15 令嬢の婚活事情と淡桜の油断
お茶会の翌朝、ルルは痛む胃を押さえながら教室に入った。
昨日はこの世界にいるとは思わなかった自分以外の転生者の存在やルルの知らなかった新事実、そして考えることの多さに胃の痛みもどこかに吹き飛んでしまっていたのだ。
しかし、多くの令嬢が憧れているという三華サロン。
そのサロンから招待状を貰ったというだけであの騒ぎだ。
入会を果たした今、ブリジットや一部の令嬢たちが黙って見守っていてくれるとは思わない。
受けても断っても被害がでそうな状況にため息がでる。
嫉妬による嫌がらせ──
ルルの脳裏に前世で読んでいた本のよくあるパターンが思い浮かんだ。
しかし──
「ひいぃぃぃっ!」
教室に入って数秒後、ルルは淑女らしからぬ奇声をあげていた。
ルルを待ち構えていたのは、排斥や陰湿な罠の類ではなく、「話を聞かせてくれるお約束でしたわよね」と、目を爛々とさせて迫ってくるクラスメイトや他クラスの令嬢(お姉さま方含む)だったのだ。
『三華サロン』は高位貴族が開いている数あるサロンの中でも特に秘匿性が高い。
サロンメンバーが少人数であることもあり、サロン内でどんな話が囁かれているのか、その内容の一切が外に漏れないのだ。
しかし、そこに新メンバーとして新入生のルルが加わった。
サロンに入りたてのルルからであれば、入会を許される足掛かりになりそうな情報を何かしら引き出せるのではないか──
サロン入会を切望する令嬢たちがそう考えるのは当然のことなのだ。
物語のモブ令嬢ではない、本物の貴族令嬢たちのしたたかさをルルは見誤っていた。
嫉妬などという浅慮な考えでこのチャンスを無駄にするなど愚の骨頂!
まだガードの薄いルルとよい関係を築き、少しでもサロンの情報を引き出すつもりなのだ。
囲まれた、などという可愛らしいものではない。
ルルは令嬢たちに文字通り群がられたのだ。
──とはいえ令嬢たちに、転生だの小説だのという話を聞かせるわけにはいかない。
ルルが提供できる情報は、珍しいお茶を飲んだことと美味しいお菓子を食べたことくらいだ。
「どのような名のお茶を飲まれたのですか?」
少しでも情報を欲する令嬢たちにそんなことを聞かれたが、あのような状況下ではじめて聞かされた長い横文字のお茶の名前など覚えているわけがない。
(“緑茶”──は、絶対違うよね……)
ルルは結局緊張でなにも覚えてないとしか答えられず、何の情報も得られなかった令嬢たちは「まぁ、仕方ないですわよね」と、蜘蛛の子を散らすように去っていったのだ。
「災難だったわね」
クスクスと笑いながら、どこかへ避難していたらしいチェルシーが隣の席に戻って来た。
そう言えばチェルシーも昨日は「後で話を聞かせてね~」と見送ってくれていたはずだ。
サロンに興味がないのだろうか……
ルルがそんなことを考えていると、チェルシーが「皆、悪気があるわけではないの。切実な問題を抱えているのよ──」と、この学園の令嬢の婚約事情を話してくれた。
*--*--*
『三華サロン』を主宰しているのはウォード公爵令嬢である。
人は彼女のことを華の主と呼ぶ。
実は男女別、爵位別のクラス編成になったことで一番割を食ったのは、物理的に異性との出会いが減ってしまった婚約者のいない令嬢である。
三華サロンへの入会。
それは華の主であるフェリシティを通じ、ウォード公爵家との縁ができたと見做される。
婚約者不在の令嬢にとってはこの上ないステータスになるらしい。
──それは、サロンに入って声を掛けられるのを待つということだろうか。
「どこかのクラブに入った方が早いのではない?」
ルルは三華サロンに入るより、クラブに所属して直接男性にアプローチした方が早いのではないかと思い、そう聞いた。
しかし、実際はそうもいかないようだ。
クラブや共有スペースであれば確かに男性との出会いはあるのだが、貴族の──特に高位貴族の嫡男はクラブには所属せずに図書室で黙々と勉学に励んでいるか、クラブに入っていたとしても「領土境界地政学サロン」や「版図経済戦略統括クラブ」「騎士道美学実戦クラブ」などに所属しているのだ。
同じクラブに入るのは嫁入り目的の令嬢には少々……いや、かなり敷居が高いらしい。
