第九話:嵐の前は、街視察
帝国査察団が帝都を出立したという最悪の知らせから、早くも数日が経過していた。
猶予はあと一ヶ月もない。
「坊ちゃま……いや……ライン辺境伯閣下! 本日はお忙しい中、我が領都レムの巡視に赴いていただき、このギルバート、感激の極みにございます!」
俺の斜め後ろで、涙ぐみながら深く頭を下げているのは、オルティジア領に先先代から仕える生き字引――内政官のギルバートだ。
白髪混じりの髭を綺麗に整えた、いかにも「お堅いベテラン官僚」といった風貌の老人である。
ギルバートは、俺が帝国へ人質に出されるまでの間、傅役を務めてくれていた人物だった。
そんな彼は、俺が査察を前に自ら街の防衛線を検分しに来たと勘違いして勝手に感動しているわけだが……。
(……いや、違うんだ爺……。執務室にいると、アルテが連れてきた魔導兵がカチカチうるさいし、あいつらを隠蔽するいい考えが浮かばなくて現実逃避で散歩したかっただけなんだ……)
そんな俺のクソ情けない本音など露知らず、隣を歩く補佐官のアルテも、いつものクールな表情のまま「ヘタレのくせにやる事はやるのね」と言いたげな視線を送ってくる。
……気まずい。
しかし、高台から見下ろした領都レムの光景は、そんな俺の憂鬱をほんの一瞬だけ忘れさせてくれるほどに美しかった。
眼前に広がるのは、青い空に、どこまでも澄み渡った紺碧の湖。
その穏やかな水面に映えるように、気品ある白壁の建物と、鮮やかなオレンジ色の屋根がどこまでも連なっている。
湖上を吹き抜ける心地よい風に、我がオルティジア家の旗がパタパタと誇らしげに揺れていた。
南西部に位置する港には、無数の巨大な帆船がひしめき合い、ひっきりなしに荷物が運び込まれている。遠目からでも、湖上貿易で栄えるこの街の活気が伝わってきた。
(めちゃくちゃ綺麗でいい街じゃん……。のんびり生活を送るには最高のロケーションなんだけどなあ、本当に……)
のほほんとそんな現実逃避を極めていた俺だが、視線を陸側へと移した瞬間、現実に引き戻されて顔が引きつった。
街の周囲をぐるりと囲む、巨大な三重の防壁。そして、底が見えないほど深く掘られた堀。
「ライン様、ご覧くだされ! この三重の防壁と堀こそ、我がレムが湖上の城塞都市と言われる由縁! いかなる敵国の軍勢とて、この壁を破ることは適いますまい!」
ギルバートが胸を張って誇らしげに語る。
(なるほどな……。魔導兵の光の矢ならともかくとして、並の軍隊ではここを突破するのは難しいだろう。だが、もし本国に魔導兵の存在がバレて、あの巨大な帝国と本気で戦うことになってしまったら……。有事に備えて、もっと地下深くに引きこもれる頑丈なシェルターを作るべきか……?)
俺が本気で「引きこもり計画」を模索し、深刻な顔で防壁を睨みつけていると、ギルバートがゴクリと息を呑んだ。
「な、なんと……。この鉄壁の城塞を前にして、なお『これではぬるい』と仰るような、冷徹極まるその眼差し……! 新米領主と侮って、レムの防衛に甘さがあった我が身が恥ずかしい! 常なる危機管理意識、恐れ入ります!」
「え? いや、そこまでは言って――」
「じゃあライン、次は海側の防衛システムね。」
弁明する間もなく、アルテに促されて軍用の小港へと移動する。
レムの港は、活気ある商用の大港と、厳重に管理された軍用の小港に完全に分かれていた。
湖側を見渡すと、湾を遮るように大小の島々が点在しており、それらが吊り橋で一本に繋がれている。島々には巨大な灯台と、巨大な矢を放つバリスタの固定砲台がずらりと並んでいた。
「ライン, あそこを見て。あそこがレムの生命線よ」
アルテが湾の入り口を指差す。
「湾の入り口の海中には、特製の『魔力の鎖』が沈められているの。非常時にはあの鎖が引き揚げられて湾を完全封鎖するわ。過去、数々の敵船を退けてきた最強の迎撃システムよ」
「うむ! この魔力の鎖がある限り、海からの侵入は不可能ですな!」
ギルバートも鼻を高くする。
確かに、これ以上ないほど完璧な防衛線だ。普通なら安心するところだろう。
魔力の鎖、ねえ……。今まで外敵を排除してきたんだ。この防衛システムは完璧んだろう。)
しかし問題は、あの地下遺跡が『この街の真下』に広がってるってことなんだよ。
魔導兵どもが毎日出すあの赤黒い排熱は、地下に溜めとくわけにいかず、どこかの通気口から外に逃がさなければならない。
しかし、街の中に逃がすことはできないし、かといって地下水路で繋がるこの湾の中に逃がしたら……熱気で鎖の魔力伝導がバグるか、最悪の場合、鎖に伝導した熱気で湾全体の海水が沸騰して、湾の魚が全部煮魚になってしまうんじゃあ……。
この領の基幹産業の漁業もろとも、レムの街が自滅するぞこれ……!?)
排熱システムのヤバさに、俺は別の意味でダラダラと冷や汗を流し、青ざめた顔で湖面を見つめた。
その、国家の滅亡を憂う覇王のような横顔(※ただの排熱経路と魚の心配)を見て、アルテが真紅の瞳を静かに揺らす。
「……ライン。貴方はすでに、この完璧な防衛線の『その先』にあるリスクを見抜いているのね。この街の美しさと活気を、何としても守るために……」
「いや、だから本当にそこまでは考えて――」
「若き領主様がこれほどまでに我が領を愛し、真剣に防衛を考えておられるとは! おお、先々代様、先代様、オルティジア領の未来は明るうございますぞ!」
ギルバートが完全に涙腺を崩壊させ、激しくメモを取りながらガッツポーズを決めている。
街の全貌と、素晴らしい防衛システムを知れば知るほど、俺の心境は憂鬱なものになっていった。
(こんなに綺麗で活気のある街なんだ。余計なトラブルを起こして失うわけにはいかない。とにかく、今はあの地下の謎の古代兵器を完璧に隠し通して、帝国の査察団を何事もなく無難にやり過ごす方法を考えなきゃ……)
見上げる青空が、今の俺にはひどく眩しすぎた。
この美しい街を守るための帝国査察の日まで――
あと、二十一日!




