第二話 吾輩、お勉強の始まり。
俺……いや、吾輩がこの世界で目を覚ましてから早くも一週間が立った。
……この吾輩というのにも慣れていかねば。
一週間も立ったが、落馬して三日も目が覚めなかったので、大事をとって基本的にはベッドで過ごしていた。
貴族生活を早く堪能したかったのだが、動こうとするとセバスや他のメイドたちに部屋へ連れ戻されてしまったので好きに動けなかった。
今日も今日とて、医者に来診してもらい、健康状態についてチェックしてもらっているところだ。
聴診器をぺたぺたとした後、おじいちゃん先生は「うんうん」と頷き聴診器を外した。
「心臓の音も呼吸の音も異常ありません。食欲もあり、顔色も良いと……これなら、以前の日常生活を送ることに問題ないでしょう」
ただ……と、おじいちゃん先生は続ける。
「もう一度聞きます。ガナイオ坊っちゃま、落馬する前の記憶は?」
「……ありません」
「ご家族の思い出や、このお家で先生に初めて教えてもらった授業の記憶は?」
「それもない……」
首を横にふれば、おじいちゃん先生と横に控えていたセバスが、ふむ、と悩ましい顔になる。
「やはり、ガナイオ様は落馬より前の記憶が失われております。それに加え、今まで学んだことや常識といった知識の大半が失われています」
「そうか……」
記憶がないというよりは、田中吾郎としての俺が生まれ変わったから、ガナイオとしての記憶がないのは当たり前といえば当たり前だ。
しかし……記憶喪失はまだしも、この世界の常識も知らないとなると少々まずいな……。
どうやら吾輩・ガナイオは七歳のようなので、本格的な講義を始める前の段階だったのがまだ救いか……。
「ですが、このまま思い出すのを待つのも得策とはいえません。ということで、明日から以前の生活を送ってみましょう。それが記憶を思い出すきっかけになるかもしれません」
「おお……!」
と、いうわけで。
先生から普段通りの生活をして問題ないと診断され、ついにこのベッドでの生活を卒業することになった。
そう、つまり、ここからが本当の貴族の生活が始まるわけだ!
***
翌日。
「う……うまかった……」
吾輩は自分の部屋でソファにもたれかかり、恍惚としていた……。
なにがうまかったのか? それはもちろん、料理である。
朝は軽く済ませたのだが、昼は豪華な食事にしてくれたのだ。
ベッドで食べていたものは、基本的に病人用の療養食だったようで、
パンを牛乳で煮た粥や、薄い味のスープが多く出されていた。
うん、まあ……別に美味しくないわけではないんだけどね。
なんというかこう、貴族として生まれ変わったなら豪華な食事が出てくるもんだと期待しちゃっていたわけで……。
そんなことを考えていた矢先の食事の味といったら!
シェフたちは、吾輩の快気祝いだって腕によりをかけてごちそうを振る舞ってくれた!
プリプリの丸鶏のローストチキンや、濃厚なチーズがたっぷり使われたリゾット、香りの高い新鮮なハーブのドレッシングのサラダなどなど……。
それから! 最後に出てきたデザートのチェリーパイのなんたることやら……。
「チェリーパイ、うんまかったなあ……」
チェリーパイのことを思い出し、呟いてしまった。
チェリーパイを口にした瞬間、うますぎて持っていたフォークを落としそうになった程で……危うくマナー違反するところだった。
このデザートを作ったのは、最近雇ったポールという料理人らしい。
思わず、セバスにせがんでキッチンに立ち入らせてもらって、ポールに直接感想を伝えにいった程だった。
「どれもこれも美味かった……」
「それはよかったです。ガナイオ様にそう言っていただき、料理人一同喜んでおりましたよ」
セバスは食後のお茶を準備しながら教えてくれた。
「そうか? まあ、そう言われると感想を伝えるこちらとしても嬉しいが」
「ええ。ガナイオ様は覚えていないかもしれませんが……以前のガナイオ様も、料理人たちによく食事の感想を伝えておりましたよ」
「ふむ?」
ほお。このガナイオも感想を伝えていたのか。
(子どもとはいえ、貴族として下の者を気遣う気持ちは忘れていなかったのだな……我ながら感心感心)
そんなことを思いながら、セバスの淹れてくれた紅茶を口にする。
「……とはいえ、感想よりも肉料理を増やしてくれとの要望が多かったですが」
「ぶふっ」
思わず紅茶を噴き出してしまった。
(前言撤回、やっぱり子どもは子ども!)
