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第十一話:若獅子は、誰がために咆哮す

 領都レムの正門前に響き渡る重苦しい角笛の音と共に、ついに「その男」はやってきた。


 帝国査察団の団長、キルヒ・フォン・グライスト男爵。

 無駄に派手な一角獣の刺繍が入ったマントを羽織り、これ見よがしに顎を突き出した、いかにも「嫌味ったらしい」を絵に描いたような男だった。


「ふん……。白壁の湖上の都と言われているとは言え、帝都に比べれば所詮は泥臭い田舎街よの、オルティジア領は」


 それが、出迎えた俺に対する開口一番のセリフだった。


 爵位で言えば、辺境伯である俺の方が圧倒的に格上だ。だが、この男は帝国から派遣された査察官という巨大な虎の威を借り、隠す事なく完全に俺を見下した態度をとっていた。


(はいはい、田舎で悪かったな。さっさとハンコだけ押して帝都に帰れよ、このシャクレ野郎)


 俺は心の中で毒づきながらも、常に顔には営業スマイルの仮面を被り、丁重に男を執務室へと案内した。


 それから一週間、地獄のような査察が始まった。


「これ、この第十四区画の文官用筆記具の購入費はどういうことであるか? 昨年に比べて三パーセントも増えているぞよ! これでは横領を疑われても文句は言えんぞよ、ライン辺境伯!」


「はぁ……。そちらは新しく採用した内政官用の支給品でして。帳簿の三ページ後ろに領収書が添付されております」


「チッ……。では、この港湾の荷役人たちの福利厚生費とは何であるかな!? 奴隷同然の平民どもに、わざわざ温かいスープを支給するなど予算の無駄遣いであろう?」


(器の小さい男だな……。これで作業効率が上がって貿易の利益が増えたんだから文句言うんじゃねえよ!)


 グライストはパチパチと嫌がらせのように帳簿をめくっては、重箱の隅をつつくような細かいダメ出しを繰り返した。俺の胃に容赦なく穴が空きそうになる。


 そして査察の最終日、男はついに、問題の項目の査察を始めた。


「最後に……この莫大な『公共事業費』とは何じゃな? この領内ではあちこちで大規模な掘削作業が行われていたようであるが?」


(ついにきたか……!)


 俺の心臓がドクンと跳ね上がる。隣に控えるアルテの身体が、一瞬で強張るのが分かった。


「そ、そちらはですね……。ただの地下水路の拡張工事でして」


「ふむ…怪しいな。直々に現地を視察させてもらう!」


 グライストはニチャッとした笑を浮かべ、俺たちは問題のレムの地下の掘削地を案内することになった。

 そしてついに査察官は、問題の地下遺跡の入り口へと辿り着いた。


 心臓が口から飛び出そうなほどバクバクしながら現場へ向かうと、そこには、シャルロッテ商会の手配によって「完璧に埋め直された」ただの平地が広がっていた。


「……ふん、ただの泥の山ではないか。やはり無能な領主の無駄な予算消化工作か。隠れて軍備増強なぞしていようものならと思っていたのじゃが……。

所詮はオルティジア辺境伯は小物よの……時間の無駄であったわ。」


 グライストは鼻で笑い、遺跡の存在に一ミリも気づくことなく引き返していった。


(シャルロッテ姐さん、本当にありがとう……!! あとで身体でも何でも持っていってくれ……!!)


 最悪の事態をすり抜け、俺は心の中で涙を流しながら救世主に感謝を捧げたのだった。


 ◇


 そして一週間に及ぶ全ての査察が終わり、査察団が帝都へ帰るその日がやってきた。


 領主の館の広間。


 上座にふんぞり返るグライスト男爵に対し、俺や領の重鎮たちが並んで見送りの挨拶を行っていた。


「これで全ての査察は終了である。まぁ、所詮は無能な先代辺境伯が急死し、帝都で人質生活しかしていなかったヘタレの若造が継いだ領地であるな。帳簿に多少の記載ミスはあるが、この程度の不手際は予想通りじゃ。」


 グライストは立ち上がり、嘲笑混じりに吐き捨てた。


「国を裏切る度胸もない、ただの引きこもり親子だ。せいぜい、帝国の犬として大人しくこの田舎を這いずり回るがよいぞよ。」


 ――その瞬間、広間の空気が凍りついた。


「……貴様、今なんと言った」


 殺気を放ちながら前に出たのは、騎士団長レオンだ。彼の腰の剣が、怒りでガチガチと鳴っている。


 普段は温厚なギルバートさえもが白髭を震わせ、レイラ、アルテ、ニナ、そして海軍のドレイクまでもが一斉に、上座のグライストへ殴りかからんばかりの勢いで身構えた。


「おい! やめろ、皆引けっ! 下がれ!!」


 それを必死になって両手を広げて押さえたのは、俺だった。


「閣下! なぜ止めるのです!? このような無礼、万死に値します!」


「いいから下がれ! すみません、査察官殿! 部下たちが無礼を! どうかお許しを!」


 俺はレオンたちの服を引っ張り、必死に抑え込みながら、グライストに向かって深く頭を下げた。


(ここでこいつを殴ったら、それこそ一発で領地取り潰しだ! 侮辱くらい、いくらでも耐えてやる! 頭を下げるだけで命が助かるなら、いくらでも下げてやるよ……っ!)


