34 蜂蜜への罵倒と癒しの『緋色の聖域』
校舎から少し離れたところにある“大木”の下のベンチで、お弁当を広げる令嬢が一人。
彼女は年中咲き誇るこの淡いピンク色の花を気に入り、毎日の昼食をここで摂るようにしていた。
「今日の食材はヴェルデ高地で仕入れたお野菜が中心ね」
その令嬢──マノン・シュクレ子爵令嬢は、今年入学したばかりの一年生で……ぽっちゃりさんである。
健康に害をなすほど太っているわけではないが、体型維持に心血を注ぐ貴族令嬢の中ではかなりふくよかな方だといえた。
令嬢たちからは、自分たちの評価を上げるための格好の引き立て役になると重宝されていたが、体面を大事にする貴族令息たちからは、なかなか辛辣な評価を受けていた──
メイベルが語る三片の恋標マノン編の導入は、なかなかキツイものがあった。
今こそは三華サロンの華の一人として一目置かれているが、この心優しいマノンが人々にそんな風に思われていた過去があったなんて、ルルには考えられなかった。
「──今日はルルが選んだ茶葉ですわ。さぁ、ルル?」
そこへ、マノンが淹れた紅茶が配られた。
「はい。本日の紅茶は緋色の聖域です。
この紅茶の特徴は燃えるような真紅の水色です。力強いコクがあって、重厚で温かな味わいです。
ミルクがとても合うので、皆様、ミルクティーにしてお召し上がりください」
「本当ね、ミルクを入れると味に深みが出てとても温かな気持ちになるわ」
どうやらフェリシティからは合格を貰えたようである。メイベルもマノンも美味しそうに飲んでくれており、ルルはそっと胸を撫で下ろした。
昨日、ルルはマノンの元婚約者──フリードリヒ・アイゼンブルグ──いやフリードリヒ・ロゼッタと会ったが、これがなかなかの屑っぷりであった。
このような男がヒロインの相手役を務める物語がどのような小説であるのか、ルルは後学のためにも聞かせて欲しいとメイベルに頼んだのだ。
「皆落ち着いたようだからマノン・シュクレ子爵令嬢編の続きを話すよ」
──そんな彼女の実家は食品関係の商会を営んでいる。
独自の流通網で遠方の食材を、日数をかけずに王都まで運び込むことで、他の商会との差別化を図っているのがシュクレ商会の強みだ。
父の補佐──准貴族として子爵家に残ってくれている叔父や叔母が現地を飛び回り、今この瞬間も商会のために働き、新たな食材を探してくれている。
子爵家や男爵家であれば准貴族として家族を残さず、夫妻と信頼のおける文官や執事で賄う家も多いが、さすがに商会を営むシュクレ家ではそうはいかない。
マノンには兄弟がいないため、今後も従兄姉たちが子爵家に残り、商会の手伝いをしてくれることになっている。
今はまだ学生であるマノンは、こうやって届いた食材をアレコレ試し、どう売るのが良いのかをシミュレーションして父親に提案するくらいしかできないが、いずれは外国にまで仕入れの旅に出るのが夢だ。
そのためにも、目下周辺国の言語を習得中である。
「この高原レタスはお弁当に入れても新鮮さが保たれている!