ゲホゲホと咽せながら、これまたセバスが差し出してくれたハンカチで口周りを拭う。
「けほっ……そ、そうだ。セバス、今日の午後からは家庭教師の先生がいらっしゃるのだったな?」
「ええそうです。本日から家庭教師のレイラー先生がいらっしゃいます」
「ふうむ。そのレイラー先生とはどういう方なのだ?」
その瞬間、セバスの動きがピタリと止まった。
「レイラー先生は……そうですね……」
「んん?」
いつもキリリとしたセバスにしては珍しく、セバスは視線をうろうろとさせながら、言葉を選んでいるように見える。
「セバスが言い淀むなんて……なにか悪いことをした人間なのか?」
「いいえ、そうではございません。けして悪い方ではございません。ええと……」
セバスは何度か咳払いをして、佇まいを直す。
「レイラー先生は……とっても変わったお方でございます」
「……はあ」
そうして絞り出された答えがなんとも要領をえないもので、間の抜けた声が出てしまった。
──このあと。
セバスの言ったことが、その通りであったと知るのであった。
***
「……本当に記憶がないのですね」
「う、うんぬぬぬぬ……」
そして今。
吾輩は、大の大人の男に至近距離で顔を覗かれているのであった。
「レイラー先生、少しお顔が近すぎるかと……」
「おっと。これは失礼」
セバスが呼びかけてくれたおかげで、目の前の男……いや、レイラー先生が離れてくれた。
「いえ、すみません。ガナイオ君が落馬の事故から記憶喪失になったと事情は聞いておりましたが……」
レイラー先生がじっと吾輩の顔を見つめる……。
かと思ったら、突然「ぷっ」と噴き出した。
「てっきりガナイオ様が私の授業を受けたくないがために吐いた嘘かと思ってました!アッハッハ!」
「な、なにぃ……ッ!?」
あんまりな物言いに思わず腹を立ててしまう。
「失礼な! 記憶はありませんが、そんなこと吾輩が言うわけないだろう!」
「そうですよ、レイラー先生。前にも仮病で家庭教師を休まれたからといって、その言葉は看過できません」
「そうだそう……うん?」
セバスの言葉に思わず振り返る。
「……吾輩、前も似たようなことしたの?」
「ええ。病気にかかったと虚偽の報告をして家庭教師を一月休むと仰っていたことがありました」
「おのれ過去の吾輩……」
言われのない非難かと思ったら、全然身から出た錆だった。
「でしたら、改めて自己紹介をいたしましょう」
そういうと、レイラー先生は恭しく礼をした。
「私はレイラー・マニンスターと申します、ガナイオ様。普段は魔法塔で研究をしております」
「マホウトウ?」
聞いたことのない言葉に聞き返す。
「ええ。"魔法はなぜあるのか?"それをさまざまな側面から研究している場所でございます」
(マホウ、まほう……って、まさか、あの魔法!?)
「ま、魔法……!? この世界には、魔法があるのか!?」
ようやく魔法の意味を頭で理解できて、レイラー先生に聞き返すと、レイラー先生は目を丸くさせた。
「……そこからですか。どうやら、そういった基礎的な知識も失われてしまったようですね」
ふむ、とレイラー先生は顎に手をやり少し考える素振りをした後、ぱっとこちらをみた。
「それではガナイオ様、もう一度赤ちゃんからやり直しましょう!」
「……んんん゛?」
レイラー先生の言い方に、吾輩は首を傾げた。
***
勉強の部屋で、黒板の前にレイラー先生が立っている。
吾輩はもちろん、子ども用の机と椅子の上できちんとお利口にしてレイラー先生の授業を聞く姿勢を正していた。
「はあい、勉強する気満々で素晴らしいですね! では、まず魔法とは何か? これはもう見た方が早いですね」
そういってレイラー先生は手をかざす。
「見ていてくださいね? そうれ!」
そういった瞬間。
レイラー先生の手から、火が出てきた!
「うおおおお!!?? 火が出てきた!!!?」
「アッハッハ! 本当に赤ちゃんみたいな反応だ!」
レイラー先生に馬鹿にされたような気がしたが、そんなことを気にできないぐらい驚いた。
だって……火だぞ!?
あの、マジックや手品のようなものではない。
今、目の前でボウボウと僅かに音を立て、そして現に自分の顔がジリジリと火から熱を感じとっているのだ。
──人の手から、本物の火が出てきた。
この現象で、魔法が存在していることを心から信じた。
「はあい。これが魔法です。普通ならばありえない事象を起こしてしまうものです」
そういって先生が手を閉じると、火は即座に消え失せた。
「お、おお……!」
「ちなみに、こんなこともできます」
そういうと、レイラー先生が人差し指を立てる。
──そして突如、人差し指にバレーボールぐらいの大きさの水の玉が現れた。
「うおおおおおっ!! 水!!?」
「アッハッハ! これもいい反応!じゃあこのまま見ててくださいね〜」
人差し指の手はそのままに、もう片方の手の人差し指を立てる。
すると、バレーボールのような大きさの、白い渦が現れた。
「これは風の魔法の塊です。これをこっちの水の魔法の塊と合わせると〜?」
ゆっくりゆっくり、レイラー先生が指を指を合わせる。
すると、二つの球がパキパキと音を立てて白くなってゆく!
