35 手の届かない蜂蜜と舞台を追われた白金
「……何故ルルは泣いているの?」
フェリシティが開いた扇を口元に当て、困惑した表情でメイベルを見た。
「マノンに感情移入しているんじゃないかな?」
「ぢがいまず!
昨日手を叩き落とすだげじゃなくで、グーで殴っておぐべきだったと反省じているんでずっ!」
ハンカチで顔を拭きつつそう訴えるルルに、マノンが頬笑む。
「づづぎを!あいづのざまぁをきかぜてくだざい……」
そんなルルに苦笑しつつ、メイベルは話を続けた。
その後、両家の話し合いにより二人の婚約解消は成り、マノンは隣国に留学することとなった。
望んだ形ではないが、外国に行きたいという彼女の希望が叶ったのである。
フリードリヒは、その後ビアンカと婚約を結び、ロゼッタ子爵家に婿養子と入ることになったらしい。
時は過ぎ。
本日学園では卒業パーティーが行われていた。
フリードリヒとビアンカは、豪華な食事に舌鼓を打ち、ダンスや友人との会話に興じていた。
そこへ、遅れてきた誰かが会場入りしたようで、会場にざわめきが広がった。
「だ、誰だ?あの美しい女性は……!」
「学園では見かけたことがないぞ!
誰かの婚約者か? 羨ましい!」
「あのドレス、今話題のオートクチュールですわ」
「素敵だわ。あれを着こなせるなんて……!」
会場中の視線が遅れてきた彼女に注がれる。
アイリスブルーと濃いヴァイオレットのグラデーションのドレスに、彼女の手入れの行き届いた藤色の髪が良く映えている。
「あの髪色……まさか、マノン・シュクレ子爵令嬢!? 留学から戻ってきたの?」
誰かの言葉にあの美しい女性がかつての婚約者、マノン・シュクレであることに衝撃を受けたフリードリヒはビアンカを放置し、思わず彼女の前に歩み出た。
近くでみるとすぐに分かる。
確かに、『彼女』だ。
「久しぶりだな。マノン。もしかして僕に相応しくあろうとして……「──ですわ」
「え? 今なんと?」
高位貴族である彼は、基本言葉を遮られることはない。
何を言われたのか分からず、フリードリヒはマノンに聞き返した。
「──邪魔ですわ」
「は?」
マノンはフリードリヒにそう告げると、彼を避け高位貴族の令息令嬢たちの輪に入っていった。
あっという間に令嬢に囲まれたマノンに、フリードリヒは唖然とする。
「わたくし、痩せたでしょう? これはこの度シュクレ商会で扱うスイーツの成果ですの。甘いものを我慢せずに体型を維持できるなんて、夢のようでしょう?
でも現実なのですわ。それは一年弱という短い期間で劇的に変わったわたくしを見てくだされば何の説明も要らないはず……」
「今日のパーティーの食事はすべてシュクレ商会で手配致しましたの。皆様が爵位をお継ぎになられる際の継承披露パーティーの際は我が商会にお任せいただければ……」
自分などまるで眼中にないかのように振舞うマノンに腹が立ったフリードリヒは、ツカツカと商談の輪に入るとマノンの腕を掴み言った。
「丁度お前の家の商会に僕とビアンカの結婚式を任せようと考えていたんだ。あちらで商談を──」
マノンは幼くして婚約者となったフリードリヒのことを好いていなかった。
マノンや他の令嬢の容姿の話しかしないからだ。
ある日、お茶会で一緒になる令嬢たちが必死にスイーツを我慢しているのを見たマノンは、幼いながらに思った。
(私が太ってしまったらフリードリヒ様はどんな反応をするのかしら。本性を現して婚約破棄──なんて都合のいいことをしてくれないかしら。
ついでにいくら食べても太らないお菓子を開発して、その後私自身がダイエットに成功したら──)
ご存じの通りその後、マノンの思惑通り無事婚約は破棄となった。
そしてマノンは留学していた約一年でダイエット食の研究と長旅にも耐えられる体作りにも尽力したのだ。
鍛えてもいない貴族令息に腕を引かれる程度ではビクともしない。
「え……」
驚くフリードリヒに、マノンは小声で伝えた。
「例え貴方であろうとも衆人環視の中、恥をかかせるのは本意ではありません。
我が商会は伯爵位以上の高位貴族を対象に、商品のクオリティを引き上げて価格設定をしておりますの。
ですから子爵家の結婚式を──その、基本結婚式は迎え入れる側が執り行いますでしょう? 侯爵家がどの程度関わられるかは存じませんが、我が商会に依頼される前にご家族と相談されたほうがよろしいのではと進言いたしますわ」
下に見ていたマノンに、言外に衆人環視の中婚約破棄を宣言したフリードリヒとは同じ土俵に立つつもりはないのだとも、子爵家ごときには払える額ではないのだとも告げられ、フリードリヒは固まってしまった。
緩んだフリードリヒの手を払うと、マノンは高位貴族たちの輪の中に戻っていった。
高位貴族の中で堂々と振舞う元婚約者の姿に何も言えずただ、立ち尽くすフリードリヒ。
見事な変身を遂げたマノン・シュクレ子爵令嬢はその後、積み上がる釣書すべてに見ることもなく断りを入れた。
彼女は学園卒業後も身を固めることなく商会の仕事に精力的に取り組み、結婚を望まない女性に新たな選択肢を示した。
晩年は親戚から養子に迎えた藤色の髪の青年に爵位を譲り、息を引き取るその瞬間まで夢をかなえ続けたのである。