だからといって出会いを求めて共有スペースである図書室に行ったとしても、そもそも私語を禁じられているため声など掛けられるはずもない。
その結果、貴族家嫡男との縁を望む令嬢たちがこぞってサロンへ入会し、マナーや会話術の研鑽に励み、互いに切磋琢磨し、釣書が送られてくるのを待っているらしいのだ。
そんな高位貴族の令嬢が開いている数あるサロンのひとつであり、最も人気があるのが三華サロン、というわけなのである。
入会希望者の受け入れは基本そのサロンの主の一存であるが、通常、サロン参加者の人数が主の人望や求心力を示すため、余程でない限り希望者は受け入れられる。
そのため高位貴族の令嬢が主を務めるサロンには同じ目的の令嬢がひしめき合っており、突出した何かを持っていない限り、男性に見初めてもらうのは難しいらしいのだ。
──その点少数精鋭で運営されている三華サロンであれば、入会するだけで有利になる。
ちなみにこの世界では嫡子である長男だけでなく、次男も人気だ。
高位貴族ともなると、当主だけで領地を治めることは難しいため、性別は関係なく優秀であれば次子、場合によっては三子も家に残るためだ。
これに関しては先週男爵家に帰った際に父に説明してもらったため、ルルもすぐに理解できた。
「──大変そう……」
ブリジットや令嬢たちが目の色を変えるのが、少しだけ分かる気がした。
「あら、嫡子とはいえルルには婚約者がいないでしょ? 三華サロンに入会できれば安泰だろうけど、他人事ではないんじゃない?」
チェルシーがニヤニヤ笑いながらそんなことを言う。
そうか、チェルシーには婚約者がいるから余裕なんだな、と思う。
他の令嬢たちのようにお茶会の様子を聞くために詰め寄ってきたりしないのも納得だ。
「いや……私はまだ婚約者とかは良いかなぁ……」
物語は終わっていても、エンディングは卒業式。なにが『ざまぁ』に繋がっているかわからないため、それまでは気が抜けない。
婚約者なんて後回しでいい。
ルルはまずこの一年を無事に乗り切ることに集中しなければならないのだ。
*--*--*
「え?ルルちゃんが三華サロンに?!」
前回帰った時にブリジットの話をしたからか、心配したダニエルに次の休みも帰ってくるよう言われていたルルは、夕食の時に三華サロンに入会したことを両親に報告した。
仮にもフェリシティは公爵令嬢だ。
学園でお近付きになったことを両親に報告しておかないとまずいのではないか。
そう、何となく思ったルルの判断は間違っていなかったようだ。
ダニエルは社交場や仕事、キアラはお茶会の席での対応がある。
普段は王族に次ぐ殿上人だからと無遠慮に近付く非礼を避けているのだが、学園だけではなく将来を見越してフェリシティがルルの後ろ盾になってくれるとなれば話が変わって来るらしい。
特にキアラは三華サロンの存在を知っていたようで、かなり驚いていた。
ついでに、ブリジットに三華サロンに同伴するように求められ断ったことと、そのことへの対応も伝えておいた。
心配を掛けたくないのは分かるが、ルルがサロンの一員になった今、今後の彼女の出方が分からないためダニエルには報告しておいた方が良いとチェルシーに言われたのだ。
ルルのここ最近の胃の痛みを誘発していた案件を、ダニエルは 「入学したばかりなのにルルの周りは賑やかだなぁ」 という言葉で片付けてしまった。
ルルは胃痛の原因の内、二つしか両親に話していないのだが、確かに賑やか(?)ではある。
しかし残る一つ──ハンカチ男の件についてはどう説明したものかと頭を悩ませる。
彼には三度会ったうち、二度も助けられているのに、一度は顔を見て逃走してしまっている。
ハンカチをすり替えられたことは意味不明だが、物語が終わっている以上彼は小説とは無関係なただの親切な人だったということになる。
そんな人に対して、顔を見て逃げるという失礼な態度をとったことを彼が怒っているのなら、二度目に助けられたとき冷ややかな態度を取られたのも納得がいく。
物語と無関係なら、避けている場合ではない……
(胃が痛いけど、何かお礼をしなければ……)
ルルは物語が終了しているという安心感から忘れていた。
メイベルに『桜の木を認識している者は既に物語の“時間”の中にいる』のだと言われていたことを。
──完全に油断していたのである。




