第一話 吾輩、転生する。
第一話 吾輩、転生する。
「んお……いでで……」
ガンガンとした頭の痛みで目が覚めてしまった。
(ううう、昨日飲みすぎたっけなあ……最悪の起床だ……。)
「飲みすぎたか?イテテ……はっ、今何時だ!会社……遅刻か!?」
ガバッと布団を剥ぎ、壁の時計を見ようとした……その時。
「坊ちゃま!」
「ひょっ!?」
自分の寝ていた部屋の扉を、突然誰かが荒々しく入ってきて俺はすっとんきょうな声を上げてしまった。
「坊ちゃま、お目覚めになりましたか!」
すると、そこにはロマンスグレーのダンディな執事服を着た男が、心配そうな顔でこちらを見ていた。
(な、なんだこの……これが会社の女子社員たちが言ってたイケおじってやつか……?)
「すぐにお医者様を呼んで参ります、少々お待ちください」
「ぼ、ぼっちゃま……? い、医者って……あ、ちょっと!」
俺が聞く前にロマンスグレーのイケおじの男は頭を下げると、部屋を出て行った。
「行ってしまった……いや、ここは一体……?」
キョロキョロと部屋を見渡してみると……。
「こ、こんな豪華な部屋にいつの間に……!?」
そもそも寝ていたベッドからしていて俺がもともと寝ていたシングルベッドの何倍も大きく……そして天井にはシャンデリアがぶら下がっているし、絨毯だってもっふもふの豪華な部屋であった。
ふとみると、部屋の端に鏡が飾ってあった。
鏡を見ると、そこは、そこには…………。
「な……なにィ〜〜〜〜〜!!!??」
薄らハゲ小太りのさえない中年オヤジの俺……田中吾郎ではなく、フサツヤで豊かな金髪の……少々生意気そうな顔をした、小太りの子どもが立っていた。
***
俺は、田中吾郎。さえない窓際族サラリーマンのおっさん……だった。
ん? なぜ俺が窓際族だったのかって?
ふっ……あれは聞くも涙、語るも涙の出来事……。
上司の横領を発見して上層部に報告しようとしたら濡れ衣を着せられ、俺が横領していたことにされて左遷となった……ッッッ!!!
いや、結局左遷された後に真犯人は上司であることが発覚し、無事に俺の汚名は晴れた。
それでも上層部の印象が悪いままだったので左遷は取り消されなかったし、左遷先で腫れ物扱いの俺は窓際族に……。
うっ、うううっ、思い出すといまだに涙が出る……。
まあ、腫れ物扱いしてくれて、窓際族の社内ニートとして会社に寄生していたのも事実だが……。
……コホン。そんな話は置いといて。
そんな俺はある日のこと、サボり……げふん、外回りの営業の合間に年のいったマスターがやっている古めかしいカフェで絶品のメロンソーダを嗜んでいた。
しかし、突如キッチンの方からボヤが起きたのだ。
ボヤに気づいたときには煙が店内に回っており……客は先に避難できたのだが、足の悪いマスターは避難が遅れてしまっていた。
『マスター! 早く逃げるぞ!』
『吾郎ちゃん……もういいよ、俺はいいから、早く逃げろ……』
『バカ言うなッ!!! 』
俺はマスターを担ぎ、自分のハンカチをマスターの口に当てがい、なんとか店の外に出た……。
外に待機していた消防員にマスターを引き渡し、そこで俺は気を失い……おそらく、そこで俺は息絶えたのだと思う。
──そうして今に至る。
***
「それでは、私はこれで失礼いたします」
白衣を纏った、お医者さんが部屋から出て行った。
「坊ちゃま、こちら白湯でございます」
「あ、ありがとう……」
「本当ならばお茶を淹れてさしあげたいのですが、目覚めたばかりのお体に障るといけないので。申し訳ありません」
そういって、イケおじ執事……いや、セバスというらしい。
セバスは申し訳なさそうに笑った。
(それにしても……)
キョロキョロと部屋を見渡す。
やはり、部屋の中は豪華絢爛であった。
よ〜く見ると、シャンデリアのガラスには装飾が施されていたり、豪奢な花が生けられている花瓶一つを見ても高そうなシロモノだ。
(……こ、これは、いわゆるイージーモード人生の始まりなのでは!?)
