取ると、一気に距離を詰めてきた。
「どうだ、学園などで学ばずとも我が公爵家で次期公爵夫人に相応しい教育を受ければいい」
「イエ、私とアナタサマでは、相性がとってもヨロシク無い気がシマスからご遠慮申し上げます」
その力強い琥珀色の瞳とこの強引さ──小説の中でルルの復讐に手を貸し、パックス男爵家を没落に追い込む姿が容易に想像できて、ルルはぶるりと震えた。
本当にこのまま連れ去られてしまうのではないかとすら思える。
「相性など気にするな、そんなもの、どうとでもなる」
(ひいぃぃっっ! アナタが口にしたら何か別物に聞こえます~!)
「いえ、あの、父からは婚約者に関しては、好きな人をゆっくり探せばいいと言われて……」
ルルが一歩後退ると、バルトが二歩、詰めてくる。
強引な愛情表現。
物語での“ルル・パックスは、これを利用したのだろう。
たとえ想い人からのものでは無くとも、強引に乞われるシチュエーションは、物語で読む分には『キャー』となるかもしれない。
しかし、これは現実だ。
「心配するな。君は俺と結ばれる運命だ。君は俺に──その身を捧げるために生まれてきたのだから」
ルルの背が、桜の木の幹に当たる。
バルトがルルの頭上に腕をつく。
いわゆる壁ドンより、距離が近い。
「──と、そういえば君は男爵家の嫡子だったな。……君の憂いが無くなるよう、いっそ、男爵家を潰すか──」
バルトの台詞がどことなく『小説の中のバルト』を彷彿とさせた。
断れば男爵家を壊されると本能で悟り、ルルは恐怖で何も言い返せなくなる。
胃痛が激しくなり、警鐘のようにルルに逃げろと言ってくる。
ルルだって、逃げなきゃいけないと分かっているのに、体が動かない──
バルトの大きく、引き締まった身体がルルに影を落とす。
彼の手が、指が、ルルの顎に触れ、強引に引き上げる。
甘く微笑む彼の顔が、吐息の漏れる唇が、ルルに触れる、距離に来た──