すごいわ。屋外での立食パーティーで使っても、鮮度を損なわず瑞々しさを保てるかも── 「マノン・シュクレ! またこのような場所でこそこそと……婚約を継続し、この僕の伴侶となりたいのであれば、努力を惜しむなといつも言っているだろう!!」
彼の名はフリードリヒ・アイゼンブルグ侯爵令息。
マノンの婚約者で、学園の三年生である。
彼は昼休憩ごとに、マノンに暴言という声かけをしにくる暇人だ。
そして婚約者であるマノンに会いに来るというのにわざわざ不義の相手を連れてくるという無能でもある。
どうやらマノンが学園に入学してくるまでの二年間で、愛とやらを育んできたらしい。
確かにフリードリヒのナイトブルーの髪とプラチナの瞳は美しく、顔だって整っていると思う。
背も高く、全てにおいてその辺の令息とは一線を画している。
しかし、物を見た目だけで判断しないマノンにとって、外見だけしか取り柄のないフリードリヒは無価値な男でしかない。
そのため、マノンは何を以て彼が『この僕』と言っているのかが全く理解ができなかった。
「マノンさん、リディはわたしのようなスタイルの女性を好むの。
あなたも少しは痩せる努力をしないと、リディに棄てられても文句を言うことはできないわよ」
「……」
喋っている内容もそうだが、婚約者であるマノンの前で敢えてフリードリヒを愛称で呼ぶ図々しさ。
そもそもマノンとは基軸とする常識と価値観が違うようなので、話が通じるとは思ってはいないが、『呆れてものが言えない』とはこういう時に使う言葉なのだろう。
彼は確かに侯爵令息──高位貴族である。
そして次男だ。
一般に高位貴族は次男、人手が必要であれば三男までを准貴族として家に残すのが一般的だ。
しかし次男である彼は、幼い頃にシュクレ家の嫡子であるマノンと婚約を結ぶことになった。
これがどういう意味か理解できていないのであれば、体型より気にした方がいいことがあるのではないか、そうマノンはいつも思っている。
まぁ、それが理解できないからこそ、この男に媚びているのだろうが。
フリードリヒも、まさか自身が婿入りする事を理解していないなんてこと──
「君の家──シュクレ商会の価値と財力は、侯爵家の子息である僕を迎え入れるに十分な資格があると認めよう。
しかし、今後のために勉学に励むのも大いに結構だが、その食い意地だけはどうにかしてもらわないと困る」
うん、理解はしているようだ。
しかしそうなると、益々マノンには理解不能だ。
暇人で無能、救いようのない屑──
「…………」
彼らと共に過ごしていると、令嬢には不要な語彙力ばかり高くなる気がする。
マノンはそろそろ潮時かなと考える。
婚約当初は確かにあった侯爵家と縁を結ぶことで得られる利も、この何年かでシュクレ商会の業績が上昇して無くなってしまった。
しかし別の婚約者を探すにしても、婿入り先を必要としている者は皆、マノンの体型に冷ややかな視線を向ける輩しか──いや、令息しかいないのだ。
そんな陳腐な価値観しか持ち合わせていないから、准貴族としての立場を与えられなかったということに、気付くこともできない。
そんな令息など、誰を選んでも同じだ。
マノンがそんなことを考えていた時だった。
黙り込んでしまったマノンに、自分の言葉にショックを受けているのだなと気をよくしたフリードリヒが、マノンの昼食に手を掛けたのだ。
地面に散らばる手付かずの食材──
「こんなもの、鳥にでもくれてやれ!お前の体型であれば一食や二食抜いたとて支障はないだろう。まぁ、その程度では痩せもしないだろうがなっ!」
あはははは!と、下品にも大口を開けて嗤うフリードリヒとビアンカに、マノンがキレた。
「シュクレ商会は主に食品を扱っているのです。その商品である食品をこのように……っっ!」
フリードリヒとビアンカの高笑いに人が集まってくる。
「はっ! 僕に盾突いたな? 弁当を台無しにされたくらいで怒り狂うとは、どこまでも食い意地の張ったヤツめ。
いつもは大人しく従順であるふりをしていたようだが、お前の本性がこれだ。食べ物のことしか考えていない俗物が!!」
フリードリヒはビアンカを抱き寄せると、お弁当を拾い集めるマノンを指差し叫んだ。
「人前でそのように地べたに這いつくばり食べ物を漁るなど、貴族としてのプライドはないのか!?
お前などとは婚約破棄だ! 同じ子爵家の嫡女に婿入りするのであれば彼女のように美しい女性の方がいい!
いいか、この婚約破棄の原因はお前にある! 僕は騙されたんだ。僕と婚約した途端ブクブク太りやがって! 婚約破棄の理由はお前の不摂生であり、その食に対するみっともない執着だ!」