もし本当に貴族に生まれ変わったのなら……。
豪華絢爛な屋敷に、豪華な食事。
そして両親が好きなものを好きなだけ買ってくれたりして甘やかしてくれて、執事やメイドが身の回りの世話をしてくれて、可愛いお貴族様のお嬢さんと結婚できたり……!?
(あれだろ、領主の仕事ってなんか……適当に部下に指示して、自分は仕事しなくていいんだろう? 前の窓際族より楽じゃないか……! ならほとんど仕事をしなくていいのでは!?)
そんな薔薇色の人生を脳内で思い描き、白湯を飲みながら密かにむふふっ、とほくそ笑んでいると……。
「……それで坊ちゃま、まだ記憶は戻りそうにありませんか?」
「ん!? は、はい……」
妄想から現実に戻る。
どうやら俺……いや、この身体の持ち主である、ガナイオという子どもは、このセバス曰く乗馬の練習中に馬が暴れて落馬し、頭をケガして三日も寝込んでいたようなのだ。
それに対して先ほど医者から「覚えていないのか?」と聞かれたので、俺は「今までの記憶がない」と医者とセバスに告げた。
……いや、厳密に言うと、記憶がないというのは正しくないのだが……。
しかし、生まれ変わりだの転生だの、そんな事情を説明するのが面倒くさいのでとりあえず記憶がないということにしておいた。
「それでだな、セバスさん。さっきは先生がいたから聞けなかったが、"俺"のことについて教えてくれないか?」
「……畏まりました。それでは、改めて」
セバスはこほんと軽く咳払いすると、ぴしりと佇まいを直した。
「あなた様はマドギーワ侯爵家の御長男、マドギーワ・シ・ガナイオ三世様でございます」
「マドギーワ家……変わった名前だな」
「そうでしょうか?」
不思議と親近感を覚える家名だ。
それにしても、侯爵ってどのぐらい偉いんだろう? 高校の時、世界史を勉強していないからわからん……。
「ちなみに……俺は、自分のことをなんと呼んでいたんですか? 僕? 私?」
「坊ちゃんは常にご自身のことを吾輩と呼んでいらっしゃいましたよ」
「わ、吾輩!? そんな貴族みたいな!?」
「坊ちゃんは貴族ですよ」
そ、そうだった……俺って貴族に生まれ変わったんだった……。
変な一人称だったが、貴族だと意外と普通の呼び方なのか……?
「ち、ちなみにセバスさん……」
「坊ちゃま。どうか、セバスでお願いいたします。私ども執事、メイドには敬称も敬語も使わないで下さいませ」
「は……う、うむ。では、セバス。セバスも、その坊ちゃんと呼ぶのを止めてもらいたいんだが……」
「ほ、それは……理由を聞いてもよろしいでしょうか?」
「ううむ、なんというかしっくりこないというか……」
坊ちゃんだなんて呼ばれたことがなく、なんだか呼ばれるたびにむずがゆくなる……。
「では、ガナイオ様。もうすぐ旦那様……いえ、貴方様のお父上がいらっしゃいます」
「父上が?」
「ええ、貴方様のお父上、グルイオ侯爵様です。先ほどガナイオ様のお目覚めをお伝えしたところ、旦那様は仕事を切り上げて飛んできていらっしゃるとのことです」
「おおそうなのか。まあ、流石に子どもが目覚めたら父親は飛んでくるか」
そういうと、セバスは困ったように眉を下げてしまった。
おおそうか、記憶がないとはいえ、子どもがこんな他人事のように言っていたら父親はガッカリしてしまうか……。
「ううむ。セバス、その侯爵様はどんな方なので?」
「どんな方……と……失礼。ガナイオ様は旦那様のお記憶も……?」
「ああ。記憶にない。だが、記憶がないとはいえ父親に対して失礼な物言いをしないよう、侯爵様がどんな人なのかを教えてくれ!」
そういうと。
セバスは一瞬、口をぎゅっとつぐんだ後、急にニッコリと笑みを浮かべた。
「ガナイオ様は、実に家族思いの立派な領主様でございます。それと、ご子息であるガナイオ様が家族とはいえ、気を遣われるのを良しとしない方でいらっしゃいます。なので、ありのままのガナイオ様の姿でいらっしゃってください」
「お、おお……そういうものか? いや、そういうのなら、うむ、そうしよう」
「ええ。それと……ガナイオ様は旦那様のことを父上と呼んでいらっしゃいました。できれば、そう呼んでください」
「おおそうか! 父上と呼んでいたのならそう呼ばねばな。うむ、ありがとう!」
そう話していると、突然扉がコンコンと叩かれる。
「旦那様が来られました」
外にいたメイドが扉越しに話す。
「お通ししてください」
セバスがそう返すと、キイ、と扉が開かれた。
そこに立っていたのは……。
「起きたか」
(こっ……コエエエエエエ!!!)
