6-1.漠
吉岡様、お加減はいかがですか?
宮野が運転席から声をかける。助手席の恋さんは、一瞬だけ後部座席の私を振り返り、すぐに前へ視線を戻した。
……今は薬が効いているので、何とか動けていますが、良くはありません。でも、私の自己管理の甘さのせいですし、今は大事な捜査中。休んでいるわけにはいきません。
無理はなさらないでください。この島にはお医者様がいませんし、迎えの船は少なくとも明日までは来ないのですから。
はい、ありがとうございます。
ところで、次はどうされますか?まもなくロビー棟に到着しますが。
あ、えっと……
恋さんが言葉に詰まる。動揺は隠しきれず、視線が泳ぎ、膝の上の指先が小さく震えていた。ちらりとスマホを見下ろし、一呼吸置いてから声を強める。
……ダ、ダイイングメッセージです!現場に残されていたトランプ、あれについて聞き込みをします!
私はスマホを裏返して膝の上に置き、外の景色に目をやった。夕陽がロビー棟の屋根に反射し、ぎらりと視界を刺す。一瞬、目を細める。
足りない。まだ、決定的な何かが。手がかりはゼロではないが、核心に迫るには到底届かない。焦りを胸の奥に押し殺し、私は静かに拳を握り込んだ。
車はエントランスに滑り込み、西からの眩しい強烈な日差しが、無言で私たちを迎えた。
食堂へ向かう途中、恋さんの足取りが僅かに乱れた。顔色も冴えない。食事を終えたら、すぐに休ませなければ――
皆さーん!無事ですかー?何か異変は…
恋さんの呼びかけに、遠くから叙歌が手を振った。
はーい!無事ですけど、ダメでしたねー。電波が入る場所が見つかりません。
同好会の四人は島中を探し回ったが、収穫はなかったらしい。助言どおり、トイレ以外は全員で纏まって行動したとのことだ。
明日が、帰る予定の日だな。今夜さえ乗り切れば迎えは来る……嵐も、収まったし。
藍時の言葉に空気がほんのり緩む。だが胸の奥には、逆に焦燥感が芽を広げていた。
そう――タイムリミットは明日だ。
今日で捜査は二日目。新たな犠牲者を出し、事態は一層深みに嵌っている。ここからが正念場だった。
……そうですね。一緒に迎えを待ちましょう。その間、できる限りのことをしたいと思います。そこで一つ、皆さんにお聞きしたいことがあります。
恋さんの声に全員の視線が集まる。
木佐さんが遺した"ジョーカー"…もしあれがダイイングメッセージなら、私たちはもっと知る必要があります。ジョーカーには、どんな意味があるのでしょうか?本もネットも使えない今、皆さんの知識が頼りなんです。その“意味”こそ、事件を解く鍵だと感じています!
短い沈黙を破ったのは海都だった。
ジョーカーは十九世紀のアメリカで生まれたカードです。もともと“ユーカー”というゲームで切り札の役割を持たせるために作られた――
あ、それ、前にお前から聞いたな!
藍時が割り込む。
"三枚目のジャック"がジョーカーになったんだよな、たしか。
唐突で曖昧な記憶。無邪気なのか、意図的なのか。だがその言葉に、私は小さな引っかかりを覚えた。
再び海都に視線を戻す。彼の知識だけが、今は羅針盤だった。
──以上が成り立ちです。ところで、クイーンはバイシクルのカードを愛用していました。彼女はどうやってジョーカーを示していたのですか?
響子が残した二枚のジョーカー。一枚は着衣の中に隠され、もう一枚は右手に握られていた。スペードのキングとクイーンを覆い潰すように。だが着衣の一枚のことは、まだ同好会メンバーには伏せてある。真犯人すら気付いていない事実だと信じて。
……ジョーカーは基本的に赤と黒の二種類がある。現場写真はありますか?握っていたのはどちらでしょう?
赤、でございます。
宮野が即答する。その声の潔さが、事実の重さを際立たせていた。
海都は黙って立ち上がり、机を迂回して恋さんの正面に歩み寄る。そして、ふと笑みを浮かべた。柔らかく、それでいて挑発的な笑みだった。
……中国などの地域では、ジョーカーに上下の区別があります。赤――色付きが“上”。白――モノクロが“下”。単なるゲーム上の区別に留まらず、象徴的な意味合いもある。例えば、運命を支配する者と、翻弄される者。表と裏。生と死……
言葉が届いた瞬間、視界が揺らいだ。頭の奥で何かが炸裂する。霧が裂け、一部の地図が光を帯びて現れるような感覚。
(ある……!ここに必ず何かが!)
これはただの警告ではない。響子が最後の力で伝えたかった、切実な真実。ジョーカーを選んだ理由。色、配置、順序――
仮説は輪郭を描き始めた。だが霧の奥に頂は見えない。
残ったのは、焦燥と期待がないまぜになった、名状しがたい騒めきだけだった。




