31 紅茶の試練と身勝手な相手役
「商会にも色々あるが、僕は侯爵家の人間だ。働くにしても、場所を選ぶだろう?
しかし、高級茶葉の専門店であれば問題ないと思うんだ。
もちろん人目に触れる売り子は出来ないが、顧問や支店長の立場を用意してくれれば──」
ルルは驚いてしまった。
この草臥れた男は、なんと侯爵令息らしい。
しかし、高位貴族であるとしてもなかなか勝手な言い分である。
この男性とマノンの間に何があったのかも知らないというのに、この腹の底から湧き上がる不快感はなんだろう。
(こんなヤツ、さっさと追い返してしまえばいいのに……)
ルルは男の傲慢さにマノンが怒り、店から叩き出すのだろうと思った。
マノンが直接男性を追い出すことが無理でも、ここは貴族が利用する店だ。
マノンの後方には護衛を兼ねた男性店員が控えている。
「あらあら、アイゼンブルグ様はいつも唐突ですのね。──紅茶をお淹れしますからお掛けになって」
「はぃ?」
そう言ってルルの正面の席へと男を誘導するマノンに、ルルは思わず声に出してしまった。
幸いマノンとアイゼンブルグという男には聞こえなかったようで、「──以前のようにフリードリヒと呼んでくれて構わない」 などという会話が続いている。
しかし控えている店員の耳には届いたらしく、口角を少し上げた彼はひとつ咳払いをした。
(ごめんなさい。お仕事中に笑わせるつもりはありませんでした)
心の中で店員に謝りつつ、ルルは二人を注視する。
マノンの深い優しさがこの男に向けられるなんて、本当に不愉快だ。
それに、ルルにはこの男がマノンの優しさを利用しているのだと思えて仕方がなかった。
マノンは店の窓際に設置された、試飲のためのティーテーブルの一席にフリードリヒ・アイゼンブルグが着席すると、マノンは新しく淹れた紅茶を彼の前に置いた。
彼は美しい所作でマノンの差し出したティーカップを手にとると、香りを楽しんだ後に口に運んだ。
「アイゼンブルグ様のために以前からよく淹れて差し上げていた茶葉ですわ。──覚えておられまして?」
マノンの言葉に男性は片眉を上げた。
「私は昔から紅茶の名を覚えるのは苦手なんだ。君だって知っているだろう?
だが、名は分からなくとも君の淹れるお茶が相変わらず美味しいということだけは分かるよ」
そう言って満足そうに微笑むフリードリヒに、マノンが微笑み返す。
「ふふ。そうですわよね? 茶葉の名は難解ですもの。分かりませんわよね」
マノンはティーポットをサイドテーブルに置くと、申し訳なさそうに言った。
「──アイゼンブルグ様、申し訳ないのですがご期待に沿えそうにないですわ」
マノンの断りの言葉に、フリードリヒはカップを置いて立ち上がると、テーブル越しに詰め寄った。
「な、なぜだっ。君の力があれば、一人二人雇い入れることなど造作もないことだろう」
確かにそうですが、と前置きし、マノンは続けた。
「アイゼンブルグ様、ここは茶葉を専門に扱っている店舗ですの」
「そうだ。だからこそ僕のような貴族を積極的に雇い入れるべきだろう。店の格も上がるというものだ」
「いいえ。逆ですわ。紅茶の味一つ、茶葉の名一つも分からない──覚える気さえない店員を置くことは、店の格を下げることに繋がるのです。
わたくしは将来シュクレ商会に勤めるすべての商会員の生活を預かる身。それが分かっていながらあなた方を雇い入れることなどできませんわ」
マノンの言葉を俯いて聞いていたフリードリヒが、急に顔を上げた。
「そうか、君はまだ僕に捨てられたことを根に持っているのだな?
仕方がない。君にはいまだ婚約者がいないようだし、僕が再び婚約を結び直してあげるとしよう。
──ただし、ビアンカを僕の愛人として受け入れるというのが条件だ」
ここまで言われるとさすがのルルにだって分かった。
この男、フリードリヒ・アイゼンブルグは『三片の恋標』でマノン・シュクレ子爵令嬢の相手役だった男なのだ。