そこにいたのは、四十路ぐらいに見える、背の高い男……。
そして、渓谷ぐらい刻まれた眉間の皺、鋭いなんてもんじゃない、目線で人を殺せるような恐ろしい顔をした男が立っていた。
(怖っ!! えっ、この男が父親なの!? ヤーさんとかじゃなくて!!?エッ!!?)
心の中でとんでもなく失礼なことを捲し立てるが、なんとか堪えてスマイルを顔に貼り付けて手を上げる。
「え、えっと、ご、ご機嫌麗しゅう父上!」
なんとか笑顔で挨拶をすると、ツカツカツカと早足で父親が近づいてきた。
「記憶がない、と聞いたが」
「ヒッ、は、はいそうです!」
思わず悲鳴が漏れてしまったが、なんとか笑顔はキープする。
父親……グルイオ侯爵を改めて見る。
……なんか、怖すぎて背後に黒いオーラが見える気がする、幻覚かな……。
(前世で上司になすりつけられた横領について詰めてきた、役員たちの比じゃないくらい怖え……)
そんなことを思い出しているが、相変わらずグルイオ侯爵、いや、父上は黙ってこちらを見つめ続ける。
「え、えと、ご安心を! 俺……あ、いや、吾輩はすぐに勘を取り戻し、またいつもの吾輩に戻ります、ええ!」
沈黙に耐え切れず、なんとか会話を試みる。
「……そうか」
それだけいうと、グルイオ……いや、父上はこちらに背中を向ける。
「セバス」
「はっ」
「ガナイオが調子を戻すまで、世話を頼む」
「お任せください」
それだけいうと、またツカツカツカと父上は部屋を出て行った。
外に控えていたメイドが扉を閉めた瞬間、緊張の糸が解けてベッドに倒れ込む。
(ふうううう……こ、怖かった……)
しばらく放心していたが、がばっとセバスの方を見る。
「セバス、セバス! アレが家族思いの父上なのか!? どっかから鬼がやって来たとはでなく?!」
「ええ、間違いなくガナイオ様のお父上ですとも。あんなに家族思いの方はいませんよ」
セバスがフォローをするが、にわかには信じられん……。
「……確かに、旦那様は母上が亡くなってから、厳しい顔をするようになってしまいました」
「へっ、お、俺って母親がいないのか?」
「……数年前、病により亡くなられました。それから、旦那様はガナイオ様を次期当主にするため、そして良い領地にするために各地に足を運び、領主として苦心なさっております」
「そ、そんな……」
貴族に生まれ変わったのなら、豪華絢爛な屋敷に、豪華な食事。
両親が甘やかしてくれて、仕事もしなくてよくて、可愛い貴族のお嬢さんと結婚できて、薔薇色の人生が始まると思っていたのだが……。
(……こ、これ、全然人生イージーモードではないのでは……?)
これが俺の……いや、吾輩の貴族人生の始まりであった。




