バンコクにて
とにかくインドを脱出出来た。いよいよ、私一人のバンコクである。ホテルは夜だし、すべては、空港内で一眠りしてからのこと。
スワンナプーム国際空港、広いこと、広いこと。敷地面積は成田空港の約3倍という。
動く歩道を利用出来れば良いが、二階や三階へ上がれば、途方も無い距離を歩き続けることになる。
1時間ほど仮眠をとると、気分良く目が覚めた。
さて、何をしなければならないか?
頭に浮かんだのは、荷物である。放置された物として、別に保管されているかも。或いは、不審物として解体されているかも・・・・・
掲示板の表示には、文字の他に絵が添えられている。そのスーツケースの絵を頼りに進みながらも、職員に荷物タグを見せて尋ねてみた。
すると、逆へ行けと言われた。しばらく行くと、バゲッヂの絵の矢印とは反対方向へ行っている。
で、再び元の方向へ歩いた。案内所の前に来て、改めて訊ねると、タグの他に、eチケットなどを見せろと言われて、すべてを出して見せると、再び絵の方向とは逆へ行けと言われた。
あの長い空港内を三回も行き来したのだ。二回は動く歩道であったが、3回目は二階へ上がっていたので、自分の足で歩いた。
そして、理解した。荷物受け取りの前に、出国手続きが必要だったのだ。
機内で貰っていた用紙に、必要事項を記入して無事に通過できた。
そして、ターンテーブルを目指した。荷物排出口から繰り出された荷物用テーブルが幾つも幾つも並んでいた。動いているものから、停止しているものまで。それらを順番に見て回った。
荷物タグを持って、案内所へ行かなければならないものと、覚悟していたが、幾つも並んでいるターンテーブルの中程まで来たときに? 有った!
名古屋空港で貰っていた大きなビニール袋。その中にコンバイン袋、さらにその中に折りたたんだ台車と荷物類。
停車しているターンテーブルから外へ出されていた。
もう、誰からも「早くしろ」と言われることは無い。夕方までに予約しているホテルへ着けばいいのだ。
ビニール袋からガムテープを剥がすと、すぐに破れる。破れてしまった袋でも、まだ、日本へ帰るときのために捨てるわけにはいかない。丁寧に折りたたんで、コンバイン袋と一緒に纏めて、荷台を仕上げた。
ステッキ(トレッキングポール)も二本準備した。台車に纏めた荷物を、腰に掛けて歩けば、杖を二本使える。ようやく、当初の計画通りに旅が出来ると思った。
(結局は、そういうスタイルは取らなかったが)
フリーSIMが売られている。昨年、従弟と来たときに買った店だった。今回は、ホテルに無料ワイハイがあるし、街中に多く点在している各ホテルにもあるのだから、買わなくていい、と判断した。そして、地下の電車のキップ売り場まで来て、思い直した。千バーツほどの出費。それを惜しんで苦労するよりも、いつでもネットに繋がるようにしていたほうが、安心だ、と。
それで、再び降り口の所まで戻った。1年前のSIMにチャージで使えないかと、訊ねると? 店員はテストして、もう使えないと。
それで新規に購入して、テザリングも確認して、待合所の椅子に座って、ネット接続をしたのであった。
ネットのあるサイトでは、私のインド報告をいつも見守って下さる方々がいる。
その御礼とバンコクに着いた報告などを書いて、それからエアーラインの駅へ再度向かった。
駅の発券所の近くで、用便を済ませた。狭い個室の中で、リュックやジャンバーをドアのフックへ掛けて・・・・・杖も置いて・・・・
トイレ掃除の女性を数名見掛けた。インド人とは明らかに異なる。顔立ちも違うし、第一、肌が比較的白い。しかし、あまり愛嬌が良いとは思えない。若干、インド人達のほうが笑顔があったであろうか?
改めて発券売り場で電車のキップを買おうとして、二本あるはずの杖が一本しか持っていないのに気が付いた。
トイレに置き忘れた、と思った。
急いで戻り、掃除の女性に「これと同じステッキ、見ませんでしたか?」と訊ねたが、返事をしてくれない。
しかたがない。或いは、スマホを使っていた所に置き忘れたかも、と、再び戻って見たのだが・・・・・あるわけがない。
案内所など、立ち寄った所全てで聞いたが、みな、知らないという。
誰かが、儲けた、とほくそ笑んだことだろう。一本でも残っていれば、まぁ、なんとかなる!