「こ、凍っ……いやっ、雪ッ!?」
「はあい。というわけでね、さっき見せたものが火の魔法、それから風の魔法と水の魔法を合わせた今のが、複合魔法の雪魔法と呼ばれるものです。このように、魔法にはいろいろな種類があります。これを属性といいますよ」
「おおお……!!」
さっきから感心しきりで、歓声しか上げていない。
だが、仕方ない。本当にすごいのだ、本当に目の前で、昔子どもの時に憧れていた魔法が使われているのだ。
「せ、先生!他にはどんな魔法があるのだ!?」
興奮しながら先生に聞けば、先生はにっこりと嬉しそうに笑った。
「いい質問です。それじゃあ今日は、どんな魔法があるか学んでいきましょうね」
「はい!」
「いいお返事ですね〜」
(なんだガナイオ、授業は仮病なんて使わなくて良い、楽しいものではないか! それにレイラー先生も面白い!)
そうして、吾輩はニコニコと上機嫌で机に向き合う。
「ちなみに、今みたいな魔法を見せて魔法の存在に気づかせるのは赤ちゃんの時にやるものです。ですので今のガナイオ君は実質赤ちゃんと同じです」
「うぬっ……」
前言撤回。
やっぱりコイツ失礼な奴!
***
「はあい。というわけで。風・水・土・火の魔法は第一魔法、あるいは四大魔法と言われます。この魔法はこの世界を作った女神様が最初に作った魔法で、あらゆるモノ・コトのすべての源と言われています」
「ふむふむ……」
頭に叩き込みながらレイラー先生の話を聞く。
「それで、第一があれば第二があるものでしてね。第二魔法はさっき風と水の魔法をくっつけた時に見せた雪魔法ありましたよね? あのように、異なる魔法の属性を合わせることで、また違った種類の魔法が生まれるのです。これを複合魔法と呼びますよ」
「ふむふむ」
これもわかりやすい。
魔法と魔法を掛け合わせた、複合させたから複合魔法なのだな。
「それと、人によって使える魔法の属性が異なります。これを適性といいます。例えば火の魔法しか特性がなければ火の魔法しか使えないです。ですが、この適性が複数持って入れば複合魔法にも適性があるので使えます。あ、ちなみに、複合魔法にしか適性がない人も稀にいます。例えば、さっき見せた雪魔法にしか適性がない人は雪魔法しか使えず、そして複合魔法の元の属性である水・風魔法は適性がない、ということです」
「ほうほう……」
む、ここはちょっと難しい。
適性を持つ属性の魔法しか使えないのはわかった。そして、属性が複数あれば、その属性を掛け合わせた複合魔法にも適性がある。
しかし、複合魔法が適性の場合、その元となる第一魔法が使えるわけではない……。
……ふむ? 複合魔法は属性と属性の掛け合わせなのに、その元の属性が使えないだなんて……。
「先生質問です! 複合魔法の属性が適性の人が、なぜ複合属性の元の属性が使えないのですか!矛盾していませんか!」
「その通り! この現象は矛盾しています! そして理由はいまだ解明できておらず魔法塔で研究が続けられています!」
「エエッ!?」
気軽に聞いたらこの世の謎の一つだったらしい。
まあ……魔法っていう不思議な事象があるんだから、わかっていないこともあるか。
じゃあまあ、それはそういうものだと置いといて……。
……む?
「レイラー先生よ、さっき適性を持つ属性の魔法しか使えないって仰ってましたな?」
「はあい。そうですよ」
「では、先生の適性の属性は……?」
たしかさっき、火・水・風の魔法を使っていたから三つ属性があるのか?
そう尋ねれば、レイラー先生はふふんと鼻を鳴らす。
「私は第一魔法全て使える全属性持ちです。第一魔法が全て使えるので、複合魔法も全て使えますよ」
「ぜ……全属性!!? は、はわ……っ!」
思わず口を覆ってしまった。
(どのぐらいすごいのかわからないが、魔法が全て使えるだなんてすごいんだろうな……)
「先生! ちなみに、それはどれぐらいすごいのだ!?」
「うーんそうですね……私と同じ全属性持ちがおそらくこの世にいないってことと、次に全属性持ちが生まれるのは百年先って言われているぐらいすごいですよ」
「ひゃっ……」
思わず言葉を失ってしまった。
「……もしかして、吾輩ってすごい人に家庭教師になってもらってマス……?」
「アッハッハッハ! そうですよー、私って結構すごいんですよ!」
レイラー先生はあっけらかんと笑うが、吾輩はただただ恐ろしかった。
想像していたより遥かにすごい人……確率でいえば、王様だとか大統領に勉強を教わっている感覚になってきた。
「ですがね、ガナイオ君。私よりももっとすごい人がいるんですよ」
「へっ、先生よりも!? どんな人です」
レイラー先生に聞けば、先生はぴっと人差し指を立てて。
「それはね、君ですよ。ガナイオ君」
────そして先生は、吾輩を指差した。
「……えっ?」
……吾輩、すごいの?




