第十話:救世主は、妖しく囁く
帝国査察団の到着まで、残り一週間。
――そんな絶望的なカウントダウンの最中、領都レムの俺の執務室では、オルティジア領の重鎮たちを集めた極秘の「隠蔽工作作戦会議」が開かれていた。
地下遺跡に眠る、一千五百体もの国家転覆レベルの魔力を誇る古代魔導兵。
これをどうにかして査察団の目から隠さなければ、俺の首と胴体が永遠にお別れすることになるかもしれない。
しかし良い隠蔽案は浮かばず、作業は遅々として進まない。俺は机に突っ伏してハゲそうなほどの焦りを隠せずにいた。
「ライン様、ご安心くだされ! このギルバート、寝る間を惜しんで完璧なカモフラージュ案を作成いたしましたぞ!」
最初に自信満々に挙手したのは、俺の傅役にして領内の生き字引、ギルバートだ。彼は分厚い書類を掲げて胸を張る。
「書類上、あの地下空間を『領民のための巨大な芋の貯蔵庫』として帝国に申請するのです! 査察団とて、ただの芋置き場をわざわざ隅々まで検分することはありますまい!」
フォッフォッフォッと蓄えた髭を撫でながら、この領の生き字引は語る。
(……いや、無理があるだろギルバート。一千五百体の、ギラギラした鉄の巨兵を『これは新種の芋です』と言い張るつもりか? どんな魔改造された芋だよ。引き抜こうとしたら目からビームが出る芋なんて……)
俺が心の中で激しいツッコミを入れていると、今度はガシャガシャと甲冑を鳴らして、騎士団長のレオンが前に出た。
「閣下、ギルバート殿の案はあまりに小細工が過ぎます! 男ならば、ここは真っ正面から誠意を見せるべきかと!」
「誠意……? 具体的にはどうするんだ、レオン」
「はい! 査察団が到着した瞬間、我ら騎士団、そして閣下もご一緒に、地面が割れんばかりの『土下座』を披露するのです! 人間、本気で謝れば大抵のことは許してくれます! 誠意です!」
(許してくれるわけねえだろ脳筋!! 相手はあの冷酷非道な帝国軍だぞ!? 『ちょっと手違いで国家転覆級の兵器隠し持ってました、ごめんなさい!』で済んだら苦労しねえわ! むしろ土下座の姿勢のまま首をハネられて終わりだよ!)
あまりのポンコツ案の連続に頭痛がしてきた俺の前に、最後に現れたのは、浅黒い肌に豪快な髭を蓄えた海軍提督のドレイクだった。
「ガハハ! お前ら揃いも揃って肝が小せぇな! ライン閣下! 俺の案なら一発だ! いっそ魔導兵どもを全部レムの軍用港の海底に沈めちまうのさ! その上からでっけえ漁網でも被せておけば、上からは何も見えやしねえ!」
(お前が一番ダメだドレイク!! 忘れたのか、あのバケモノどもは一日に一回、凄まじい『赤黒い排熱』を吐き出すんだぞ!? そんなもん海(湖)底に沈めてみろ、熱気で海水が沸騰して、港中の魚が全部煮魚になってぷかぷか浮いてくるわ! 隠蔽するどころか、超目立つ大惨事になるだろ!!)
「……全員、却下だ。頼む……ちょっと1人にしてくれ……」
俺は完全に疲れ果て、こめかみを押さえた。
領内の優秀な部下たちを集めたはずなのに、出てくる案が「芋」「土下座」「煮魚」ってどういうことだ。
無理ゲーにもほどがある。
その時だった。
バァン!! と、執務室の重厚な扉が勢いよく開け放たれた。
「ライン、大変よ……っ!!」
◇
飛び込んできたのは、息を切らせた補佐官のアルテだった。普段は冷静沈着な彼女が、見たこともないほど血相を変えている。その真紅の瞳にあるのは、明らかな動揺だった。
「今、帝国から魔道書簡が届いたの。……査察団の旅程が大幅に早まり、予定を変更して、**『三日後』**にはこのレムの街に到着するわ!」
「――は?」
三日後。
あと、たったの、三日。
俺の中で、ガラガラと何かが完全に折れる音がした。
「……ああ、そっか。三日後かぁ……」
もうだめだ。諦めよう。
人間、本当に限界を超えると、驚くほど心が穏やかになるらしい。
「ライン!? ちょっと、しっかりして!」
アルテが俺の肩を掴んで揺さぶるが、俺の意識はすでにここにはなかった。
白目を剥き、よだれを一筋垂らしながら、俺の魂は遠く離れた帝都の景色へと飛んでいく。
(もういっそ……帝国にこの領地を全部返納して、楽になろう……。爵位なんていらないから、平民になってどっかの農村でひっそり暮らそう……。ああ、人質時代に見た、帝都を流れるレイヴ川の流れは綺麗だったなぁ……。俺もあの川の水になって、何も考えずにどんぶらこって流されたいなぁ……)
