短編 神代沙夜は、壊れる前に線を引く
――また、増えてる。
校門の外から中を見た瞬間、神代沙夜はそう思った。
視線。
空気。
人の流れ。
全部が、あいつの周りに寄っている。
「……相変わらずね」
小さく吐き捨てる。
自覚がないくせに、勝手に人を引き寄せる。
厄介な性質だ。
昔から変わらない。
変わっていないのに――規模だけが大きくなっている。
◇
初めて気づいたのは、まだ家に来て間もない頃だった。
義理の弟になったばかりの少年は、やけに静かで、やけに周りを見ていた。
空気を読む。
先回りする。
余計なことを言わない。
それだけなら、ただの気の利く子供だ。
でも。
それだけじゃなかった。
気づけば、家の中の空気があいつ中心に回り始めていた。
父も。
母も。
知らないうちに、あいつに合わせている。
「……面倒な子、来たな」
最初の感想は、それだった。
◇
きっかけは些細なことだった。
母が、少しだけ疲れていた日。
何も言っていないのに、あいつは夕飯の準備を手伝った。
特別なことじゃない。
ただ、タイミングが正確すぎた。
“必要なときに、必要なことをする”。
それを、あいつは無意識でやる。
「……それ、続けるつもり?」
聞いたことがある。
あいつは、きょとんとした顔をした。
「何が?」
そこで、分かった。
――自覚がない。
だから、止めることもできない。
◇
「アンタさ」
当時の自分は、わざときつく言った。
「それ、やりすぎるとどうなるか分かってる?」
「……?」
「依存されるのよ」
あいつは、少しだけ考えてから答えた。
「別に、困らないけど」
その返事で、確信した。
――こいつ、危ない。
悪い意味じゃない。
でも、壊れる側じゃなくて、壊す側だ。
しかも、自覚なしで。
◇
それからは、距離を取った。
近づきすぎない。
甘やかさない。
評価もしない。
代わりに、線を引く。
「それ、余計」
「そこまでやる必要ない」
「やりすぎ」
全部、否定する言葉。
でも。
止めるためには、それしかなかった。
◇
ある日。
あいつが、少しだけ疲れた顔をしていた。
珍しかった。
「どうしたの」
「別に」
いつも通りの返事。
でも、分かる。
分かってしまう。
ああ、これは。
誰かの分まで背負った顔だ。
「……バカ」
小さく吐き捨てる。
本当は。
“やめなさい”って言いたかった。
でも、それを言ったら。
あいつはやめる。
やめてしまう。
それは、それで違う。
「勝手にやって、勝手に疲れてるだけでしょ」
だから、そう言った。
突き放す形で。
距離を保つ形で。
◇
その夜。
あいつは、少しだけ早く寝た。
珍しく、何もせずに。
その寝顔を見て。
「……本当に面倒」
小さく呟いた。
でも、手は伸ばさない。
触れない。
触れたら、多分――壊れるのは、あいつじゃない。
周りだ。
◇
今。
校門の内側で、あいつはまた誰かと話している。
笑っている。
自然に。
いつも通りに。
「……ほんと、変わらない」
ため息をつく。
そして、歩き出す。
止めるつもりはない。
止まらないのは分かっている。
だから。
せめて。
壊れない範囲に収めるだけだ。
◇
「アンタさ」
声をかける。
振り向く顔は、やっぱり無防備だ。
「……また来たのかよ」
第一声がそれ。
失礼なやつ。
「来るって言ったでしょ」
「本当に来るとは思わなかった」
「アンタの想定なんて当てにならないわよ」
軽く返してから。
周囲を見る。
ひとり。
ふたり。
……多い。
「……増えてるわね」
「何が」
「自覚ないの?」
呆れる。
でも、それがこいつだ。
「まあいいわ」
一歩、距離を詰める。
でも、触れない。
触れない距離で止まる。
「アンタ」
少しだけ声を落とす。
「ちゃんと見なさいよ」
「何を」
「自分の周り」
それだけ言って、顔を上げる。
視線が合う。
分かってない顔。
やっぱり分かってない。
「……本当に、面倒」
でも。
それでいい。
分かってしまったら、多分――
今のままではいられない。
◇
だから、線を引く。
近づかない。
甘やかさない。
否定する。
全部、計算。
全部、意図的。
全部――
「壊さないため」
誰にも聞こえない声で呟いて、背を向けた。
振り返らない。
振り返れば、多分。
少しだけ、手を伸ばしてしまうから。




