インドよ さらば
「明日は夕方まで、自由時間とする。各自、行きたいところへ行っていい」
松川と相談して、決めたようだ。
以上、趣味人へ http://smcb.jp/_ps01?post_id=6991076&oid=235598
最後のホテル(2) インドの旅 小説
小説 インドの旅 最後のホテル(3)
「明日は夕方まで、自由時間とする。各自、行きたいところへ行っていい」
松川と相談して、決めたようだ。
http://smcb.jp/_ps01?post_id=6991076&oid=235598
より続き
インドで過ごす最後のホテル。値引きには応じなかったが、その分、今までの泊まったホテルの中では最高に良いホテル、と田沼が言っていたが、私に振り当てられた部屋は、今一であった。
エアコンが不調で、設定温度を変えられなかった。オン、オフも機能しない。
宿直のボーイにそれを告げると、リモコンをいろいろ触ったあとで、ボタンを強く押して、しかも、1分位の長押しで動作すると分かった。
愛想は良かった。ドアをノックする。出てみると大きなトイレットペーパーを差し入れてくれた。
何度か、そのボーイに会った。最後に私の部屋に入ってきて、ベッドを指差して言うのだった。
彼は自分の腕を枕にして、「ミー、オーケー?」と。その意味は、
「私もそのベッドで一緒に寝んねしたい。いいですか?」
と言うことだと分かった。まさか~~。
オーケーともサンキュウとも言えず、ひたすらに「グッナイン」を繰り返したのだった。
彼が部屋を出てくれると、通常のドア鍵だけでは不安になって、予備の上部鍵も使って床に就いた。
開けて翌日、自由行動となっていたので、私は終日部屋に籠もっていた。
いよいよインドを出ることになる。その為には、インドの出国申請書が必要だ。
コピーしていた南インドの歩き方では、やはり、スペルが小さくて読み出せない。
バンコクのスワンナプーム空港で行なったように、ルーペと老眼鏡の二枚組み合わせで、可能な限り拡大するのだが、どうしても分からない箇所が幾つかあった。
田沼や松川達も、当然、出国申請書を書くことになるはず。仕方が無い。彼らの書き上げた書類を見せて貰おう。
次に、私一人の課題があった。荷物である。名古屋空港で、台車と他の物とを二分せよと命じられた。それを何としても避けたかった。準備していたコンバイン袋(田沼からズタ袋と軽蔑された品物)、それに台車もその他も全て入れてしまおう、という作戦を練った。
コンバイン袋は、入口が窄まっている。したがって台車は入らない。そこで私は袋の底を切り開いた。上下を逆にすることで折りたたんだ台車も納まった。
空港までは、通常どおりに台車に荷物をセットした状態で移動して、空港内に入って、梱包のやり直しを行う。
時間を掛けていては、田沼達に何といわれるやら。そこで、最短で作業を完了させるための手順の確認と練習を行った。時間を計測すると・・・・5分では出来なかった。7分はかかる。
田沼達に頭を下げて頼むことに意を決した。
「二つほど、お願いがあります。一つは出国申請書を参考に拝見させて下さい。二つは、荷物の組み替えに5分少々、待っていて欲しいのです」
インド最終日の自由行動の日、田沼と松川は、一緒にチェンナイ見物に出たのか、まったくの別行動であったのか、私にはわからない。夕方の6時頃に、全員フロント集合と決められていた。
私が一足早くフロントに出た。使い切れなかった大きなトイレットペーパーを返した。
怪訝そうな顔をされた。返す客などいないのかもしれない。といって貰って帰るには邪魔だ。
フロントの写真を撮る事を了解してもらって写していると、もう一人、従業員が現れて、写していい、と肩を組んでポーズを取ってくれた。
それを写してモニターで見せると、次は私を写させろというのだった。嫌とも言えない。一人が写すと、他の者も私を写した。いつの間にか支配人らしき男も加わって、和気藹々の雰囲気になっていた。
そのあとで、田沼達が来たが、彼らにはそういう親しげな態度は見せなかった。事務的に支払いの手続きを進めるだけだった。
松川がクレジットカードで精算するという。それなら、私も一枚使っておきたい。万一、バンコク滞在中に、医療に掛かるときには、準備している数枚のクレジットカードのどれでも、使えるようにしておきたかった。
すると、松川が癇癪をおこした。「あんたの分は現金で支払うと言うていたのだ。 おい、こっちもクレジットカードだ!」
支払いも全て終わって、階段を下りて外へ出る私たちを、彼ら三人は手を振って見送ってくれた。振り返って手を振るのは私一人であった。
支配人は、さらに戸外にまで出て、私たちが見えなくなるまで見送ってくれた。
これは、日本式の見送り方だ。見送られる者も、一度は振り返るのが礼儀であるが、田沼達三人は、一度も後ろを振り向くことはなかった。
以上、趣味人へ http://smcb.jp/_ps01?post_id=6993000&oid=235598 小説 インドの旅 最後のホテル(3)
以上アメブロへ http://ameblo.jp/syosetu-123/entry-12173269871.html
これは、日本式の見送り方だ。見送られる者も、一度は振り返るのが礼儀であるが、田沼達三人は、一度も後ろを振り向くことはなかった。
http://smcb.jp/_ps01?post_id=6993000&oid=235598
よりつづき
バスを二回乗り継いだ?かも。1回目のバスターミナルで椅子に座って待っていた。田沼が行くぞ、と私に合図した。立ち上がると、手帳を落とした。それを田沼が知らせてくれた。
田沼に少し変化が見られた。険しさが和らいでいた。
ホテルを出る時に、予定した依頼を丁寧に言ったからであろうか?
