36 踏みにじられた誇りと蜂蜜が掴んだ自由
バルトは傲慢でディミトリは卑怯だった。
そしてフリードリヒは寄生虫!
なんでこの話に出てくるヒーローはみんな屑ばかりなんだ!
マノン・シュクレ子爵令嬢の物語を聞いたルルは、涙が止まらなかった。
「泣かなくていいのよ、ルル。だってわたくし、小説のマノン・シュクレ子爵令嬢とは別の人生を歩んでいるもの」
「本当に?」
「ええ、将来的に仕入れの旅に出ることを目標にしているのは変わらないけれど、留学もしていないし、ほら、痩せても無いでしょう。
大体食べるだけで一年もたたずにそこまで痩せるスイーツなんてありえないと思わない?」
(そう言われてみればそうだ……グーで殴らなくてよかった……)
マノンはルルの背中をさすりながら、昨日に至った経緯を話してくれた。
マノンは幼い頃から前世の記憶があった。
幼すぎたため、元来の気が強い人格はなりを潜め、穏やかな気質の令嬢としてすくすくと成長した。
フリードリヒに対しては何も思うことはなかったが、価値観が普通の令嬢のそれとは異なり、特に体型維持に向ける情熱は持てなかった。
しかし、実家が営む商会と、他国を飛び回る親族に対する誇りと憧れは変わらなかった。
そんなマノンは学園の入学式で懐かしいものを見つけた。
──『桜の木』だ。
次いで見つけた植え込みに隠れるように設置されたベンチは、すぐにマノンの『お気に入りの場所』になった。
その翌日、マノンはメイベルからオフホワイトの招待状を受け取った。
触れただけでわかる、高位貴族が好んで使う高級品だ。
裏に返すと『〆』の字で封がされており、自分以外にも転生者がいるのだと知った。
お茶会当日、マノンは逸る気持ちを抑えて三華サロンの扉をノックし、三片の恋標に関する情報を手に入れたのだ。
しかしマノンはお気に入りの場所──桜下のベンチを避けることはせず、気の向くままそこで昼食を摂ることにした。
その結果、フリードリヒは小説同様、不義の相手であるビアンカを連れて何度もマノンの元を訪れたのだ。
「この高原レタスはお弁当に入れても新鮮さが保たれていますわね。屋外での立食パーティーで使っても、鮮度を損なわず瑞々しさを保てるかも──「マノン・シュクレ、またこのような場所でこそこそと……婚約を継続し、この僕の伴侶となりたいのであれば、努力を惜しむなといつも言っているだろう!!」
「まぁ! ご期待に沿えず、申し訳ありませんわ」
毎回何の捻りもなく繰り返されるだけのこの件。
そのやり取りに正直飽き飽きしていたマノンは、にっこり笑ってフリードリヒにそう言うと、すぐに視線を外した。
今日の昼食に使われているヴェルデ高地の食材はレタスだけではないのだ。
その時だった。
下に見ているマノンに軽くあしらわれたことに腹を立てたフリードリヒが、マノンの昼食に手を伸ばしたのだ。
「こんなもの、鳥にでもくれてやれ! お前の体型であれば一食や二食抜いたとて支障はないだろう。まぁ、痩せもしないだろうがな!」
地面にひっくり返された食材たちを、マノンは呆然と見つめた。
その姿に溜飲が下がったのか、フリードリヒは吐き捨てるようにマノンに言った。
「そうだな、その弁当に免じて痩せずとも条件付きでお前の伴侶となってやる。
──ビアンカを愛人として認めろ。これが条件だ」
お前などに、婿の来手などあるまい! ──そう言って下品に嗤うフリードリヒとビアンカに、マノンが静かにキレた。
無言で立ち上がったマノンはフリードリヒに笑顔を向けると言った。
「ご存じですか? シュクレ商会は主に食品を扱っておりますの」
「そうなのか? さすが食い意地の張った一族が経営しているだけのことはある。僕も結婚後は太らないように十分注意する必要があるな」
なぁ、ビアンカ。と不義の相手を抱き寄せながら宣うフリードリヒに、マノンは首を振った。
「その心配には及びませんわ。
わたくしだけでなく、両親も商会に携わる親族も皆、食材とそれを育む人や人々の糧となるために命を捧げてくれた動物たちに敬意を表しておりますの。
それを理解できぬとおっしゃる貴方との縁談など、明日には無くなっているでしょうから。
ですから、どうかわたくしに遠慮なさらず、そちらのロゼッタ様とお過ごしになって」
侯爵家の令息と、この国屈指の商会の跡取り令嬢の婚約破棄の一件は、瞬く間に社交界の噂に上った。
その原因が学園での不義──
学園はこの騒ぎを受け、見直されたばかりのクラス編成を更に強化することにした。
爵位順に加え、男女別という、男女の出会いを極力避けるクラス編成に、その原因を作ったフリードリヒとビアンカは残り数か月の学園生活を針の筵の上で過ごすことになった。
留学してしまったバルトへのヘイトも全て背負わされた形だ。
「──小説では婚約破棄だったのに、現実では愛人として認めろ、だったんですね」
「おそらくわたくしが三華サロンに入ったからですわ。
きっと“ウォード公爵家と関わることになったシュクレ子爵家の婿”という立場が、惜しくなったのだと思うわ」
そして、現実のマノンの物語にも当然続きがある。
「婚約破棄など僕は認めない!」
愛人候補を腕に抱えながら言うセリフではないが、そう吐き捨てて二人が立ち去った後、このままにはしておけないとマノンは小説同様地面に散らばった食材を拾い集めていた。
「どうされたんすか?──あぁ!もったいない!落としちゃったんですか!?」
偶然通りかかったらしく、そう言って食材を拾い集めるのを手伝ってくれた彼の名はテオ・ラングレン。
貧乏男爵家の三男坊で、入学試験で並みいる高位貴族を差し置いて首席合格した秀才だ。
食材を片付け終わった後、彼は 「お弁当がそれじゃぁお腹が空いちゃいますよね?」 と言って、彼のお昼だったのだろう、一緒に食べましょうと、マノンにサンドイッチを差し出してくれた。
「いえ、お構いなく。私はレストランに──」
「今からだと午後の始業に間に合いませんよ」
そう言われればそうだと、マノンはお礼を言ってそのサンドイッチを受け取った。
「シュクレ子爵令嬢って意外とドジっ子なんですね」
そう言って微笑むテオの笑顔に、マノンは胸を射抜かれたのである──




