9-4.弍
佐々木彩様――あなたは、高石央太様と、木佐響子様を殺しましたね?
宮野の言葉は、刀で空気を削ぎ落とすかのように響いた。語尾に飾りはない。問いかけですらなく、断定に近い投げかけだ。言葉が落ちると同時に、周りの音は一斉に遠のき、そして消え去ったように思えた。
彩は、その一語に反射的に笑みを浮かべる。笑いは薄く儚い膜のように張られているだけで、内側の空洞を隠し得はしなかった。瞳の奥に逃げ場を探す虫のような光がちらつくのを、誰もが見逃さなかった。
何で私だと?証拠でもあるんですか?
平然とした声だった。指先も、呼吸も、照らし出された彼女に乱れはなかった。海都は、そんな彩を一瞥して、淡々と言葉を継いだ。
僕は、あなたの口からそう聞きましたよ。
その声に、怒りも、嘲りもない。あるのは観察者の冷静さだけだ。問いかけは既に結論へ向かっている。彩は口を固く結び、微かに顔色を変える。
……それは、あなたが私に“認めなければ殺す”って脅したからでしょ?あの場では、自分を守るために認めたフリをしただけよ。
舌はあまりにも滑らかだ。彩はここで、今のこの状況を先読みし、脳内シミュレーションをしていた…そんな推測が頭を過ぎる。
いいえ、違います。僕はあなたを殺すなんて言っていないし、あの時あなたは確かに認めた。そして、僕は根拠もなくあなたを疑い始めたわけではありません。
宮野はゆっくりと頷いた。深呼吸を一つ、二つ。彼女の目が遠くを見やるのは、あの光景――響子の最期の姿が頭を過っているからだ。
響子の右手には三枚のトランプ。ジョーカーがキングとクイーンを覆い潰すように握られていた。誰もがそれを“叙歌が犯人”という単純な構図に落とし込んだ。だが、宮野はその向こう側を見ていた。
市川様、それは……お嬢様の“ダイイングメッセージ”のことですね?
はい。そうです。
――お嬢様の右手の中では、三枚のカードが確かに握られていました。ジョーカーがキングとクイーンを包み込むように…ですが、その他にも、重要なものが発見されました。
……その他にも?
ええ。服の内側から――もう一枚のジョーカーが見つかったのです。
空気が濃くなる。言葉が落ちる度、彩の表情が揺らぐ。自分の内側から何かが崩れていくのを感じている。彼女にとって、この"新たな事実"は、僅かに亀裂を入れ、作り笑いは先細りになった。
ジョーカーが、二枚…
叙歌が震える声で呟く。彼女は、自分が“罪を被せられた”という恐怖と屈辱の混じった感情を抱えていた。
私は、吉岡様の指示によって、“もう一枚のジョーカー”の存在を、意図的に伏せていました。そして今、その判断の意味が漸く理解できたのです。
やはり、二枚あったんですね。
海都の声が、さらに冷たく紡がれる。
ジョーカーは通常、一セットのトランプに二枚存在します。見た目は似ていても、扱いが異なる場合があって、赤いジョーカーを“上位”と扱う文化もあります。二枚のジョーカーは、互いに補完し、あるいは分離して意味を持ちます。
そうです。お嬢様の右手に握られていたのは、赤いジョーカーでした。そして、服の内側からもう一枚の黒いジョーカーが見つかりました。"二枚あること"で、お嬢様からの明確なメッセージが浮かび上がるのです。
彩の顔色が急速に青ざめる。笑いは消え、唇は硬直する。彼女の思考は必死に前後をなぞるが、宮野と海都の語るロジックは的確だ。逃げ道が封じられてゆく。
――"二枚のジョーカー”が示す意味…それは、"二人のジョーカー"だと考えられます。
叙歌の声が掠れ、震えを帯びる。
ジョ、ジョーカーが二人?!それって……どういうことなの?
宮野は一歩前に出る。手元の光が彼女の輪郭を鋭くする。視線は彩の頸元、胸元、指先に滑り、最後は手元に止まる。
あなたはお嬢様が握っていたジョーカーを見て、このまま握らせておけば、誰もが二色様を疑うと考えました。だからこそ、あえてカードを回収しなかった。そして、その認識をさらに浸透させるため、あなたは皆様の前で二色様が疑わしいと主張したのです。しかし、あなたは気付きませんでした。このジョーカーは、二色様ではない、他の人物を示していることを。
彩の肩が震える。彼女は唇を噛み、瞳が泳ぐ。手膝を叩き、爪が皮膚へ食い込む。心拍が耳に響く。誰かが激しく息を吸った――その音は異様に大きく、耳鳴りのようだった。
何を……言ってるの……?
彩の声は、もう反論の力を持たない。言葉が喉の奥で砕けているのが見て取れる。顔色は引きつり、指先に白い痕が残る。目の前が白く滲み、視界の端に黒い点が瞬く。彼女の中で何かが壊れ、同時に理性が必死に破片を拾い集めている。だが周囲の視線は冷たく、助けはない。
叙歌がゆっくりと立ち上がる。膝の震えを押さえながら、その瞳は、薄い希望に揺れている。
彩先輩……もうやめようよ、こんな――
叙歌の声は消え入りそうだ。
市川様。あなたは”もう一枚のジョーカー”の事実を知らなかったはずです。それなのに、なぜ佐々木様に疑いの目を向け、彼女を連れ出し、二人だけで会話することにしたのでしょうか。
……僕は無断でロビー棟のバックヤードを物色しました。それは許されることではないですし、古本さんには謝らないといけません。警察に捕まってもおかしくないことをしました。ですが、そこで発見したんです。"佐々木彩の秘密"を……
海都の言葉はそこで一度切れ、静寂が戻る。視線は全員、彩へ集まる。彼女の掌は震え、爪の跡が肉に残っていた。何かを隠しているのか、それともただ恐怖に耐えているのか。その答えはまだ、はっきりとは出てこない。
だが確かなのは、彼女の周りに張られたロジックの網が縮まり続けていることだ。逃げ道は幻想であり、言い訳はやがて破綻する。各々が持つ光の束がかすかに揺れ、誰もが次の瞬間を息を殺して見守っている――彩が何をするのか、あるいは何を語るのかを。
彩は、硬く唇を震わせながら、目を瞑り軽く深呼吸をして、漸く言葉を絞り出した。
その話は、さっきしたじゃない。
彼女は少しだけ冷静さを取り戻し、少し前の傲慢さが、再び顔を出したように見えた。
では、佐々木様と市川様の間でなされたお話がどういう内容だったのか、そして佐々木様の秘密とは何か…聞かせていただけますでしょうか。
彼女の目が、じっと、彩を捕らえた。彩の体が小さく震え、鋭い静寂が再び満ちる。誰かが呟くように息を吐いた――その音は、この夜の真実を引き出す合図のように、温度を持たず、短かった。