それとも、まさかとは思うが、疲労していたのであろうか? あの頑健な体が疲労する?
それはないだろう。碌な食事も摂らないで、その上に足の火傷に晒されている私でも、疲労を乗り越えているのだから・・・・
チェンナイ空港で、松川が職員に尋ねていた。そして、
「インド人がインドを出るときは出国申請書が必要だけど、外国人がインドを出るときには、なにも必要ではないらしい。パスポートとeチケットがあればそのまま出られる」
難題が回避された。その後は、いつものように、荷物とボディーのチェック。
帽子も取らなければならない。腕時計も、ポケットに入れている物も、一つ残さず出すのだ。
検査ゲートを通過するときに、体に一つでも金属物が付いていると、警報が鳴る。バンドの止め金さえもダメなのだ。
ゲートを通過すると、別々に検査済みとなった自分の持ち物を、改めて着用しなければならない。
その時、機内持ち込み用のリュックが、どうしても私の元に来ないのだった。
目の前に見えているが、それを私へ送ってくれずに、停止させたままであった。
田沼が早くしろ、という。しかし、わたしは言葉が話せない。
「プリーズ、マイバゲッヂ」と、職員へ指差していうのだが・・・・
何度か無視された後で、ようやく私のリュックを引き寄せた。そして中を調べる。
トレッキングポールを一本、入れていたのだ。それが、怪しい?
「ディスイズ、ステッキ、トレッキングポール」と言うてはみたものの、係員は他の者と一緒に繁々と翳ざして見ていた。
先端に土突きのゴムを確認して、ようやく戻してくれた。X線では、尖った金属棒と見えたようだ。実際、ゴムを外すと、尖っている。
寸でのところで、没収されるところであった。
空港内に無事に入ることが出来ると、松川は時間までの間、ラウンジへ行く、と言って立ち去った。
「ラウンジ?休憩所があるのですか?」
表情のやや和らいでいる田沼に尋ねた。
「クレジットカードの付帯サービスだ。一般の者は物凄く高い」
「クレジットカードなら何種類も持っています。使えますか?」
再び田沼の顔に軽蔑の冷笑が浮かんだ。
「カードの格が違う。彼の持っているカードは年会費何万円も支払うゴールドだ」
一般乗客の待合所で、長い時間、田沼夫婦と待つことになった。
私の横に、日本人が座った。インドは初めてで、社用として来たので、普通のインドの町は見ていない、という。
私が、インドの印象を話した。
「物凄い混雑ですよ。そして、ビックリするのは、インドの町の樹木や草は、緑色をしていないのです」
「?」
「土色なんです。緑色ではなかった」
日本語で話の出来るのが嬉しかった。
「どうしてですか?」
「車の土埃が酷くて、その上に雨が降らないから、土埃が葉っぱにこびり付いているのですよ」
「道路で、ですか?」
「道路が完全に舗装はされていないようで、埃が物凄い。それをまともに吸い込むと、いやでも咳が出始めます。インド人に咳込みの酷い人を多く見ました。僕は、それをインド咳と呼んだのです。ご多分に漏れず、僕も、このように咳が出るようになりまして」
そして、私の横の田沼氏は、すでにインド旅行が3回目だと、紹介した。
田沼は私越しに、その会社員と話を始めた。
まず、仕事を聞く。その仕事の内容を聞き糾していた。
なるほど、こうして相手の社会的地位を確認して、それから有用だと判断すれば、仲間に引き込もうとするのだ。そして、自分は公務員を定年退職して・・・・云々と。
二人の間に挟まって、窮屈になった。トイレで座を離れたが、戻って見ると同じように、私の席は空けていた。
私が戻ると、田沼がトイレに立った。そのとき、件の男が「ウイットティッシュがあります。使いませんか?」と薦めた。
「後で使わせて頂きます」と田沼。
そのあと、驚くことが発生した。
以上、趣味人へ http://smcb.jp/_ps01?post_id=6993021&oid=235598 小説 インドの旅 インド脱出(1)
そのあと、驚くことが発生した。
http://smcb.jp/_ps01?post_id=6993021&oid=235598
より続き
トイレから戻った田沼は、「ティッシュ頂けますか?」と、男に言う。
男はリュックのポケットから厚さ10センチほどもある未開封のウェットテッシュを引き出すと、封を開いて田沼に渡した。田沼はそこから二、三枚取り出すと・・・・、
そのあと「これは頂いていいですか?」
問われた男は、不意を突かれたように、いいです、と一言。
うそだ~~、
一枚か二枚、貰えば、後は返す物であるはず。そんなティッシュでさえ、貰える物は貰ってしまおうとする田沼の神経に、私は驚愕した。
私に散々言っていた「普通人になれ、普通の常識を持った人間になれ」と、いうその常識とは、こんなものなのか?