「閣下が現実逃避の向こう側へ行かれてしまったァー!?」
「ライン様! 坊ちゃま! 起きてくだされーー! ほれ、坊ちゃまの大好きな芋ですぞ! 芋を食べて元気を出してくだされ!!」
レオンとギルバートが騒いでいるが、何も耳に入らない。俺の人生、ここで完全に詰んだ。
バイバイ、マイライフ……。
◇
「――あらあら。随分と賑やかね、皆様?」
その時、執務室のパニックを切り裂くように、ひどく場違いな、艶っぽい声が響いた。
同時に、部屋の中にふわりと、大人の女性が纏う甘く妖艶な香水の香りが広がる。
(この匂いは……)
魂が抜けかけていた俺がゆっくりと視線を向けると、そこに立っていたのは、見事なプロポーションを高級な絹のドレスに包んだ美女――シャルロッテ商会の会長、シャルロッテだった。
「シャ、シャルロッテ……? なんでここに……」
俺が虚ろな声で呟くと、シャルロッテはクスクスと上品に笑いながら、優雅な足取りで俺の机へと近づいてきた。
「可愛い坊やが白目を剥いているって聞いたから、様子を見にきてあげたのよ。……お困りのようね、ライン様?」
「困るどころの騒ぎじゃないわ、シャルロッテ。あと三日で帝国が来るのよ!? 地下のあれを隠す場所なんて、もう――」
焦るアルテを、シャルロッテは人差し指を唇に当てて制した。そして、妖しく目を細める。
「それなら、うちの商会が所有している『プライベートな島』を貸してあげましょうか?」
「……え?」
俺の死んだ魚のような目に、わずかに光が戻る。
「レムの沖合にある、商会が丸ごと買い取った隠し島よ。帝国の査察団といえど、民間の、それも我がシャルロッテ商会の私有地に令状なしで立ち入ることは絶対にできないわ。あそこなら、一千五百体の『可愛いお人形さんたち』をどれだけ並べても、絶対に見つからないわよ?」
隠し島。商会の私有地。帝国の目が届かない聖域。
(……救世主、きたあああああああああ!!!)
俺は心の中で全力のガッツポーズをキメた。
それだ。民間企業の私有地なら、いくら傲慢な帝国査察団でも国際法や商法の手前、強引にガサ入れすることはできない。しかも島なら、あの厄介な排熱を海に向けて逃がしても、本島の魚が煮魚になる心配もない!
「シャルロッテ……! ありがとう、助かった……!!」
俺は飛び起き、彼女の手を握りしめたい衝動を抑えて深く息を吐き出した。
速攻でアルテと部下たちに指示を出し、魔導兵たちを極秘裏にその島へとピストン輸送させる。三日三晩、寝る間を惜しんだ大移動の末……査察団が街の門を叩く数時間前、どうにか地下遺跡を完璧に「もぬけの殻」にすることに成功したのだった。
◇
「ふぅ……。これで、ひとまず最悪の事態は回避できたな……」
査察団到着の直前。誰もいなくなった地下遺跡の入り口で、俺はへなへなと床に座り込み、一安心の溜息をついた。
しかし、そんな俺の背後から、音もなく忍び寄る影があった。
「ええ、本当に良かったわね、ライン様?」
気づけば、シャルロッテがすぐ後ろに立っていた。
彼女は座り込む俺の肩に、柔らかい胸を押しつけるようにして後ろから抱きつくと、俺の耳元に顔を近づけた。
「ひゃいっ!?」
耳に触れる吐息が熱い。シャルロッテは、ゾクッとするほど妖艶な笑みを浮かべ、俺の耳たぶを甘噛みするような距離で囁く。
「でも、忘れないでね? 今回の件は、商会としてもかなりのリスクを冒した、特大の『貸し』よ……?」
「う、うん……。もちろん、予算の優遇とか、税率の引き下げとか、出来る限りのことは――」
「ふふ、そんな退屈なお話じゃないわ」
シャルロッテは俺の頬を滑らかな指先で撫でまわし、妖しく濡れた瞳で俺を見つめた。
「お代は……この後の査察を無事に乗り切ったら、坊やの『身体』で払ってくれてもいいのよ? ねぇ、ライン?」
シャルロッテの指先が、スウッと俺の股間をなぞる。
「……っ!?」
帝国の査察団という特大の危機を脱したと思った瞬間、俺の目の前には、それ以上に甘くて危険な「貞操の危機」が待ち受けていた。
冷や汗が止まらない俺を置いて、シャルロッテは楽しそうに笑いながら去っていく。
とにかく、まずは目の前の査察団だ。
この妖艶な商会会長に文字通り喰べられてしまわないためにも、俺は絶対に生き残らなければならない。
遠くから、帝国査察団の来訪を告げる、重苦しい角笛の音が響き渡った――。