 それが、この街と皆を守るための選択だった。

 だが、俺のその態度が、グライストの傲慢さをさらに加速させた。


「ホッホッホ! 頭を下げる事だけはうまいようじゃな! さすがは人質上がりのヘタレ領主でるな! 従順な犬の鑑である! ……ん?」


 グライストの醜悪な視線が、俺の斜め後ろで静かに拳を握りしめていたアルテの顔で止まった。


「ふむ……。そこの補佐官の娘。よく見れば、その珍しい髪の色と、血のように不吉な真紅の瞳……。なるほど、あの『呪われた部族』の生き残りか」


「なっ……」


 アルテの顔から、すっと血の気が引いていく。


「禁忌を冒して神の怒りに触れた不浄の一族のメス犬を、まさか囲っているとはのぉ。」


 グライストは下品な笑みを浮かべながら、拒絶する間もなくアルテの身体を強引に引き寄せた。


「きゃっ……!?」


「どれ、帝国の査察官であるこのまろが、直々にその身体を検分してやろうぞ。戦災難民の分際で、なかなか良いケツをしているではないか、ええ?」


 グライストの手が、アルテの衣服の上から、そのお尻をいやらしく撫で回し、揉みしだいた。


「や、やめて……離して……っ!」


 アルテの、あんなに怯えた声を、俺は初めて聞いた。

 いつもクールで、ヘタレな俺に呆れながらも、この領土を守ろうとしてくれた、俺の右腕。

 自分の持つ力に戦慄しながらも、健気に前を向いて、俺を支えてくれている……。


 ――プチッ、と。


 俺の中で、そんな音がした。


「――おい」


 気がつけば、俺の身体は動いていた。

 グライストの腕を力任せに掴み、アルテを引き剥がすようにして、俺の背中の後ろへと庇う。


「な、何だ、ライン辺境伯!? 気安くまろの体に触るな!」


 驚くグライストを、俺は人生で一度もしたことがないような、冷酷極まる眼差しで真っ直ぐに見下ろした。


「……この子は、俺の家族だ」


 地を這うような、低い声が自分の口から出る。


「この子に手を出すことは、例え帝国の査察官殿とて――俺は絶対に許さねえ」


「な、何だと……っ!? たかが難民のメス一匹のために、この私に逆らうというのか! 不敬な――」


「うるせえ黙れ」


 グライストの言葉を、俺はガチギレした声で一刀論断した。


「難民だろうが何だろうが関係ねえ。俺の領地で、俺の大切な家族に手を出す事は許さんぞ。……おい、グライスト男爵」


 俺は一歩踏み込み、怯む男の耳元へ顔を近づけ、ドスの効いた声で言い放った。


「俺の理性がまだギリギリ保たれているうちに……その汚ぇツラ、二度と俺の視界に入らないよう、とっととお帰りになりやがれ」


 部屋全体の空気が、ラインの圧倒的な威圧感によって完全に支配される。レオンたち重臣すらも、その覇王のごとき怒気に息を呑んだ。


「ひっ……、ひぃっ……!!」


 グライストは完全に腰を抜かし、数歩後ずさりして尻もちをついた。しかし、すぐに部下に抱え起こされると、真っ赤な顔で震える指を俺に突きつける。


「お、おのれぇ……! 今の暴言、まろへの侮辱! 断じて捨て置けぬぞ! 帝都に帰還し、即座に皇帝陛下に報告してやる! 覚悟しておれぇーっ!!」


 負け犬の特大の捨て台詞を吐き散らしながら、グライスト男爵の一行は、這う這うの体でレムの街から逃げるように帰国していった。


 嵐のような静寂が、広間に戻ってくる。


「……あ」


 査察団の馬車が見えなくなった瞬間、俺は急激に現実に引き戻された。


(……え? え? 俺、いま帝国の特使に向かって『とっととお帰りになりやがれ』って言った? 中央に報告するとか言ってたよな? え、これ、査察は乗り切ったけど別の意味で中央にガッツリ目をつけられて詰んだあああああ!!!)


 あまりの恐怖にガタガタと膝を震わせ、白目を剥きそうになる俺の袖を、背後からそっと引っ張る手が近寄ってきた。


「……ライン」


 振り返ると、俺の服の裾を掴みながら、アルテがその真紅の瞳を、じっと潤ませながら俺を見つめていた。その白い頬が、どこか林檎のように赤く染まっている。


「……ありがとう。ラインが、あんなに怒ってくれるなんて、思わなかった」


「あ、いや、アルテ、それは――」


「閣下ーーーッ!! なんという、なんという覇王の器、獅子の如き熱き御心! 中央からの圧力なぞ恐るるに足らず、このレオン、一生貴方に着いていきますぞ!」


「オルティジア領に栄光あれーっ!! ライン様、次なる一手をご指示ください!!」


 レオンとドレイクが剣を掲げて盛り上がり、ギルバートは「おお、先代様……坊ちゃまが真の主君に……」と号泥している。


 違う。違うんだ皆。俺はただ、カッとなって口が滑っただけで、本当は今すぐ中央に土下座の謝罪文を送りたいくらい怖いんだよ……!!


 こうして、地下遺跡の隠蔽工作という最大のピンチは無事にやり過ごしたものの、ラインの「家族への想い」の暴発によって、中央からさらに目をつけられるという特大の火種を残す形で、帝国査察は幕を閉じたのだった――。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!第一章、帝国査察編は完結でございます!


【今後の更新について大切なお知らせ】

皆様の温かい応援のおかげで、この11話まで毎日更新で走り抜けることができました!本当にありがとうございます!


明日からは、さらに話を練り込んでクオリティを上げるため、**【毎週金曜日の18時】**の週一更新へ移行します。


続きが気になる!と思ってくださった方は、ぜひページ下部のブックマーク登録や、評価の星**【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】**にして応援していただけると、執筆の最高のエネルギーになります!

これからも『ヘタレ内政記』をよろしくお願いいたします!

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