4-1.告
夜は、すでに深く沈んでいた。ロビーに広がっていた騒めきも次第に落ち着き、誰からともなく"そろそろ部屋に戻ろうか"という空気が漂い始める。そんなタイミングで、私は漸く一人の人物と向き合うことができた。
木佐響子──二十一歳。N大学四年生。その名に“きさき”を含むことから、同好会の仲間内では“クイーン”と呼ばれている。人工島ビッグオーシャンを保有する大企業の社長令嬢にして、亡き央太と共にトランプ同好会を立ち上げた中心人物でもある。
彼女は、絵に描いたような“令嬢”だった。すらりと伸びた高身長に、無駄のない所作。均整の取れた顔立ちに、背中へ流れる巻き髪の艶やかさ。だがその美しさは、華美ではなかった。あくまで涼やかで、どこか他人を寄せ付けない“距離”を纏っていた。
ところで……木佐さんは、とても几帳面な方なんですね。
なぜそう思うの?
さっきチラッと見えたんです!木佐さんがマイトランプを箱から出した時、絵柄ごとにきっちり順番に並べられていたので。
よく見てるわね…私は昔から細かい性格なのよ。そして、用心深く、疑り深い。央太みたいな"神経質"とはまた違うけどね。彼は幼少の頃から図体は大きかったけど、心はとても繊細だったから。
なるほど。木佐さんと高石さんは、幼馴染だったんですね……。本当に、お辛いと思います。改めて……お悔やみ申し上げます。
ええ……
静かな声だった。抑えているのか、それとも初めから表現する気がないのか──彼女の感情は、まるで靄の向こうにあるかのようだった。
差し支えなければ、教えていただけますか。子供の頃から……仲が良かったんですか?
昔はね。ただの友達って感じだった。でも、ふざけてキングだのクイーンだの呼び合ってた時期があって。それが、同好会を作るきっかけになったの。
語尾に名残惜しさが滲んだ。それが思い出への情か、それとも喪失の痛みかは、判別できない。
幼馴染で、大学でも一緒で、しかも同じサークル……まるで物語みたいな関係ですね。他の方のニックネームも、全部高石さんが?。
まあ、そうね。たまたま名前に関連付けやすい文字列があっただけだけど。
それと……市川さんから伺ったのですが、お二人とも、お母様の会社に内定が決まっていたと。
……央太はそういうところ、抜け目なかったから。使える人脈は全部使う。少しでも楽な道があるなら、迷わず選ぶタイプだったわ。うちの親にも、ずいぶん取り入ってたみたいよ。でも私は……別に、協力なんてしてない。
その言い方は、奇妙な温度を持っていた。冷たく突き放すようでいて、どこか未練が残っているような、あるいは自分に言い聞かせているような。
そうなんですね。てっきり……木佐さんが推薦されたのかと。
みんなそう言うのよね。
軽く息を吐くように言ったが、その目は笑っていなかった。
お母様から止められなかったんですか?またここに来ることを。
"過保護"って言葉があるでしょう?うちの母はね、その真逆。私がやることに干渉しないし、そもそも興味もないのよ。まあ、今回は会社も絡んでいることだから、何かしらリアクションがあると思ったけど、毎日対応に追われていて、それどころじゃなさそう。
そう、なんですね…
他人事みたいに言ってるけど、私が同好会の合宿所としてここを使い始めたのがそもそもの発端だから、私にも責任があるのは認識しているわ。
…あ、あと……他の方にも伺っているんですが、高石さんが何かトラブルを抱えていたとか、誰かに恨まれていたというような話は、ありませんでしたか?
警察にも、同じことを聞かれた。でも、何か知ってたら、とっくに話してるわ。私だって、央太を殺した犯人を見つけたいもの。
その口調は淡々としていた。理知的で冷静な言葉の中に、激情の痕跡は見えない。だが一瞬、瞳の奥に揺らいだ影──それは、怒りか、悲しみか、あるいは別の何かだったのか。
恋さんの問いかけにも、響子は一貫して冷静だった。だが時折ふと浮かぶ、寂しげな表情。
──ここまでが、今までの私。
言い終えた瞬間、響子の声はふっと消え、代わりに重苦しい沈黙が空間を支配した。私たちは息を潜めて彼女の表情を伺う。口元には微かな笑みのようなものが浮かんでいたが、それはどこか、諦念にも似ていた。
……え?
反射的に漏れた問いは、恋さんの理解の追いつかなさを如実に表していた。
央太が殺されて、捜査が始まって……。私は、何もなかったように振る舞っていたの。これまでどおりに、普通の”優等生”として。
響子はそう言って、少し俯いた。机の上で組まれた両手が、震えているのがわかる。
……すみません。話が……まだ飲み込めていません。
共犯者だったの。私と央太は。“大罪”という名の、抜け出せない鎖で繋がっていた。
共犯者…その言葉が、頭の中で鈍く反響する。私の隣で恋さんが小さく息を呑んだ。
“大罪”……それは、何を指しているんですか?
響子は一瞬だけ目を閉じ、深く息を吐いた。そして、言った。
それは……今はまだ、話せない。母や母の会社、挙げたらキリがないほど、影響を受ける関係者が多いから。でも……央太が死んだ今、黙っている理由はもう、何もないわ。
言葉の隅々から、後悔と覚悟が滲み出ていた。私は思わず問いかけた。
いずれは、全てを?
ええ。全部話して、罪を償う。どんな罰でも受けるつもりよ。
その目には確かに覚悟が宿っていた。けれど、恋さんも、私も、まだ納得できなかった。
なら……なぜ、私たちにこの話を?
彼女は少しだけ口角を上げた。そして、まるで私たちを試すかのように、静かに言葉を置いた。
央太の死が、私たちの罪と無関係だとは思えないの。あの時犯した”大罪”が、誰かの怒りを呼び、復讐心を育て……央太を殺す動機になったのではないかって。
で、でしたら……せめて事件に関係することだけでも、話してもらえませんか?
…ごめんなさい。
響子は首を横に振った。それは強く、確固とした拒絶だった。
思わせぶりなのはわかってる。でも……ごめんなさい。
“でも”の先に続く言葉を、彼女はとうとう見つけられなかったのだろう。ただ、懺悔のように繰り返した謝罪が、やけに脆く響いた。
央太がいなくなって、私は一生一人でこの"大罪"を背負って生きていくなんて耐えられない。これは、完全に私の自己満足。自分が前に進むための決断よ。
私は思う。いや、確信していた。
──響子が言った”大罪”、それはきっと、過去に起きた何か――私たちがまだ知らない”真実”の一部だ。
央太の死は、単なる事故や偶発的な事件ではない。今を暴くため、私たちは、過去と向き合わなければならない。無関係に見えた記憶の断片たちが、少しずつ繋がり始めている。
“この事件、一筋縄ではいかない”
それが今、確かな実感として胸に迫っていた。




