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4-3.再

目が覚めたのは、朝食の時間をとっくに過ぎた頃だった。8時――に集合のはずが、私たちが目を覚ましたのは、8時半過ぎ。部屋のインターホンが、現実への呼び戻しとなった。迎えに来てくれたのは、やはり宮野だ。


 おはようございます。すみません、起こしてしまいましたか?


 ふ、古本さん、本当にすみませんっ……! 昨日びしょ濡れでそのまま寝ちゃって、シャワーも浴びてなくて……まだちょっと出られそうにないので、長谷川だけ先に行かせますねっ……っくしょん!


恋さんは布団を肩まで引き上げたまま、鼻をすすりながら、くしゃみをひとつ。風邪を引いたらしい。無理もない。あの状態で眠れば、そうなるのが当然だった。昨日、無理にでも起こしてシャワーを浴びさせるべきだったのか――そう思いかけたが、それは結果論。あの全てを出し切り力尽きたような姿で眠る彼女を起こすのは、さすがに居た堪れなかった…こういう時の正解なんて、誰にも分からない。


 そうでしたか。先ほど、お嬢様の部屋にもお迎えに伺ったのですが、反応がなかったので、もう一度そちらに行ってまいります。その後またこちらに伺いますね。


 いえ、それでは何度も往復してもらうことになりますから。私は歩いて向かいます。未凪ちゃん、あなたは先に古本さんと木佐さんの部屋へ行ってちょうだい。


恋さんの指示に、小さく頷く。少しだけ視線を合わせると、"頼んだわよ"と言わんばかりの表情が返ってきた。


部屋の扉を開けると、雨はまだ降っていたが、昨夜の暴風雨は嘘のように収まっていた。しとしとと地面を濡らすだけの、静かな雨。だが、足元の泥濘は、島の機嫌がまだ直っていない証だった。


宮野の運転する車に乗り込もうと一歩を踏み出しかけたが、ぬかるみと水たまりだらけで、普通の靴ではまともに歩ける状態ではなかった。彼女はそんな私の足元に目を留めると、笑みを浮かべて後部座席から何かを取り出した。


 これ、よかったら使ってください。サイズが少々大きいかも知れませんが……。


見ると、しっかりした造りの防水長靴。昨日に続き宮野からのこの上ない贈り物だった。


助手席に座った私は、濡れた窓の外をぼんやりと見ていた。昨日のあの道。恋さんと二人、必死で駆け抜けた夜の記憶は、すでに景色の中に溶けていた。今はただ、濡れた大地が沈黙のままそこに伸びている。足跡も気配も、最初から存在しなかったかのように。


ふと、思う。


――昨夜、響子はあの雨の中をどうやって戻ったのだろう。あの巻き髪は、やはり無事ではなかっただろう。いや、それよりも……寝坊には、別の意味があるのでは?あの告白との関連は?……目的地は目前に迫っていた。私は、何気ないふりをしながら、胸の奥でその問いを反芻していた。


車が止まると、宮野と私は響子の部屋の前に立った。雨は細く、空気は冷たい。


インターホンを押す。反応はない。再度押す――沈黙。


 ……失礼します。


宮野は小さく呟きながら、取っ手に手を掛ける。ドアを開けた瞬間、湿った空気が一筋、肌を撫でた。鍵は掛かっていなかったようだ。


中は、異常なほど静かだった。空っぽというよりも、"抜け殻"という言葉がふさわしかった。生活の痕跡は確かにある。ベッド、化粧台、洗面台に置かれた歯ブラシ。テーブルの上に置かれたルームキー。しかし、響子の姿だけが、どこにもなかった。


ユニットバスの中にもいない。クローゼットを開けても、ベッドの下を覗いても――ただ、静寂だけが応じた。


 お嬢様はこちらで探します。長谷川様は、朝食へ……。


その申し出に対して、私が即座に首を横に振ると、宮野はそれ以上何も言わなかった。私たちはそのまま、車で島内を回り始めた。だが、どこを探しても、彼女の姿はない。影も形も、気配すらも。


――そんなとき、ふいに一つの場所が脳裏に浮かんだ。盲点。誰も目を向けていない場所。宮野へ伝えると、彼女は何も問わず、黙ってハンドルを切った。


そこに着くと、すぐさま宮野が鍵を取り出したが、その手には、明らかにさっきより強い震えがあった。


鍵が回る。扉が軋んで開いた瞬間、冷たい空気が足元から這い上がってくる。


その部屋の床に、何かが倒れていた。


私たちは同時に駆け寄る。


仰向けに倒れた女性。長い黒髪が広がっている。唇がわずかに開き、目は見開かれ、しかし焦点を持たない。白目を剥き、生の気配は、どこにもない。


 お、お嬢様……


掠れるような宮野の声。


――響子が、死んでいた。


私は素人ではない。プロだ。ビビって何もできない女子高生では許されない。そう自分を鼓舞して、気持ちを強く持ち直した。


彼女の遺体を前に、検分を始める。


首元に、引っかいたような痕。絞殺――恐らくそれが死因。衣服の乱れも、激しい抵抗の痕もない。油断していたのか、それとも犯人を信頼していたのか…


あるいは、声を上げる間もなかったほど、突発的な行動だったのか。死後、五時間以上。私たちが目を覚ますよりもずっと前に、彼女は命を奪われていた。


部屋には一見おかしなところは見当たらない。目立った損傷や汚れはなく、失くなっている物なども確認できない。ただ、部屋を開けた瞬間、微かに甘い匂いを感じた。


響子の右手には、クシャクシャに握り潰さたジョーカー、スペードのキング、スペードのクイーンのカードが握られている。


そして服の内側、まるで隠されていたかのように、もう一枚のジョーカー。こちらは、折り目ひとつない新品のような状態。


さらに、ベッドの下から発見された箱の中には、二枚のジョーカーと、スペードのキングとクイーン除き、すべてのスートがエースからキングまできちんと並んでおり、一枚の欠けもなかった。響子のマイトランプだろうか。


整然と並べられた秩序。


――偶然では、ない。


これは、響子からの“ダイイングメッセージ”だ。


宮野と私は、無言のまま立ち尽くす。静けさが、世界をまるごと包んでいた。


現実の重さだけが、そこに残っていた。

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