第19話 見えてしまったものの重さ
放課後。
神代悠真は、一人で廊下を歩いていた。
昨日のことが、まだ頭に残っている。
喫茶店での会話。
中庭でのやり取り。
そして――義姉の言葉。
「……勝手に拍動する心臓、ね」
呟いてみる。
やっぱり、しっくりこない。
意味は分かるようで、分からない。
けれど。
あの場にいた四人は、あの言葉を“理解した顔”をしていた。
「……なんでだよ」
自分だけが置いていかれているような感覚。
それが、妙に引っかかる。
◇
「神代くん」
背後から声がした。
振り向くと、九条麗華が立っていた。
「……九条」
「少しよろしいかしら」
「またか」
「“また”ではありませんわ」
静かな否定。
だが、引く気はないのは分かる。
「……いいけど」
廊下の端、窓際へ移動する。
ここも、もう何度も使っている場所だ。
◇
「単刀直入に聞きますわ」
麗華はまっすぐに言う。
「あなた、自分の影響をどこまで理解していますの?」
また、同じ系統の話だった。
「……してないって言っただろ」
「ええ、聞きました」
頷く。
「ですが、それでは足りませんわ」
「足りないって言われても」
悠真は軽く息を吐く。
「自覚ないものを自覚しろって無理だろ」
「無理ではありません」
麗華は言い切った。
「少なくとも、“結果”は見えますもの」
「結果?」
「ええ」
一歩、距離を詰める。
「周囲がどうなっているか、ですわ」
◇
そのとき。
廊下の向こう側で、誰かが言い争っている声が聞こえた。
女子生徒二人。
見覚えはない。
だが、会話の内容ははっきりと聞こえた。
「だから違うって言ってるでしょ!」 「だって、あの人あんたのこと――」
言葉が途切れる。
そして。
「……神代くんって、優しいから」
一瞬、空気が止まる。
「え?」
思わず、悠真が声を漏らす。
麗華は何も言わない。
ただ、その方向を見ている。
「別に、特別じゃないし!」 「でも、あんたばっかり――」
そこで、声が小さくなる。
やがて、二人はその場を離れていった。
◇
静寂が戻る。
「……今の」
悠真が呟く。
「ええ」
麗華は頷いた。
「これが“結果”ですわ」
「……関係あるのか?」
「あります」
迷いなく言う。
「あなたが関わったかどうかは問題ではありません」
「じゃあ何が」
「あなたが“同じことをしている”という事実です」
昨日の言葉と繋がる。
◇
「……誰にでも同じ、か」
「ええ」
麗華は小さく息を吐いた。
「あなたは、特別なことをしているつもりはない」
「してないな」
「ですが、受け取る側はそうではありません」
それは、さっきの会話が証明していた。
「結果として」
麗華は続ける。
「関係の歪みが生まれる」
「……」
「あなたが何もしていなくても、ですわ」
◇
その言葉に、悠真は初めて言葉を失った。
今まで、なんとなく分かっていたこと。
だが。
こうして具体的に見せられると、重さが違う。
「……面倒だな」
ぽつりと漏れる。
「ええ」
麗華も否定しない。
「とても面倒ですわ」
◇
「でも」
そこで、麗華は少しだけ声を落とした。
「それでも、です」
視線がまっすぐ向く。
「あなたはやめないのでしょう?」
「……分からない」
正直な答えだった。
「やめた方がいいのかもしれないけど」
一拍置く。
「それって、多分俺じゃなくなる」
それが、一番しっくりきた。
◇
麗華は、ほんの少しだけ目を細めた。
「……そうですわね」
小さく頷く。
「だからこそ、厄介なのですわ」
◇
「ねえ、悠真」
別の声。
振り向くと、篠宮凛が立っていた。
どうやら最初から近くにいたらしい。
「……聞いてたのか」
「少しだけ」
少しだけ、の範囲ではない気がする。
「今の話、どう思った?」
「どうって……」
悠真は少しだけ考える。
「やっと分かった気がする」
「何が」
「俺が何もしてなくても、何か起きるってこと」
凛は、小さく頷いた。
「それが“影響”」
◇
「……でもさ」
悠真は続ける。
「それって、どうすればいいんだ?」
初めての、本気の問いだった。
「止めるのも違う気がするし」
「放置も違う」
凛が言う。
「じゃあどうする」
少しだけ間があく。
そして。
「見るしかない」
「見る?」
「自分が何してるか」
凛の言葉は、静かだった。
「無意識でも、結果は出る」
「……」
「だったら、その結果から逆算する」
それは、凛らしい答えだった。
◇
「……なるほど」
悠真は小さく息を吐く。
難しい。
でも、逃げるよりはましだ。
◇
「……少しは進みましたわね」
麗華が言う。
「そうか?」
「ええ」
小さく頷く。
「“見えていない”から“見ようとしている”に変わった」
それだけで、違う。
◇
そのとき。
「へえ」
軽い声が割り込んだ。
振り向くまでもない。
「……沙夜姉」
「いい感じじゃない」
壁に寄りかかるように立っている。
いつからいたのか分からない。
「聞いてたのかよ」
「最初から」
やっぱりか。
◇
「で?」
沙夜は腕を組む。
「少しは自覚した?」
「……ちょっとだけ」
「遅い」
即答だった。
「でもまあ」
一瞬だけ、視線が緩む。
「マシにはなったか」
◇
「アンタね」
沙夜はゆっくりと言う。
「“影響がある”って分かったなら、それで終わりじゃないのよ」
「……じゃあ何だよ」
「どう使うか」
短い言葉。
だが、重い。
◇
「使うって……」
「そう」
沙夜は頷く。
「アンタが無意識でやってること、全部“選択”に変わる」
その意味が、すぐには理解できない。
「……それ、余計面倒じゃないか」
「だから言ってるでしょ」
沙夜はため息をついた。
「面倒なのよ、アンタは」
◇
沈黙。
そして。
「……でも」
悠真は、ゆっくり口を開いた。
「見ないよりはいいか」
それが、今出せる答えだった。
◇
沙夜は、一瞬だけ黙った。
それから。
「……そうね」
ほんの少しだけ、声が柔らかくなる。
「その方が、壊しにくい」
誰にも聞こえないくらい小さな声だった。
◇
夕方の光が廊下に差し込む。
長く伸びた影が、三人分、そして一人分。
重なって、少しだけずれる。
完全には重ならない。
でも、完全に離れることもない。
◇
神代悠真は、初めて“自分の影響”を外から見た。
そして。
その重さを、少しだけ理解し始めていた。