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「インドの旅」 最終章(バンコクにて1)
空港の地下から乗り込んだAirport Rail Linh エアーポートラインは、途中で地下鉄(MRT)に乗り換える必要がある。地図と駅の掲示板とを見比べながら、乗り換え駅迄の駅数を数えた。5つ目だ。ラームカムヘーンという長い綴りの駅の次、マッカサン駅で降りる。そして地下鉄のペップリー駅まで歩く。そして4つめのスティサーン駅が目的のホテルの近くだ。
アルファーベットは一見しただけでは訳がわからない。せめてカタカナであれば理解出来るのだが、そのカタカナは何処にも表示されていない。慣れないアルファーベットを眺めて、カタカナに訳して理解するのだが、直ぐに忘れる。何度も何度も、地図と電車内の表示駅名とを見比べた。
ふと視線を窓外へ転じると、樹木の緑が目に飛び込んできた。色鮮やかだった。空気が綺麗なのだ。ここがインドとは違う。美しい緑の風景に癒やされた。
・・・・・すると、駅の数が分からなくなった。停車駅で隣の女性に尋ねてみた。
イッツステェーション、イズヒァ?
要するに、ここの駅は地図のどれですか?と分かって貰えれば良い。彼女は地図を覗いて、ヒア、と指差してくれる。ThairandCultulCentre という駅であった。目的のSuttisan 駅きまではあと二つ。
マッカサン駅から地下鉄のペッブリー駅迄は長い高架の通路を歩いた。これは1年前に通った路だ。大きな交差点を高架通路で通り終わると、今度は長い階段であった。エスカレーターだった、と思う。
従弟と来たときは、ここから北へは行っていなかった。初めてその未踏の地へ踏み出したのであった。
タイも太陽の強いことでは、インドと大差は無い。藁帽子に汗取り兼日除けの手拭いを両方へ下げた出で立ちで、スティサン駅を出て、ホテルへ向かった。案内では徒歩5分くらいとあったが、そんな近くでは無かった。方向さえ間違っていなければ、やがて着くだろう。とは思いつつも不安になる。バス停で待っている人にホテルの地図を示して訊ねると、直ぐ先の路を右へ曲がった所だという。
インドでの安宿を見慣れていた私には、そのホテルは御殿のように見えた。
フロントには若い女性が3名いた。その内の一人は片言の日本語が話せた。「少し」という。可愛かった。少しでもいい。私は英語の「少し」も知らない。
予約の確認が終わると、五日分の朝食券と部屋のキーを貰った。鍵では無くて、カードキー。これも1年前に従弟と泊まったホテルで知っていたので戸惑わずにすんだ。
12階であった。部屋に入ると、直ぐに旅装を解いた。美しい部屋だった。まさに竜宮城に辿り着いたかと・・・・・
ところが、意外なことになった。
ドアをノックして、おばさんが入ってきた。なにやら言うている。不機嫌な表情だ。
その仕草は、出ろと・・・・、そしてベットのシーツを引っぺがした。私に外へ出ろと促す。出てみると、他の部屋を指差して、そこへ入れ、という。
意味は分かった。掃除をまだ済ませていない部屋へ私が入ったからだ。で、掃除を済ませた部屋へ替われというのだ。
鍵がない。「ルームキー?」おばさんは下を指差した。フロントへ行って貰え、と言うようだ。
この事があって、掃除の人には、チップを渡すのを止めた。そして、フロントで部屋の掃除はしないでいい。怪我をしているので外出はしないから。必要な物は、あとで貰うからと、スマホの翻訳と自分の包帯を巻いた足とを示して伝えたのだった。
掃除を頼むと、部屋におばさんが入ってくる。荷物を毎回片付けるのは煩わしい。
こういう時は、ワンタッチ開閉のスーツケースがあれば楽だろうが、私はベッドと化粧台の全面を使って、小道具を広げているから、おいそれとは片付けられないのだ。
部屋替わりのトラブルがなければ、おばさんにもチップを渡していたはず。そうすれば,もう少し愛想良くして貰えたかも。
ベランダからタイの裏町が一望できた。おそらく新市街の住宅地であろう。小綺麗であった。眼下に瓦葺きの建物が細長く伸びていた。寺院であろう。折りをみて入ってみよう。
一つの問題は、夕陽がまともに差し込む事だった。分厚いカーテンを閉めていれば解決はしたが、いかにも閉じこもりの感は否めない。
それよりなにより、火傷の傷を今度こそは、治してしまわなければならない。
インドでは、治りかけても歩くために靴で擦れて、直りきらずにいた。残り少なくなった食酢を一滴、一滴、大事に使いながら、表面の乾燥に努めるのだった。
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「インドの旅」 最終章(バンコクにて 2 )
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