第20話 隣にいる理由
放課後。
神代悠真が昇降口で靴を履き替えていると、背後から軽い足音が近づいてきた。
「お待たせ」
振り向くまでもない。
「ひよりか」
「うん」
栗原ひよりは、いつも通りの笑顔で隣に並んだ。
「今日、一緒に帰る約束してたよね」
「してたな」
「よかった。忘れられてたらどうしようかと思った」
「そこまでじゃない」
軽い会話。
だが、ここ数日のやり取りを経て、この“いつも通り”が少しだけ重みを持っている。
◇
校門を出て、並んで歩く。
夕方の空気は少し冷たくて、会話がなくても不自然ではない時間帯だった。
「ねえ」
ひよりが口を開く。
「今日さ」
「うん?」
「ちょっと寄り道していい?」
「どこに?」
「秘密」
「怪しいな」
「大丈夫だって」
笑う。
その笑顔は、どこか少しだけいつもより柔らかかった。
◇
連れていかれたのは、住宅街の少し外れにある小さな公園だった。
ブランコとベンチがあるだけの、特に何もない場所。
「ここ?」
「うん」
ひよりはベンチに座る。
「昔、よく来てたんだよね」
「そうだったか?」
「覚えてない?」
「……なんとなくは」
確かに、見覚えはある。
でも、細かい記憶は曖昧だった。
◇
「ここでさ」
ひよりは前を向いたまま言う。
「よく話してたんだよ」
「何を」
「くだらないこと」
少し笑う。
「学校のこととか、友達のこととか」
「今と変わらないな」
「そうだね」
そこで、一瞬だけ言葉が途切れる。
◇
「でもさ」
ひよりは、ゆっくり続ける。
「昔は、それでよかったんだよね」
「……?」
「ただ一緒にいて、話してるだけで」
その言葉に、悠真は少しだけ黙る。
◇
「今は違う?」
聞くと、ひよりは小さく頷いた。
「うん」
そして、横を見る。
「昨日、分かっちゃったから」
「何が」
「理由なんて、ちゃんと説明できないってこと」
沙夜の言葉。
そして、セレスティアの言葉。
全部、繋がっている。
◇
「正直ね」
ひよりは言う。
「ちょっと怖かった」
「怖い?」
「うん」
笑っているけど、目は少しだけ真面目だ。
「だってさ、“なんで好きか分かんない”って、ちょっと不安じゃない?」
「……まあ、分からなくもない」
「でしょ?」
ひよりは少しだけ肩を竦めた。
「ちゃんと理由があった方が安心できるじゃん」
「それはそうだな」
◇
「でも」
ひよりは続ける。
「それでもいいかなって思った」
その言葉は、昨日よりずっと静かだった。
「なんで」
「だって」
一拍置く。
「今こうやって隣にいる理由は、ちゃんとあるから」
◇
悠真は、言葉を返せなかった。
シンプルすぎて、誤魔化しが効かない。
「……理由って」
「うん」
ひよりは頷く。
「一緒にいたいから」
それだけだった。
それ以上でも、それ以下でもない。
◇
「……単純だな」
思わずそう言うと、ひよりは少しだけ笑った。
「単純でいいよ」
「そうか?」
「うん」
ベンチに座ったまま、少しだけ空を見上げる。
「だって、難しく考えても結局そこに戻るし」
それは、今日の中庭での話とも繋がる。
楽しいかどうか。
一緒にいたいかどうか。
◇
「ねえ、悠真くん」
「うん?」
「一つだけ、お願いしていい?」
「内容による」
「そんな大したことじゃないよ」
ひよりは笑う。
「ちゃんと見てほしい」
「……何を」
「私のこと」
まっすぐだった。
逃げ道のない言葉。
「見てるだろ」
「そうじゃなくて」
少しだけ首を振る。
「“他と同じじゃない形で”」
◇
その一言に、悠真は少しだけ息を止めた。
“同じように接している”。
それが問題だと、今日知ったばかりだ。
「……難しいな」
正直な感想だった。
「うん」
ひよりも否定しない。
「でも、それでいい」
「いいのか?」
「だって」
少しだけ笑う。
「簡単にできたら、意味ないでしょ」
◇
風が吹く。
ブランコが、きい、と小さく音を立てた。
「……なあ」
悠真が口を開く。
「ひより」
「ん?」
「俺、ちゃんとできると思うか?」
珍しく弱気な問いだった。
◇
ひよりは、少しだけ考える。
そして。
「分かんない」
そう答えた。
「おい」
「だって本当だもん」
笑う。
「でもね」
一歩だけ、距離を詰める。
「できるかどうかじゃなくて」
「……?」
「やろうとしてるかどうかの方が大事だと思う」
◇
その言葉は、凛の言葉にも似ていた。
見ること。
理解しようとすること。
全部、繋がっている。
◇
「……そっか」
悠真は小さく息を吐く。
難しい。
でも、逃げるよりはましだ。
「じゃあ、やるしかないな」
「うん」
ひよりは満足そうに頷いた。
◇
「それとね」
ひよりが続ける。
「もう一個」
「まだあるのか」
「大事なやつ」
少しだけ、真剣な顔になる。
「他の人とどうなるかは、分かんない」
ひよりは言う。
「でも」
一拍置く。
「私は、ちゃんと取りに行くから」
それは宣言だった。
静かで、でも確実な。
◇
悠真は、何も言えなかった。
言えないまま、隣に座っている。
それでも、ひよりは満足そうだった。
◇
帰り道。
二人で並んで歩く。
さっきより、少しだけ距離が近い。
けれど、不自然ではない。
「ねえ」
「うん?」
「今日のこと、忘れないでね」
「忘れないよ」
「ほんと?」
「多分な」
「多分なんだ」
ひよりは笑った。
その笑顔は、昨日までより少しだけ強かった。
◇
神代悠真は、初めて“個別に向き合う”という意味を少しだけ理解した。
そして。
それが思っていたよりもずっと重いことにも、気づき始めていた。




