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4-2.憊

私たちと響子の部屋は、ロビー棟を中心に、反対側に位置していた。出口で軽く言葉を交わし、それぞれの闇の中へと分かれていく。


外へ出た瞬間、世界は別の貌を見せていた。雷鳴。豪雨。空気はずっしりと重く、息を吸うだけで肺の奥まで濡れていくような錯覚を覚える。


まるで、世界の輪郭がすべて溶け出して、黒の絵具で塗り潰されてしまったかのような夜だった。


宮野は最後まで付き添うつもりでいてくれたが、響子との会話が長引きそうだったので、先に自室へ戻ってもらった。


今日という一日、幾度となく救いの手を差し伸べてくれた彼女の姿が消えると、暖かな光もまた一つ、背後に置いてきた気がした。


残された選択肢は、ただ一つ。覚悟を決めて、嵐の中を突っ切る。


全力で駆け抜ける私たちに、大粒の雨は容赦なく襲いかかる。顔を打ち、足元を奪い、体温を奪っていく。着く頃には、全身ずぶ濡れだった。髪は顔に貼りつき、靴の中には泥水がたまり、服は泥と水にまみれていた。


だが、ここまで来れば、もはや諦めが勝る。不快感はすでに頂点を越え、ただの事実としてそこにあるだけだった。


そのまま部屋に入れば、床は水浸しになり、冷たさは体の芯にまで染み込む。


周囲は真っ暗で、誰に見られる心配もない。互いに言葉を交わすことなく、私たちは同時に行動を起こしていた。


玄関前で濡れた服を脱ぎ軽く絞った後、なるべく雫が落ちないようゆっくりと部屋へと入る。大量の水分を含んだ衣服が、これほどまでに厄介な存在になるとは思っていなかった。


今ごろ響子も、同じように格闘しているのだろう。深夜まで完璧に形を保っていた、あの巻き髪。さすがにこの雨には耐えられまい。


――意味などない。ただ私は、こういうどうでもいいことを、疲れたときほど考えてしまう癖がある。


 ……あ〜、ほんっとひどい目に遭ったわね……さっき私が先にシャワー使ったから、今度は未凪ちゃんが先でいいわよ。


恋さんは、タオルを肩にかけながら言った。

いつもなら、年上を優先する。それが、子どもの頃からの教えだった。だが、今日ばかりは、お言葉に甘え先に浴室へ向かった。


シャワーの湯が肌に触れた瞬間、それは温度ではなく感覚そのものとして伝わってきた。

凍えていた皮膚がゆっくりと解凍されていく。じんわりとした安堵が、骨の内側にまで染み込む。幸福感すら感じたが、それでも私は長湯はしなかった。恋さんもまた、同じように冷えているはずだったから。できるだけ早く代わってあげたかった。


しかし、浴室から出た私の目に飛び込んできたのは──


布団に包まり、タオルを髪に当てたまま眠ってしまった恋さんの姿だった。その寝顔は、安らかというより、限界を迎えて倒れ込んだ人のそれだった。どこかで気を張り続けていた糸が、ようやくぷつりと切れたかのように。


そういえば──今日は、本当に、長すぎる一日だった。朝五時に起き、三時間以上フェリーに揺られ、到着してすぐに捜査に奔走した。事件現場を調べ、関係者に聞き込み、夕食後はワイン(恋さんだけ)を片手にカードゲーム、そして響子からの告白。仕舞いには全身ずぶ濡れで足は泥だらけ……起床から二十時間以上が経過していた。


髪を乾かしながら、その全てを頭の中で巻き戻していく。歯を磨き、布団に潜る。疲労は限界に達しているはずなのに、雷鳴と豪雨が夜を裂き、閃光が瞼の裏まで照らしたせいで、私はしばらく眠れずにいた。このプレハブ小屋は、外音を遮るものがない。世界の騒音が、眠りの入り口をふさぐ。


そのとき、不意に思い出したのは、藍時の言葉だった。


──神経質って、寝つきにも出るらしいよ。


……どうやら私も、そこに関しては央太と同じタイプのようだ。


だがその後、まるで意識の糸をぷつりと手放すように、泥のような深い眠りへと沈んでいった。


ようやく、この果てしなく長く、重たい一日が幕を閉じた。

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