30 『緋色の聖域』と草臥れた訪問者
メイベルの言う通りルルが桜の木を避けているからか、あれ以来バルトとは会っていない。
何故かシエルとルカにも遭遇していない……という事実も気になるところではあるが、学園に入学してから、今が一番穏やかな時を過ごしているような気がするので、ヨシとする。
「今度の休みに、我が家の経営する商会にサロンで使う茶葉を見に行くのだけど、ルルも一緒にどうかしら?」
ある日ルルがサロンでマナーレッスンを兼ねたお茶会を楽しんで(?)いると、マノンから週末のお出かけに誘われた。
「そうね、ルル。行ってきなさい。これから先、私たち以外ともお茶の席を共にすることもあるだろうから、茶葉の知識を深めておくことは悪いことではないわ」
「は、はい」
フェリシティの一言で、“街へ楽しいお出掛け”のイメージだったものが一気にマナーレッスンの様相を呈する。
「フィズは真面目だから仕方がない。まぁ、勉強二、遊び八くらいの気分で行ってくればいいさ」
しかし、そんなメイベルの言葉に助けられる。
大体この世界のお茶は小説の世界観を壊さないようにするためなのか、『ナントカノナントカ』と、紅茶の名前が長すぎるのだ。
そして大体の紅茶がその言葉と味が全く結び付かない。
お店であれば、『林檎の紅茶』で『アップルティー』なんていう、ルルにも覚えられそうなものがあるかもしれない……──
「……無かった……」
「?」
マノンの実家であるシュクレ商会はいくつかの部門に分かれている。
その中の一つである“茶葉の専門店”にやって来たルルは、陳列された紅茶を見て全てを諦めた。
暁光の抱擁
緋色の聖域
白亜の暖炉
真珠の雫
星屑の残響
深淵の月光
聖女の微睡み
「……」
(駄目だ。名前だけならスターダスト・エコーとパール・ドロップ辺りなら覚えられそうだけど、名前と味はぜんっぜん、結び付かない……)
それだけではない、色味や香り。産地や効能……覚えることは多岐にわたる。
ルルは半泣きになりながら覚えられそうに無いことをマノンに伝えた。
折角ルルのために連れてきてくれたのに、期待に沿えず申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「そんなに難しく考える必要はないわ。好きだと思える紅茶を見つけて、その名前から覚えていけばいいの。
ルルはここで働くわけではないのだから、全部覚える必要なんかないのよ。
──そうね。今日はルルのお気に入りの茶葉を一つ見つけることを目標にしましょう。
次の帰省の時にお義母様へのお土産にしたら、お喜びになると思うわ」
「……は、はいっ!」
そう言って柔らかく微笑むマノンはとても素敵な人だ。
まだ若いマノンには申し訳ないが、この穏やかで包み込んでくれるような雰囲気が、亡くなった母と一緒にいるようでルルはとても好きだった。
それからルルは茶葉の特徴と説明書きを見て、気になる茶葉を三種類に絞った。そしてその紅茶を試飲させてもらい、ルルはこれだと思える紅茶を見つけた。
「私、緋色の聖域が好きかもしれません。ミルクティーに合うような気がします。義母もミルクティーを好んで飲んで──「マノン?」
その事をマノンに報告していたのに、その喜びは突然現れた一人の乱入者によってかき消されてしまった。
年の頃は二十歳前後だろうか。
|カラフルな毛髪《ナイトブルーの髪とプラチナの瞳》を持つ、身なりはきちんとしているが かなり草臥れた印象の男性だった。
「あら、アイゼンブルグ様ではありませんか! お久しぶりです。昨年の卒業式以来ですわね。
お元気にしておられましたか?」
ルルは男性の様子から、マノンに危害を加えられるのではないかと心配したが、いつもと変わらぬマノンの様子にその警戒を解いた。
「あぁ、久しぶり。実は君にお願いしたいことがあって、ここで会えるのを待っていたんだ」
「お願い、ですか? わたくしに叶えられることであればいいのですけれど……」
マノンの言葉に、先ほどまで「不幸を背負っています」というような表情をしていた男性の顔が、パァッと明るくなった。
「出来るよ! いや、シュクレ商会の跡取り娘である君にしか出来ないことだ──」
そして、その男性は、期待を込めた瞳でマノンを見つめ、こう、口にした。
「──僕とビアンカをシュクレ商会で雇って欲しいんだ」




