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5-4.証

5-4.証


 あと、お嬢様を発見した時、"甘い匂い"を感じました。昨日お二人がこの部屋を調べた時には、そんな香りはなかったと記憶しています。


 はい。昨日はなかったと思います……それなら、これで調べましょう!


スーツケースのジッパーを開くと、鉄のような匂いがふわりと立ち上った。中には、整然と並んだ“道具”たちがこちらを見返している。


 香りだけじゃなく、これで色んな痕跡を、徹底的に洗い直します!


指紋採取セット、血痕検出剤、微物検出スワブ、靴痕用石膏粉――どれも無言の兵士のように、出番を待っていた。これが、殺人事件コンサルタントの"武器"だ。


私たちは、慣れた手つきで一つひとつを取り出す。無言のまま作業に没頭すると、世界は指先だけに収束していく。目は細部に神経を尖らせ、呼吸すら浅くなる。指紋、血痕、繊維、毛髪、靴痕――どんな小さな痕跡も、見逃せない。


ここは“最初の密室殺人”の現場であり、警察の調べは終わっていた。だが“二度目”が起きた今、ゼロから捜査をやり直す必要がある。頼れるのは、私たちと、このツールたちだけだ。


そして――その成果は、思いがけない形で現れた。


 未凪ちゃん、見て。


恋さんの声が、凍った部屋の空気にわずかな熱を注ぎ込んだ。彼女の指先が、響子の遺体にかけられた布団の端を示す。そこに、黒ずんだ“シミ”が滲んでいた。


(この染み方……水じゃない。もっと粘度がある。色も黒い……)


私は膝をつき、懐中電灯を当てた。シミは繊維の奥まで乾き、時間が経っている。昨日今日のものでないなら、前回彼らがここを訪れた時に付いたのだろうか。


 よーし、こういう時は……じゃじゃーん、リゾチーム検出キット〜!


唐突にテンションを跳ね上げた恋さんが、小さなボックスを取り出す。非常時でなければ笑ってしまう光景だった。だが彼女はふざけてはいない。遊び心ごと必要な手段を引き出すタイプなのだ。


 リ……リゾ……?


宮野が戸惑いがちに訊ねる。無理もない。日常で耳にする単語ではない。


 簡単に言うと、人間の体液に含まれる“リゾチーム”って成分を検出するキットです。DNA鑑定と違って、唾液か涙か母乳かまでは分かりませんけど、“人の体液”かどうかは分かる!


 ……つまり、この黒いシミが体液なら、人為的な関与が疑われるわけですね。


 そういうことですー!


恋さんはシミに検査液を落とし、リズムよく作業を続けていく。


 結果が出るまでちょっと時間かかりますから、その間に他を調べてください。二人は引き続き室内を。


私たちは頷き合い、それぞれ持ち場へ散った。窓枠、引き出し、カーペットの縁、家具の裏。宮野は書類棚、ベッド下、通気口を細かく確認していく。


証拠は声を上げず、そこにいる。発見されるまで、"沈黙"を貫く。私たちの手が、その"沈黙"を破る――そう信じていた。


やがて、"布団のシミ”と"甘い匂い"の調査を恋さんに託し、私たちは屋外の捜索へ移った。建物の外周をゆっくり一周する。壁面の割れや窓枠の歪み、足元の泥濘にまで注意を払ったが、目を引く異常はない。整いすぎた現場は、不気味さを増すだけだった。


昨夜の豪雨が残した泥が、地面に深い爪痕を刻んでいた。残っているのは、今し方ついた私たちの長靴と車のタイヤ痕だけ。犯人の痕跡は、雨が全て呑み込んだのだろう。


現場の周辺には、使い古された重機が無造作に放置され、湿ったブルーシートの下には、泥にまみれた板材や角材、外されたドア、壁材が雑多に詰め込まれている。脚立、スパナ、シャベル、ドライバー……一つずつ確認したが、事件に直結する手がかりは見つからなかった。


残るは、プレハブ小屋の屋根。地上からは死角で、脚立を使うしかない。私と宮野は、身長の倍はありそうな脚立を泥を跳ね上げながら運び、慎重に立てかけた。位置を少しずつ変えながら屋根や外壁を観察し、写真に収めていく。


窓枠に歪みはなく、ガタつきすら感じられない。屋根は、四枚の板を繋ぎ合わせたものの上に、一枚の大きな板を被せた二重構造で、ボルトでしっかり固定されているというが、異変には気付かなかった。


 ……これ以上、調べるところは、なさそうですね。


宮野の声は湿り気を帯び、現場調査の終わりを告げていた。その奥には、掴みきれなかった手応えへの落胆がにじんでいる。


その時、恋さんが窓から顔を出した。


 結果、出ましたよー。


まず、布団の“シミ”からリゾチームが検出された。さらに、黒ずみの正体は“マスカラ”の可能性が高いという。


リゾチーム――涙に多く含まれる酵素。そしてマスカラ。仮説が正しければ、あの布団の上で“誰かが涙を流した”ことになる。


涙と化粧品が混じり合った痕跡。それはただの汚れではない。抑えきれなかった感情の吐露、その名残だ。マスカラを使うのは女性だけとは限らない。全員に可能性がある。


ただし、このプレハブ小屋は、央太の強い要望で追加された部屋だ。宿泊したのは彼一人のはず。


それが響子なのか、他の誰かか、いつの出来事なのか、今はまだ分からない。


けれど私は、この痕跡に確かな“綻び”を感じていた。完璧に見えた犯行の、微細な裂け目。まるで押し殺された感情が、布団を通して静かに染み出してきたように――


次に、"甘い匂い"の正体は、恐らく白ワイン。睡眠薬が混入されていたようだ。眠らせて無力化してから確実に殺害する…それが犯人のやり方なのだろう。


しかし、そのワインが床や壁に飛び散っていた。さすがに響子の胃袋の中まで確認はしていないが、もしかしたら彼女は体内に異物を入れることを拒み、強く抵抗したのかも知れない。もしそうなら、央太とは強い結びつきがあり、響子とはそこまでの信頼関係はない人物…というのが、犯人像だろうか。


ここに、何かが滲んでいる。


私は、確かにそう思った。


 古本さん、"涙"のことは同好会の皆さんには内緒でお願いします。重要な手掛かりの可能性もありますので。


 はい、かしこまりました、吉岡様。

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