16 灰青の誘いとチェリーパフ問題
試験が近い。
お礼をすると心に決めてから更に数日が経ったが、ルルは未だシエルと会えていなかった。
『見かけたら』声を掛けようと思っていたのだが、名前を覚えていない為呼び止めることができない上に、アッシュブルーが見えると自然と体が避けてしまうため、なかなか会えない(?)でいたのだ。
その内『見かけたら』から、『偶然、ばったり会えたら』に変わり、最終的には試験が近くなったし、そっちに集中したいから『試験が終わってから』にしよう──と、どんどん先延ばしになってしまったのだ。
しかし、やらねばならないことが待ち構えているということは、それが嫌なことであればあるほど胃痛となってルルを責め立てる。
ルルはまた、連日胃痛に悩まされることになった。
そんなある日、桜の木のそばを通ったところで、ルルは突然後ろから伸びてきた手に腕を掴まれた。
「ひぃっ!」
突然の出来事に驚きすぎて、変な声が出る。
空いている方の手でバックンバックンと音を立てる心臓を押さえ振り向くと、そこには焦ったような顔のシエルが立っていた。
「──……こんにちは?」
何故か焦燥感を漂わせた彼の表情に、何と声を掛けていいのかわからず、とりあえず挨拶を口にする。
しかし、その言葉に「え?」と驚く彼を見て気付く。
(そっか。「こんにちは」は、前世特有の挨拶でこの世界では通じないんだった)
灰青の瞳を丸くして驚いているシエルを無視し、先ほどの言葉はなかったものとして続ける。
ルルを呼び止めた用件が何かは分からないが、この機会を逃せばルルは後日、再び彼と対峙しなければならなくなる。
ルルは何故か言葉を失い立ち尽くしているシエルに、自分の用件──ハンカチの返却とお礼を考えていることを伝えることにした。
「ごきげんよう。えっと、先日はありがとうございました。あの、手を離していただけ──「あ!済まない、つい……いや、良いんだ。チェリーパフが元気そうでよかった──」
指摘されて気づいたのか、シエルはルルが最後まで言い終える前に慌てて手を離した。
ルルは言葉を遮られた上に、訳の分からないことを言われてしまい驚いていた。
(……いや、『チェリーパフ』って何!?)
ルルの頭の中に、先日食べた甘くて可愛らしい桜色のシュークリームが思い出され、いたたまれない気持ちになった。
そういえばルルは彼に名乗っていない。
まさか、『あだ名』を付けられてしまったのだろうか。
現在のルルの色は、瞳は桜色で髪の毛はブラウンだ。
髪をシュー生地、瞳をクリームに喩えるのであれば、色味は合っている。
しかし、『もしかして私のこと、あの可愛いお菓子に喩えています?』などとは絶対に聞けない。
間違っていたら今以上に恥ずかしい思いをすることになるからだ。
それに、基本的に関わりたいと思っていないので、名乗りたくもない。
(……)
そこまで考え、ルルは『チェリーパフ問題』をスルーすることにした。
とりあえずハンカチを返すのが先決だ。
何かのフラグになりそうなので早々に手放したいし、そもそもシエルだってルルのハンカチを持っていても仕方がないだろうと思ったのだ。
「あぁ、今日は持っていないので後日で頼むよ」
しかし、ルルがハンカチの話題を出した途端、先ほどまでの動揺が嘘のように消え、シエルはそう口にした。
確かに返却のためとはいえ、いつ会えるかも分からない相手にハンカチを持ち歩いて欲しいとは強制できない。
ならば、とルルはシエルに提案した。
「ご相談なんですけど、二度も助けていただいたので何かお礼を、と考えているのです。試験も近いですし、できれば消えモノでお願いしたいです」
──その時にハンカチをお返しできれば……と、付け加え、持ってきてねと圧を掛けるのも忘れない。
き、消えモノ……? などと呟いているのが聞こえるが、知ったことではない。
迷惑をかけたことには違いないが、こっちは家族の平穏のため、さっさとハンカチの返却とお礼を済ませて縁を切りたいのだ。
例え物語には関係なくても、男爵家を継ぐために『目立たず平穏な学園生活を送り、無事に卒業する』というルルの目標は変わらない。
彼がモテるであろうことは想像がつくし、彼と関わることによって余計な敵を作り、学園生活が脅かされることを避けたいのだ。
だから”形に残るお礼“は断固拒否。
ルル的には菓子折りあたりを想定している。
ただ、男性に菓子折りなど渡したことが無いため、希望が聞きたかった。
「じゃあ、放課後付き合ってくれないか。──時間も立派な消えモノだろう?」
「は?」
確かに『時間』は消えモノかもしれない。
しかし──
「無理です。試験が近いので、勉強があります」
「──じゃあ、試験も近いし図書館でテスト勉強にでも付き合ってもらおうかな」
「は?」
シエルが爽やかな、それでいて悪戯が成功したときのような満足げな笑顔をルルに向ける。
それは、先日見せた冷たい表情とは比べ物にならないくらい優しい灰青で──
「っ……!」
一瞬、彼に見とれてしまい、断る機会を逃す。
「──じゃあ、明日の放課後図書館で。こう見えても俺は学年首席だから、チェリーパフの試験勉強の役に立てると思うよ」
学年首席との勉強は大変魅力的だが、それではかなり目立ってしまい、消えモノを指定したことの意味がなくなる。
想定外の”お礼“に、ルルは困惑した。
*--*--*
シエルとの約束の日は、ぽかぽか陽気だった。
いつもはサロンか教室でお弁当を食べていたルルだったが、急に桜を見ながらお昼を摂りたくなり、お弁当を持って桜下のベンチにやって来た。
食後、桜の花を見上げボーっとしていると、背後から声を掛けられた。
「あれ? ここに人がいるなんて珍しいね」
「え?」
驚いて振り返ると、そこには柔らかな笑みを浮かべた一人の男性が立っていた。
彼は長い金髪を首の後ろで結っており、まるで満天の星を閉じ込めた夜空のような、深い瑠璃色の瞳が印象的な──男性だった……
『眉目秀麗、カラフルな髪と瞳』、そして素人の目から見てもわかるその優雅な立ち居振る舞い──見るからに『高位貴族』な御仁だ。
「……女性からそんな嫌そうな目で見られるなんて、新鮮だな」
その男性はそう言うと気を悪くした風もなく、ルルに優しく微笑んだ。
「……遠回しにご自分が女性に人気があるのだと自慢されていますか?」
「自慢はしていないけど、人気はあるかもしれないね。これでも一応、この国の第三王子だから」
王族に人気が無ければ国としても困ってしまうね。
なんてことを言いながら、第三王子がルルの隣に腰掛けた。
(ひぃぃぃ……!)
ルカ・アシュフォードと名乗った彼は、まさかの『肩書付』──ルルが平穏な学園生活を送るために避けなければならない人物の特徴を、フル装備していた。
(──って、高位貴族すっ飛ばして王子様が来たぁっ……!)
しかも、とっても軽薄そうな王子様がっ!!
──ルルは名乗ることも忘れ、この胃痛案件をどうやって切り抜けようかと空を仰いだ。
シエルとの出会いの時同様、桜を見下ろす校舎の窓から二人の出会いを見つめる者がいたのだが、ルルはそのことに気付くことはなかった。