貰っていいかと、欲しがられれば、咄嗟のことだ。ダメとは言えない。それを突いて貰ってしまうとは、これが田沼の言う常識なのか? 嘘だ。これは非常識だ!
ラウンジへ行った松川とは、それ以後一度も会っていない。搭乗は前後しても、座席は指定だから、あとで、彼ら三人が隣席できたのかもしれないが・・・・
私はせかず急がず、通路の珍しい装飾をカメラに納めつつ搭乗した。夜は風景は見えなくてもよい、と思って、通路側を指定していたが、残念であった。
機上からのチェンナイの夜景が見回せていた。それを撮せないのが惜しまれた。
飛行機は、行きも帰りも、全てタイ航空であった。スチュワーデスに、驚きの美人が居た。インド人では無い。タイ人であろう。ミス・タイであったのでは、と思えた。
日本では、ミス美人はすぐに芸能界へスカウトされるが、タイでは浮ついた芸能界よりも、スチュワーデスが好感されるのかもしれない。
きっと、そうだ。語学も必要だし、愛嬌も必要だし、きっと最高の職業に違いない。(その点、日本の芸能界で人気者になった奴らの非常識なこと。ある時、私は加藤登紀子を客に乗せて法然院へ向かった。そのとき「そこの店に寄るから止めて」と停車させて、勝手に右側のドアを開けて下車した。ドアはそのまま全開状態だった。私は降りてドアを閉めなければならなかった。付き人もいたが誰一人気にも止めない。もし走行車があれば接触事故になる。親のいない子供が長い手紙を書く、という事を歌にして人気を得ていた歌手だ。私は病床でその歌が流れる度に耳を塞いでいた。私を揶揄した歌だと思へた。その不愉快な歌手と会って、この横着な態度に、いよいよ芸能人への軽蔑を覚えたのであった) <アメブロでは「加藤登紀子」は投稿出来なかった。故に加○登○子とする>
美人スチュワーデスの姿を追いながら、機内食を待ったが、出そうにはなかった。フライトは30分遅れ。深夜もさらに更けていていたので、諦めていると、遅ればせながら運ばれた。
食事らしい食事は、機内食だけのインドの旅であった。私はまたしても呑まなければ損、とばかりに、赤ワインを二回お替わりした。
そして眠りに就いた頃、件の美人スチュワーデスに肩を揺さぶられた。
ベルトを着用するようにと・・・・・、座席を立てるようにと・・・・。
着いた? それは困った。熟睡しているところなのだ。ワインを三杯飲んで、眠剤まで呑んでいる。
起き出せそうにもなかったが、出ないわけにはいかない。
リュックを背負ってフラフラになりながら、美人スチュワーデスに笑顔で見送られて、タイのバンコク、スワンナプーム空港へ入ったのであった。
通路を通り終わると、目の前に長椅子があった。私はその長椅子に仰臥して仮眠した。 田沼達は、名古屋へ向かう便への乗り継ぎで、何処かへ立ち去っている。
とにかくインドを脱出出来た。いよいよ、私一人のバンコクである。ホテルは夜だし、すべては、空港内で一眠りしてからのこと。
以下、「インドの旅」最終章(バンコクにて1)へ続く
以上、趣味人へ http://smcb.jp/_ps01?post_id=6997743&oid=235598
以上、アメーバーへ http://ameblo.jp/syosetu-123/entry-12174258213.html




